【サ-フィン怪傑ゾロ】


三鷹の師匠がギターを弾きだした。

6畳にあぐらで向かい合い、オレはじっと彼の手元を見る。

オレは若干、首をかしげた。

鳴るギターの音は、どうやらサーフミュージック。

ピックを持つ右手をギターから離し、師匠が一言。

「サーフバンドをやろうと思っているんだ」

「エっ!」オレは耳を疑った。



1990年だった。

三鷹に住む友人の家に、久しぶりに遊びに行った事がある。

彼のギターにあこがれて、オレはギターを始めた。

それでたまに師匠と呼ぶ。

冗談じゃなく本気だが、彼が照れるのであまり彼の前では使わない。

その彼がサーフバンドを組みたいと言う。

意外だった。

その頃、ちまたにはサーフミュージックは全くなかった。

ジョニーサンダースのパイプラインはあったが、あれはパンクだ。

いきなりの彼の言葉に、全然ピンと来ない。

それより彼がやっているバンド“フィーバー”の大ファンだったので、

反対したい気持ちが強かった。

ところがギッチョンチョン、さすが師匠、オレなんかより何歩も先を進んでる。

彼の名はエノッキーサンダーボルト。

そう、今考えるとこの会話は、90年代に再びサーフミュージックを

爆発させたジャッキー&ザ・セドリックスの誕生前夜だった。

60年代、ベンチャーズの来日によって大流行したサーフミュージック。

オレはその頃を全く知らない。

だが、それが再び90年代に突如として現れた時、

その衝撃はあまりにも斬新で、そして凄まじくかっこよかった。


ところがシンクロニシティ→意味のある偶然の一致。

そのちょっと前、全く同じ出来事が、海の向こうのサンフランシスコで

起きていた。

ザ、ファントムサーファーズの登場だ。

オレは1993年に彼らを始めて見る。

ギターウルフにとっても、初のUSライブになったガレージショックという

イベントの最終日に彼らは出て来た。

初のUSで、初のUSバンドとの対バンで、オレは何か強烈な物に

毒されようと、期待のヴォルテージをMAXにあげて、海を渡ってきた。

だがこの4日間、期待にみあうものが全然ナッシング。

「アメリカのバンドもたいした事ねえな」とあくびの最終日が、

遂に出て来たトラッシュウーメン、そしてファントムサーファーズの

登場でギャガ~ンと変わった。

ステージに登場した怪傑ゾロのようなマスクをした大柄スーツの5人組。

「なんじゃ、なんじゃ」と会場の雰囲気が盛り上がってくる。

日本人がアメリカ人に期待するもの。

日本人じゃなくオレかな?

それはもうでっかく息を吐きながら「バカだな~」と大笑いできるような

大陸的バカさに他ならない。

それがそっくりそのままステージで炸裂する。

だがそれだけじゃない、演奏がまたピカ一で、「うん、いいね!」っと

こぶしを握ってしまうようなところがたまらない。

「オレは、これを、これをアメリカに来て見たかった!」

ようやくオレは心で叫べた。


ファントムサーファーズとジャッキー&ザ・セドリックス。

90年代、この二つのバンドの登場がなかったら、

サーフミュージックの攻撃性も、ゾクっと来るエキゾティクな所も

未だに知らなかったかもしれない。

この二つのバンドに出会わなかった事を思うと、ロック的にゾっとするよ。

さて、そのフアントムサーファーズが9年ぶりにやってくる。

底抜けに楽しい彼らのライブを体現してくれ!



1024()大阪 難波Mele セイジのみ数曲参加

1025()名古屋 OYS   セイジのみ数曲参加

1027()新宿 LOFT《ハロウイーンライブ》

1028()新宿 LOFT《ハロウイーンライブ》ギターウルフ出演



以下は奴らから主催者に届いた手紙なのだが、

こんなに褒めといて、こんなへんちくりんなメッセージを載せて大丈夫か!?

だいたいホントにファントムサーファーズ本人なのか?

う~ん訳わからんが、こんなの書いて喜んでいるんだからしょうがない。



DEAR JAPAN!

キラキラボシ!

いよいよ、我々、ザ、ファントムサーファーズが、

日本に波乗りパイレーツ!


1612年、徳川幕府が鎖国令を出した。

徳川家光は何を恐れたのか?

太平洋を挟んで対峙する江戸とカリフォルニア。

そのカリフォルニアからウェーブでやってくるサーフミュージック。

家光はそれを恐れた。

鎖国がなかったら、日本の武士はきっと叫んだはずだ。

「刀をギターに、馬をサーフボードに!」

しかし残念ながら、歴史はそうはならなかった。

数多くの隠れサーフ武士は、何百年という年月を堪え忍ぶことになる。


その彼らを救ったのが、我々の大先輩ベンチャーズだ。

1964年、彼らが初来日する。

それにより、日本は事実上、江戸時代の終わりを告げる。

そして遂に、日本にもサーフミュージックの時代が幕を開けたのであった。

日本のたくさんの若者がサーフミュージックを演奏し始める中、

加山雄三はこのジャンルの将軍の地位につき、

すべての戦うサーフロッカーの対立を平和的に治めていた。


やがて1993年、第2の余波が日本を襲う。

ザ、ファントムサーファーズが江戸湾に入港したのだ。

我々は、日本との友好を望んだだけであったが、日本は大騒ぎ。

「平成の眠りをさますファントムサーファーズ、たった5人で夜は眠らせない」

そして今年2012年、我々は、日本に再上陸しようとしている。

またまた君たちの夜をお騒がせするよ。

このショウは我々にとって最後のショウになるだろう。

アオキガハラで会おう。

覚悟はいいかな!


Hello Japan......Good Bye


(一応、ファントムサーファーズの名をかたってはいるが、
 わけのわからない日本の歴史を話す、なぞのアメリカ人からの手紙)



Guitar Wolf SEIJI  OFFICIAL BLOG「フジヤマシャウト」Powered by アメブロ



Guitar Wolf SEIJI  OFFICIAL BLOG「フジヤマシャウト」Powered by アメブロ