(リハーサルに来たバイオリンの子がくれたモーツアルトとベートーベン)


最近

YouTubeでピアノの

マスタークラスを見ることに

はまっています。


その中の1つをご紹介します。


教えておられる

ピアニストのシフさんは

ペダルを使わずに

バッハを弾かれる方です。


でもシフさんのバッハの演奏は

ペダルを踏んでいる響きで、


それは多分、演奏会場の音響が

抜群に良いからです。


前回の記事にも書きましたが

会場の音響は無視出来ませんね。


興味がある方は最後にシフさんのバッハの動画を載せておきますのでご覧下さい。


こちらの動画は

ジュリアードのマスタークラス。


見てい頂きたいのは14分頃から。


(日本語訳を選択すると字幕が出ると思います。

でも字幕がなくても音と仕草でわかります。)



シューベルトの即興曲 op142 の3番。


シフさんがこの学生さんに


「ツェルニー の音で弾いてはいけない、

シューベルトの音で弾いて欲しい」



何度も見本を見せてあげています。


ツェルニー などの

練習曲をする時にも

もしかして


「シューベルトのように弾いてみよう」とか

「モーツアルトのように」


と作曲家のイメージで

弾く練習をしたら良いのかしら?


この学生さんは

練習曲でやったような弾き方に

直ぐに戻ってしまい

何度も注意されていました。


作曲家の音って確かにありますよね。


曲のイメージによっても

音色は変わるので、


イメージ作りや音作りは

音楽をする上で

とても大事なんだと

この動画見て再認識しました。


以前の私は

先に譜読みして

ミスしなくなってから

イメージ作りしていましたが、


今習っている先生のアドバイスで

譜読みしながら曲想も考え、

ペダルも最初から入れています。


最初から考えて弾いていないと

譜読み終わってから

タッチなど全部やり直しになるので。

(これ先生の受け売りですが💦)


途中で和声分析も出来るだけやります。

和声分析すると

弾く時の道しるべになるのですが

それ以上に

作曲家の個人的な思いにも

近づく事が出来ます。


特に和声をきちんと勉強した作曲家は

(殆どの作曲家は和声や対位法を学んでいます)

物凄く意図的に特定の和音を入れて

訴えたい事が明確にあるんですね。


まだまだ先生の助けなしに和声分析は出来ませんが、とりあえずは先ず自分で考えてみます。


楽典と和声は今、還暦の私の楽しみ。


ピアノの練習だけだと

まだまだ難しい曲は弾けないので

モチベーションが保てないです。




ペダルを踏んで弾くピアニストが多い

バッハのパルティータ2番のシフさんの演奏です。

(ペダルなしで弾いていますが残響が凄い会場です)

ダウンダウンダウンダウン




泣き明かして決めた事なので

記録に残しておこうと思います。えーん


もう東京の本番まで2週間なので

主催者の先生やら

皆さんには本当にご迷惑をかける事になりましたが

🙇‍♀️🙇‍♀️🙇‍♀️


細かい事を書くと長くなるので

思い切り省略すると


私が選んだ曲、

ブルグミュラー25の練習曲の

1番 素直な心

3番 牧歌


にペダルを付ける、付けない


という意見の相違と


オンラインで行われた

本番2週間前のリハーサル兼の発表会で


私が考えに考えて作りあげてきた

曲想、イメージなどが

全く伝わらず


弾き終わったとたんに


「ずいぶんペダル入れたのね。

2曲ともペダルなしでいける曲よ。」


と先生が仰られて ガーンガーンガーン


(この先生にピアノを習っているわけではなく、ストリートアカデミーのグループ講座を通して発表会に誘われました。)


地の底に突き落とされたような


あ〜自分の演奏なんて

まだまだで

自分は表現してるつもりでも

相手には何も伝わってなかったのか〜。

泣くうさぎ


相手は稚拙な絵を

見せられた気分だったんだろうな


と思うと


やっぱり人前でなんて演奏すべきじゃない

と思い


もう自信もなく

止まらない涙を夫や子ども達も見て

えーんえーんえーん


「好きで家で

ピアノ弾いてるだけで良いじゃない。

発表会に出なくたっていいよ。」


と言ってもらえたので

辞退しました。


(日本には帰国しますが)


主催者の先生は

オンラインで

1回受けたレッスンの時、

このブルグミュラー25の曲集は

「アベマリア」以外は

ペダルなしで弾ける、

と何度も仰ってはいました。


実際にペダルなしで模範演奏も

他の曲も色々してくれました。


でも「素直な心」

私のイメージは

お母さん(左手の和音)

に抱っこされた赤ちゃん

最後には寝てしまうんですが。


ペダルなしだと和音がブチブチ切れますし

(赤ちゃん抱いた腕が抜ける)

この先生が勧めた指を何本か残したまま

次の和音を弾くテクニックは

手がこわばるので

次の音が綺麗に弾けません。


ちょっとペダルで繋げば和音は繋がるんです。


「牧歌」もやはり左手の和音の連打があり

ペダルなしだとブチ切れます。


最初はペダルなしでやってみましたが

どうしても雄大な自然の

風や雲や緑の表現をしたくて




(スイス旅行の時のこんな景色をイメージしました。)


この先生は

スキップしてるみたいなイメージだと

仰っていますが

(だからペダルなし)


オンラインレッスンの時は牧歌にはペダルを入れても良いと仰っていました。


でも2曲ともペダルなしで弾いた方が良いとは。


私には1回目の繰り返しは霧のかかった牧草地で

2回目は雄大な山と広がる大地。


でも通じなかったので

撃沈しました。ガーンガーンガーン


プロではありませんから

相手に通じない演奏しか出来ない自分は

それはそれで受け止めようと思います。


でも今後は人前で弾くのは止めようと思います。

誰も私の演奏なんて聞きたくない筈ですし。


自分が発表の場が欲しい方、

レッスンの成果を他の人に聴いて欲しい方、

発表会が目標になって練習する方は

発表会の利用は

悪くないと思います。


私は発表会がなくても

モチベーションは高いので


この発表会も

始めから

そんなに乗り気ではありませんでした。


それにパンデミックで

ピアノを始めたばかりなので

まだまだ長い目で自分を見守りたいです。


それにしても今回、この2曲を本当〜にすご〜く練習しました。

和声分析もしましたし、発表会でもなければここまで練習しないほど。


曲作り、イメージ作りを考えたり、試行錯誤もしてきました。

ペダルなし、あり、他にも色々。

それだけ時間をかけて考えて作り上げてきた曲が2曲とも通じなかったのはとてもショックでした。


あとペダルに関してもう1つ付け加えておくと

ヨーロッパの石の教会などではペダルを入れなくても音響が良いので踏んでなくても踏んだ効果が出ます。なので実は当日の会場の響きが良ければペダルは一部外しても良いとは思ってました。

演奏は会場と楽器の持つ音量の兼ね合いなんですよね。










プラハから戻って2週間弱で

今度は夫と2人で

17日間、

スイス・イタリア旅行に行ってきました。


本当は

ラフマニノフのスイスの家

Villa Senar 

について

書きたいのですが、

まだ一般公開されておらず

ラフマニノフ財団に許可を得てから

記事にしたいと思いますので

暫くお待ち下さい。


今回も夫の自転車旅のお供です。

マニラから乗ったのは

ドバイ経由のエミレイツ航空。


滞在中お世話になったのはこちらの車。


フランスでは新車をリースする制度があり

フランス国外でリースする場合は

輸送費を払うと届けてくれます。

(空港によっては届けてくれないので要確認ですが。)


年末年始はローマまで

ルノー社の車を輸送してもらいましたが

今回はミラノに配達して貰いました。


(Vareseの高台にあるホテルから見下ろした朝靄のかかった湖)


飛行機が夜8時過ぎに着き

荷物が出て来たのは

夜10時過ぎでした。

(人出不足?)


夫が行きたい自転車屋さんの近く

イタリアのVareseという街に

ホテルを取りました。


自転車屋さんに教えてもらった

こちらのレストラン「Teatro」

美味しかったです。


Monk fish (アンコウ)の料理。


地元の人しか居ませんでしたが

可愛い街でした。


そこから次の宿泊先、

スイスのアンデルマットに向かいますが

途中、

トンネルにヒビが入って

工事中で不通だったので

峠道を行きました。


峠道の景色。


(アパートの裏山)


アンデルマットは小さい街で

観光客がほぼ居ません。


電車でアンデルマットまで来て

ハイキングする人は居ましたが

宿泊してる人は本当に少なかったです。


夫が自転車に乗っている間、

1人ハイキング。


ロープウェイで標高2344mまで行き

次のロープウェイ(標高2420m)で歩きました。


私は武漢株コロナの後遺症で

喘息があるので

空気が薄い場所

4km歩くのはしんどかったです。


帰り、夫に車で駅まで迎えに来て貰いました。


別の日は

空気が薄くない

アンデルマットより低い場所をハイキング。


ここは戦争の爪痕が残っている場所です。

塹壕の跡やトンネルも残っています。


観光案内所で日本語の解説をくれました。


次に滞在したのは

グリンデルヴァルト。


ユニクロの薄い

カシミア のセーター1枚しか

持って行かなかったので

アンデルマットより寒い場所で

凍えました。

(スイスは税率が高いのか何でも高くて服を買う気になりませんでした。)


アパートからの眺めは良いのですが

街から4km、しかも登りで

山小屋で寒い家でした。


せっかく来たので

スフィンクス展望台まで行きました。

(寒いので一瞬出て室内に駆け込みます。)


ここで初めて日本人、韓国人、中国人を含む

観光客達に出会いました。



次の宿泊地は「エグル」ですが

途中、ベルンに寄りました。


この郊外の駐車場に車を停めると

1枚の駐車券で

2人まで

街まで往復してくれるバスに無料で乗れます。


番号の上にあるのが駐車場の名前で

バス停の名前でもあります。


ベルンは今まで滞在した小さい街の

20倍以上広くて

5時間の滞在では周りきれませんでした。


観光案内の人に紹介された

イタリアン・レストラン「Luce」


美味しかったです。


これも monk fish (アンコウ)の料理です。


ベルンで長居したので

エグルに着いたのは夜中。


気温はグリンデルワルトよりは暖かめです。


でもここも本当に何もない街。


夫は下調べせずに選んだようで

ちょっと後悔していました。


ルマン湖に近いのですが

(近いと言っても多分30km以上)

周りは葡萄畑。


山の方は雪が降りました。


ケーブルカーに自転車を積んで

Sanetsch ダムまで行きます。


標高2066m。


ケーブルカーではなく

シオンの街からも車で行かれますが

エグルからだと100km以上の遠回りになります。



前日、雪だったのが

この日は晴れた為に綿毛が飛び交っていました。


雄大な景色です。


釣りをしているおじさん。


何と虹鱒をこんなに釣っていました。


夫が自転車に乗ってる間、

1人ハイキング。



次の街まで30kmなので

時計を見て45分だけ歩いて

またダムまで戻りました。

日曜日なので

車でピクニックに来てる人は居たのですが

皆、湖の周りで遊んでいます。


なので誰ともすれ違いませんでした。



ダムの近くにある山のレストランでのお昼。


グリンデルワルトの

山の上レストランのフォンデュは

美味しくなかったのですが


ここのフォンデュはチーズの質が良く

最高でした。


観光地ではフォンデュのパンは

四角く切って出てきますが

ここは自家製の農家パンに

切り込みが入っているだけです。


デザートの杏のシャーベット。


ロープウェイで山を降りてから


毎年7月にジャズ祭があるので有名な

モントルー街に遊びに行きました。


ルマン湖のほとりにあります。

寒かった山と比べて

とっても暖か。

フレディー・マーキュリーの像があります。

彼もここを訪れたようです。


レマン湖の周りの遊歩道が市民の憩いの場です。


愛の像の横で写真撮る人が多かったです。


午後7時半頃、

夕日が沈むまで公園で座って

夫とお喋り。


次の日はモントルーより少し先にある

チャップリン博物館へ。


アメリカで共産主義者と思われて

入国を拒否されたチャップリンは

スイスで幸せに暮らしました。



そしてイタリアへ。


スイスとイタリアの国境では

1台ずつしつこく

「申告するものはないか」

「現金はいくら持ってる」

など聞いていました。


本当はモンブランを見に

フランスに行きたかったのですが

途中まで行って

時間的に無理だったので諦めました。


そして最終目的地の「Oglianico」に向かう途中

Aosta という街に立ち寄ったのですが


イタリアのレストランは

午後7時からしか開いておらず

ワインを1本空けてしまった夫。


飲酒運転になりますし

まだ次の宿泊先まで山道を1時間半運転するので

1泊しました。


(もちろん次の宿泊先のその日泊まらなかった代金は戻って来ませんが事故るともっと高くなるので正解でした。)


お土産など買い物したお店が勧めてくれた

La Grenette というレストラン。


このワイン、マニラでは2倍以上のお値段だそうで

ソムリエが100ユーロで勧めてくれて

夫もソムリエも安いと言ってたんですが

私にはちょっとびっくりなお値段でした。


でも味は今まで飲んだことのない

コクと深みのあるワインでした。


翌日、最終宿泊地の Oglianico へ。


ここに来た目的は

夫が有名な

グラン・パラディーゾ国立自然公園(アルプス)の

コッレデルニヴォレット山まで

自転車で行きたかったからでした。


それでここに4泊取って

滞在中は何度も自転車で

その山に行くと言っていました。

(実際には3泊になりましたが。)


でもそこまで車で67km。


もっと近くにもホテルやアパートはありますが

行ってみたら

9月なので

お店は全部閉まっており

観光案内所も閉まっていて


山頂付近にも店はなかったそうで

近くに宿泊しなくて正解でした。




景色が良いと言っても

石ころだらけで

ちょっとコーヒー飲みたくても

お店もないので

リピートはしないことにしました。


車を Ceresole Reale という

湖の側に停めたので

私は湖の周り7.6kmをハイキング。




シーズンオフで誰も居ません。


500m毎に標識が出ています。


他にも

「発電所があります。晴天でも突然濁流が押し寄せるので湖に近づかないで下さい。」

とか

「冷たい水で死亡します。氷は割れます。危険。」


などの標識がありました。


目当ての滝まで来ましたが

歩くのよりも寒いのが大変でした。



自転車で上まで行って

戻ってきた夫が

上の湖まで

車で連れていってくれようとしましたが


段々と1車線道路になり

しかも崖っぷち。


あの細く見えている道を上って行きますが

ガス欠になりそうだったので

引き返しました。


今回借りたアパートは

畑の中の一軒家。


自動ゲートを入り

ここも敷地内です。


家は小さいけれど中はモダン。


ここも敷地内です。

(水には要注意ですが元気なお子さん連れに向いてますね。)


スーパーで牛のカルパッチョや温めるだけのムール貝を買ってきての夕飯。


夫が山に行くのをやめたので

翌日はトリノに遊びに行きました。


こちらでお昼。


焼き茄子やらパスタ、牛ステーキなど頼みました。


川沿いのカフェで

ゆったり、まったり。


夜までトリノの川沿いで

お喋りしてました。


翌日は帰る日。

飛行機は夜10時半過ぎなので

午後5時半までに車を返せば良い為


ミラノに遊びに行きました。


イタリアで難しいのが

ZTLという車両侵入禁止区域です。


なので事前に下調べをして

その区域外の駐車場に停めなくてはいけません。


ミラノ大聖堂はものすごい人でした。

しかも入場券を買う列が長蛇だったので

諦めました。


それで夫がお気に入りのデパートへ。


ミラノ滞在は地下鉄に乗ってる時間も入れて
2時間だったので
大忙しで

大好きな焼き栗を横目で見て
買わないまま素通りしましたが

何とか無事に車を返却し
空港での免税手続きも列に並ばずに
自販機のような機械で全部自分達でやって

またドバイ経由で無事マニラに戻って来ました。


そして


グーグル地図が

今回の旅行のサマリーを出してくれました。



スイスのディセンティスの修道院で買ってきた

ハーブティーで

旅の楽しかった思い出も一緒に味わっています。

ラブラブラブラブラブラブ

<スメタナとドボルザークのピアノ>


スメタナ博物館にあった

スメタナが使っていたピアノですが

鍵盤の位置がとても低いです。びっくり


どれだけ低いかと言うと

身長160cmほどの次女が立って

手を下ろした位置より低いです。

スメタナが使っていた椅子かどうかは
わかりませんが
足が長い人は
椅子が低いと困らないのかしら?
(私には丁度良いかもしれません)キラキラ


こちらはドボルザークが使っていたピアノですが

近くに行く事は出来ませんでしたが
こちらも見た目、低めでした。音符
(ウィーン製)

ここはドボルザークの住んでいた家ではありません。

彼の住んでいた場所は既に別の建物になっています。


スメタナの椅子と似た椅子が置いてあるので

スメタナの鍵盤よりは

少し高めな気がしますが

それでも低そうです。


私の足の付け根くらいの位置でした。(多分)


ドボルザークの部屋にあったベートーベンの絵。


ピアノについての説明


モーツアルトもドボルザークの家にあったそうです。


亡くなった時に取った型です。

ガラス越しですが

手、大きかったです。



<スメタナとドボルザークのお墓>


娘達が郊外にある教会のドアが

アルファとオメガの対になっていて

見たいと言うので行くと


偶然、スメタナとドボルザークのお墓を見つけました。


チェコを去らなかったスメタナの方が

チェコでは人気だと聞きました。


お墓に音符が書かれています。


でもドボルザークのお墓は

特等席のような場所にありました。


屋根と柵付きです。


左が一般のお墓で

右が屋根付き、柵付きです。


演奏旅行で世界中飛び回っていて

世界的に有名だったからでしょうか。


たまたま結婚式があり

何故かシャボン玉を飛ばしています。


お米を撒いたり

花びらを投げるのは見た事がありますが

シャボン玉は初めて見ました。

背広着たおじさん達が必死に

シャボン玉飛ばしていました。


(右にちょっとだけ写ってるのが

アルファとオメガのドアの1つです。)


<番外編>


プラハ城の近くにある

陶器の色つけさせてくれる場所に行ってきました。

お店の名前です。


こんな風に塗ってみました。

プラハで食べたベリー類。


粉がどんどん落ちてきて

塗れてるかわからず

ぼかそうと思って

最後は水を塗ってみましたが

絵の具が広がらず


コツがありそうです。


プラハの思い出になりました。


ご無沙汰しております。


忘れないうちに

プラハで素晴らしいと感じたこと

を書いておこうと思います。


その1

「乗り物に乗ると若い子が必ず席を立って目上の人に席を譲ろうとする。」


私などまだ年寄りには見えませんが

何度も席を譲ってもらいました。


困ってる人が居ると

さっと動きます。


杖のおばあさんが妊婦さんに席を譲ったのも見ました。


それと電車やトラムの中ではチェコ人はお喋りしません。


アジア人だからとの差別もありません。

(観光客は若い子でも立たないのでチェコ人じゃないとわかります。)


それと


電車、トラムなど時間ピッタリに来ます。時刻表通りです。


(アパートの側の聖リュドミュラ教会。観光地ではないのが良かったです。)


その2

あちこちに芸術作品が転がっていますが、特に石畳が整頓されていて模様も様々です。


(イタリアもスペインもフランスも石畳はただ石がバラバラに置かれて凸凹で歩きにくいのが定番)


手先が器用できちんと作るこだわりがあるんだと思います。


四角形の石畳


放射線状に並べた石畳


(ブルタバ/モルダウ川にかかるカレル橋は西と東を繋ぐ重要な役割を果たしていた時があります。)


(スメタナ自筆譜。ドボルザークと比べて几帳面です。)


その3

「文字を読むのが好きな国民」


とにかく何処に行っても説明が長いです。

これでもかと言うほど人に読ませたがります。


でも例えば買い物に行って

お店の人にアドバイスを求めると

店員さん、普段から勉強してると思える

理論的な答えをしてきます。


なので考える力がある国民だと思います。


書ききれないので巻物風になっていて回転させて読む仕組みになっています。


さっきの石畳とは模様の色が反転しています。しかも石をなめしてあるので歩きやすいです。


こちらも違うデザインの石畳。


ディズニーの「美女と野獣」のモデルになったと言われている図書室(ストラホフ修道院/哲学の間)


ストラホフ修道院/神学の間


アルキメス(錬金術)博物館


ここにも巻物風の読み物が大量に置かれていました(壁側)。徹夜しても読みきれない量です。


チェコ語と英語の両方で書いてあります。こういうのがさっきの巻物以外にも多く貼られています。


市民会館のロビーにあったある彫刻家の人生について。もっとありますが長いのでこれだけ載せますね。


プラハ市図書館のロビーにある本の塔(本物の本です)。


プラハを発つ前日の日、

オペラ「カルメン」を観に行きました。

(フランス語版)

ここは古い方のオペラ座でモーツアルトがドン・ジョバンニを初演した方の歌劇場ではありません。


闘牛士のバリトンの声が

オケに負けて聴こえなかったり

フルートがソロパートでとちったりもしましたが、

子どもの合唱は素晴らしかったですし

全体的に個性的(斬新な感じ)で良かったです。

私は3幕のミカエラのアリアで泣きました。😭 主役カルメンよりちょっとしか出番がないミカエラ、存在感も舞台いっぱいで良かったです(あくまで私の意見)。


またチェコに行きたいです。✨✨✨


(結局チェコ料理食べなかったので次回行ったら食べたいです。)



ひまわりひまわりひまわりひまわりひまわりひまわり

番外編 <カフカ>


カフカはプラハの出身で

ユダヤ人でした。


40歳で結核で亡くなっています。


カフカはお父さんと一緒に住みたくなくて

家以外の場所に住みましたが

この部屋はその1つで

プラハ城の外れ

使用人の部屋の様な場所にあります。


トイレもないような部屋で、

2階は兵士が見張りする

城壁の一部です。


実は直ぐ下は拷問部屋です。


彼が小説「田舎医者」を書いたこの部屋は

今はカフカの小説をメインに

売るお店になっています。


この小説がこの部屋で書かれたと説明が書いてありました。

1917年執筆「田舎医者」


カフカの部屋は細い路地から

城の外に出られるようになっています。



それで娘達も興味を持ったので

カフカ博物館に行ってみました。


中庭の彫刻


カフカが関わった4人の女性


この博物館もチェコの他の博物館と同じ

文章がとにかく多いので

全部読みきれません。


カフカについてより

カフカを取り巻く家族、友人、仕事関係の人

その人達の人生などが

細かく説明されています。


(英語とチェコ語での展示でした。)


カフカ博物館の後、

近くに英語の書店があり

ここで2時間引っかかりました。


末娘はカフカの「日記」の一部を博物館で読んで

続きが読みたいと思っていたらここに売っていたので

大喜びでした。



カフカはお父さんから言葉の暴力を受けて育ったのですが

お父さんに渡されることはなかった「父への手紙」は

日本語で検索すると

それについて書いている記事がいくつか出てきます。


自分のことなのであまり詳しく書きたくありませんが

私の弟は17歳で交通事故で亡くなりましたが

カフカと似たような境遇だったので複雑な思いです。



プラハにやってきて2週間経ちました。

1日中家に篭ってた日もあります。


(アパートの側の高台からプラハ城や旧市街が見下ろせます。)


結局、桃はバレエの講習会には

参加出来ませんでした。


MRIの結果、靭帯の前方部分が

完全に切れていたんです。


と言うわけで

3週間のプラハ滞在となり


殆ど観光してないんですが


スメタナ博物館と

ドボルザーク博物館には行ってきました。


今回はスメタナ博物館のお話。


プラハは訪れる観光客が物凄く多いらしいのですが

何故かスメタナ博物館も

ドボルザーク博物館も

閑古鳥状態で

貸し切りでした。


カレル橋の直ぐ側のこの博物館ですが

探すのが本当に大変でした。


道路に案内の看板がないんです。


1階がレストランになっていて、

レストランの脇に小さな入り口があるだけで

(入り口は見たのですが最初、厨房の入り口だと思いました)

2階のみの小さな博物館。


でもとっても良い博物館でした。


(スメタナ博物館の前にあるスメタナの像)


スメタナは50歳で聴力を失ってからも

多くの曲を書いています。


こちらの解説でわかったのですが

モルダウはドイツ読みで

本当はブルタバだそう。


モルダウ川って何処だろう、

と思っていたら

プラハに流れるブルタバ川の事でした。


そして
スメタナのこんな言葉を見つけたので
シェアします。

チェコ語から英語に訳されていました。

I hope that 

if I have not yet reached the goal I set myself 

I am at least approaching it. 


And that goal is to prove 

that we Czechs are not mere practising musicians 

as other nations nickname us, 

saying that 

our talent lies only in our fingers 

but not in our brains, 

but that we are also endowed with creative force 

yes, that we have our own and characteristic music.'


Jabkenice, January 1 7th, 1880


グーグル翻訳にかけて少し手直ししました。

「自分で設定した目標に
まだ到達していないとしても、
少なくとも自分がそれに近づいていることを願っています。

その目標とは、他の国々が我々チェコ人に対して言うような
『才能は指にだけにあって頭脳にはない』
『だから職人的音楽家なんだ』
ではない事を、
我々にも創造するフォース(Force)が与えられていると証明することです。

そう、我々には我々にしかない独自のキャラクターを持った音楽があるのです。」

ヤブケニツェにて
1880 年 1 月 1 日 7 日


フォース(force)は

スターワーズの映画で「フォースがありますように」

のように使われていたので

日本人にも馴染みがあるかと思い

カタカナ表記にしました。


Creative force はエネルギーを感じさせる言葉なので

「想像力」と訳すとインパクトが減ると思いました。


スメタナのような偉大な作曲家で

演奏家でも


別の国の人からレッテルを貼られるような事を言われ悩んだ、という事に少し驚きました。


プラハはかつては

オーストラリア・ハンガリー帝国の

一部だったので

モーツアルト(1756〜1791)が

ドン・ジョバンニを初演した頃は

ドイツ語が使用され

チェコ語は禁止されていたそうです。


モーツアルトはプラハが好きだったのですが

ここに留まらなかったのは

彼に十分な支払いを出来る貴族が居なかったから

とも言われています。


スメタナ(1824〜1884)も

オーストリア・ハンガリー帝国に生きましたが

この頃はチェコの独立を願っていました。



決めつける言葉を言う人は

何処にでも居るものです。


それに負けてはいけない、

とスメタナに勇気を貰いました。


私の場合は人に言われたと言うよりは

自分が自分に


どうせシニアだから

音大に行ってないから

今からやっても


と自分が自分を決めつける事があるので

自分に制限を付けず

音楽やらピアノに立ち向かいたいです。


死ぬまでに間に合わないかもしれませんが

早く始めなかったことを悔やむのではなく

遅くても始めた事を喜んで

ベストを尽くしたいです。




というわけで

今、音階を覚えようと必死になっています。


こういうの若い頃にやっておくと

良いですよね。


音階さえ知らなかったのですから

道のりは遠いです。


プラハでピアノを練習する場所も

結局は上手く見つかりませんでしたが


その時間を和声や楽典に使っています。


今やっと確実に覚えたのは


一番簡単なハ長調と、

その前後にある

嬰ハ長調(♯7個)と変ハ長調(♭7個)。


次に簡単なト長調(♯1個)と

ヘ長調(♭1個)

この2つの音階の出だしの音、

ファとソの間にあるのが

嬰ヘ長調(♯6個)と変ト長調(♭6個)

(呼び名は同じですが同じ音の音階)


これも何とか大丈夫です。


組み合わせで覚えています。

組み合わせると

♯と♭の合計が必ず7個になります。


つまりハ長調(0個)と嬰ハ長調(♯7個)

ハ長調(0個)と変ハ長調(♭7個)


ヘ長調(♭1個)と嬰ヘ長調(♯6個)

ト長調(♯1個)と変ト長調(♭6個)


なんとか後1週間で

全ての調が覚えられるように

頑張りたいです。

(順番に書けば一応全部書けるんですが、それだと何調と言われてさっと出てこないので。💦)


道路で演奏する人たち


雑草のように「ほおずき」がその辺になっていますが実がとっても小さいです。


一昨日(7月26日)

末娘の桃が

バレエの稽古中、

トウシューズで踊ってる時に

足首を捻って

捻挫してしまいました。えーん


今はひたすら冷やしてる状態です。


以前にも書きましたが

バレエの夏期講習に合格したので

8月9日にプラハに向けて出発予定。


講習会が始まるのは

8月14日です。


飛行機代はキャンセル料払えば戻って来ますが

講習会費は多分ほぼ戻って来ないですし

アエビーで取ったアパートも

既にキャンセル出来ない期間。


なので最悪の場合、

プラハに行って3週間観光を楽しむかも

と少し前向きに考えるようにしています。


行きつけの理学療法士が夜10時だったのですが

直ぐにテーピングの方法を教えてくれました。


翌日、内出血してたら

靭帯など切れて治りが遅いけど

内出血がなければ2週間で治ると言うので

さっき見たら

内出血はしてませんでした。照れ


足を地面につけてはいけないらしく

片足で跳んでます。


体力ありますよね。

階段まで片足で跳んで上がったり降りたり。



ここからはバレエコンクールの話です。


かなり前なのですが


7月の初め頃、

シンガポールの主催で

バレエコンクールがあり、

桃も出場させてもらいました。


控室が使えないらしく
ホールの前やトイレを使って
着替えなどしていました。



審査員

ロンドンから来たコンテンポラリーの先生

オーストラリアバレエから来た先生

インドネシアバレエから来た先生

の3人。



年齢でカテゴリーが分かれており

桃は一番上のカテゴリーです。

審査の前に出場者全員で

舞台で自分のリハーサルをやっています。


桃はジゼル1幕の村娘バリエーションを踊りました。



初挑戦のコンテンポラリー。


ダークなイメージが得意な桃です。


クラシック部門では2位

コンテンポラリーでは3位

を頂きました。


このコンクールは全員に順位が付き

その順位の賞状が貰えるので

なかなか良いコンクールでした。


奨学金を狙っていましたが、

貰えなくて泣いてました。泣くうさぎ


奨学金が貰えた子は

男の子か年齢が10歳以下の子が多かったです。


年齢が低い子で

技術がずば抜けた子達が何人か居て


そういう子達は内容表現より

技術で評価されていて


桃のカテゴリーは

内容表現が重視されていました。


コンクールに出ると

審査員の目も学べるので

勉強になりますね。



台風が来て雨ばかりですが

雨が降ってない時に温水プールを楽しみました。


わんちゃん達も入りたそうでした。







ピアノの弾き過ぎと

弾き方が間違っていて


右の手首の内側と

前腕の小指側から肘の内側にかけて

ゴルフ肘に近い場所)

時には痛みが肘の外側の

テニス肘のような場所にも移動したりして


7月の初め頃から

右手でピアノを弾けなくなりました。

えーんえーんえーん


ちょっと良くなったと思って

長い曲を弾くと

夜寝れないくらい痛みが出て泣


冷やしたり

温めたり

YouTubeで見つけた理学療法士の動画で

良さそうなのは全部やってみたり。


そんな中、この動画に出会いました。



この動画を見てから

腕の痛みが改善されてきました。


もちろん治る時期だったかもしれず

偶然かもしれませんが、

害にはならないので紹介したいと思います。


彼が言うには

ピアノを弾く人は


自分はアスリートだと思うべきだ、と。


そしてピアノは体幹が大事なので

ジムに行くなりして

体幹を鍛えれば

腕や手の怪我を軽減出来ると言っています。


あとスマホを手で持ったり

タイプする時間も減らすようにと。


私はジムには行く術もないので

ピラティスの先生に

家でも出来る体幹を鍛える20分以内で終わる

運動を色々教えてもらいました。


ピラティスの先生によると

腕を動かしているのは

肩甲骨のある背筋(背中の上の方)だそうです。


そして手や指の動きは

手根管を通っているので


弾き方が間違っていると

手首や

腕や肘に負担になります。


今回、どんな弾き方をすると痛みが出るのか

昨日、練習再開した時に

色々試してみました。


私の場合、先ず


椅子の高さを変えました。


椅子は高めでしたが

鍵盤に手を乗せた時に

腕が床と並行になるくらいまで

椅子を下げました。


そして椅子の位置も変えました。


肘の角度が110度くらいまで

椅子をピアノに近づけました。


椅子をピアノから遠ざけると

腕の位置が水平より上がります。


近づけると腕が下がります。


前はもっとピアノから離れていました。


腕が体の前で挟まれて弾きにくかったのですが

体を少し後に反らすと解決出来ました。

(前方で弾くのはいつもじゃないですし)


でもそれにはある程度の腹筋や背筋が必要。


もう1つの原因は

奏法でした。


両手を何も弾かないで鍵盤に置くと

右手の手首だけが崩れています。


これが右手の腕の痛みの

根本の原因だったと思います。


ピアノは物理学なので

手首が下がり過ぎていると

指(手)が上手く脱力出来ず

手首や前腕に痛みが出ます。


逆に手首を上げ過ぎると

これもまた前腕に痛みが出ます。


腕が支えているからでしょうね。


もっとも間違った奏法でも

短時間なら痛みは出なかったでしょう。

私の場合、1日に6、7時間弾いていたので。


他にも色々な気づきがあったのですが

奏法は色々で

当てはまらない方も居られると思うので

ここに書くのは控えたいと思います。


まだ完全に治ってないので

恐る恐る弾いていますが


希望が見えてきました。


結局、医者には行ってないので病名はわかりませんが、ネットで調べてもあまり該当するものがなく、一般の腱鞘炎とも場所が違い、でもピアノのせいなのは絶対に確実なので、奏法や座り方を見直すきっかけになって良かったです。


私が今回腕を痛めた原因になった曲は習っている先生にあまり見て貰ってなかったので、それも原因かもしれません。最後に見てもらった時はまだ痛みは出ていませんでした。途中からピアニッシモを作ろうとした辺りから腕の痛みが出てきました。


右手が使えないのでピアノのレッスンはあまり出来ず楽典など別のレッスンに切り替えて頂きましたが、それはそれで勉強になって良かったです。


久々に日本風のスパゲッティナポリタン(野菜のみ)を作りました。左側はポテトサラダです。


毎晩35〜36度のプールに浸かるのが楽しみになっています。


久しぶりに買い物に行くと看板猫がいました。

ガラスの中には店内で飲食している方の犬が繋がれて待っていました。


犬を連れた方が多いです。


玄関のさるすべり、満開です。


ちょっと小豆入れ過ぎですが一応お赤飯。


家の定番のサラダ


日本のお豆腐屋さんが伝授した美味しいお豆腐で麻婆豆腐を作りました。





ショパンの曲はなかなか

弾きたい❗️でも弾ける‼️

という曲が見つかりません。


前奏曲にはいくつか

取りつきやすい短い曲がありますが

曲の中に指が絶対届かない和音があるんです。


ショパンが使っていたピアノは

1オクターブが今のピアノの7度だったそうで

そんな細幅鍵盤なら

私でも届く和音はありそうですが


今のピアノでは無理。


(ピアニストがピアノ製造するわけではないので、多分、職人がピアノを作る時に親しかったピアニストの意見が取り入れられて今のピアノに統一されていったのでしょうね。)


ちなみにこういう曲です。



ショパンが自分のお葬式に弾いて欲しいと言った曲で、当時は半音ずつ下がるのは忌む意味があったようです。


この前奏曲4番、絶対に届かない和音がかなりあるので弾くのは諦めています。


手が大きければ子どもでも弾けそうですが…。


でも曲について考えるのは自由なので

ちょっと調べていました。

(調べるの好きなので)


そうしたら以前ブログで紹介した

シーモア・バーンスタインさんが

面白い解釈を出していたので

紹介します。


こちらの動画です。




動画の中で彼は

同僚のピアニストや音楽院教師などで

賛成してくれない人ばかり

と言ってましたが


調べたり考えること

大事ですよね。


このチャンネル,

最近、宣伝でよく出てきます。

月会員になると

色々なピアノ講師の指導動画が見れますよ

(でも指導動画だけで個人指導はしてくれないらしい)

Tonebase という会社。




楽譜の中にある

クレッシェンドやデミニェンドの

<  >

こういう形の記号。


これはブラームスなどは

音を大きくする、小さくするではなく

感情を込める為に

音の長さやリズムを変える時に使った

と言うのです。


この本に書いてあるらしいです。

彼はショパンの直筆の楽譜のコピーを持っていて

そこにもこの記号が出てきます。


音を小さく弾く意味のピアノの直ぐ隣に

デミニェンドの>の記号があり


ショパンは小さくを2回書く筈がないから

> の記号は

音を伸ばす記号だと

彼は言っています。



これによると

< > の記号は


かつては音量の調節に使われたが、


テンポを少し上げたり、下げたり

演奏者が自由に解釈して良く

感情を込めてねっちりと弾く意味もある


とも。


と、紹介しておいて何なんですが、

ブラームスはともかく

ショパンの場合は実際には

違うような気がしています。


このチャンネルの別の動画で

ショパンがメトロノームをピアノに置いて

感情を込める時にでも

伴奏のテンポは変えないようにと言ってた

と言ってましたし。


でもプロのピアニストでも

楽譜にある記号などは

気を遣って見ているのですね。


大事だと思います。



今、楽典の勉強を

自分のペースでやっています。音譜


難しいところは飛ばしています。あせる


あまりにも専門的過ぎて

頭がついていかないので。ニコニコ


水炊きの残りにえん麦、松の実、ひまわりの種を入れておじやを作りました。


ベジタリアン風になりました。

(ベジタリアンではありません)



ピアノを弾くのが楽しくて

1日中弾いています。


パンデミックで始めたピアノですが


ピアノを弾く為に

以前から猫背だったのを

気をつけて直そう

と思うようになりました。


それから腹筋と背筋が大事だと長女に言われて

ピラティスの先生にちょっとずつ

自分で出来る運動を教えて貰っています。


肩も上がってしまう方なんですが

最近わかったのは

肩って上に上げて下ろしても

前方に下ろしたのでは

腕の可動域が制限されるので

後方に下さないといけないようです。


なのでピアノを始めたお陰で

自分の姿勢やら

体力作りも始めたいと思うようになりました。


唯一困っているのが

坐骨神経痛です。


最低でも4時間は弾いていますが、

ピアノの前に

合計すると

6〜7時間座っていたりします。

(連続ではありませんが)


歩くと痛みが取れるので

もっと歩けば良いのですが


買い物に行く必要もなく


日中は紫外線が強いので

なかなか外に出れません。


ピアノを弾く時間を減らした方が

良いのかもしれませんが、

今、とにかく楽しくて


レッスンで見て頂いてない曲で

弾いてみたい曲を

次々と譜読みして

楽しんでいます。


先生に見せるわけではないので

気楽です。


そういう曲が20曲以上。


楽しんで譜読み出来るようになったのは

ひとえに根気よく

きちんとした奏法を教えて下さっている

先生のお陰です。


ところで


昔、お会いしたピアニストの演奏動画見つけました。


この方、以前マニラのピアノコンクールの

審査員としていらっしゃって

マスタークラスをされた時に

見学させて頂いた方です。


イスラエル出身、アメリカ在住のピアニストです。


「ショパンの幻想ポロネーズ」





バジル入りトマトスープ、パコというシダのサラダ、青梗菜と豆腐炒め、ニラのオムレツ


シダのサラダはトマト、玉ねぎ、アヒルの塩卵と一緒に食べます。


さるすべりの葉っぱが赤くなってきました。

何ででしょう?もう秋の準備でしょうか?