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2016-09-13 02:16:40

【上海パープルヘイズ】

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【上海パープルヘイズ】

 

 

この次々と打ちのめされる感じは何かに似ている。

何だ!?

自分の何かがガラガラと崩れ、その後に羨望という名のタワーが

ぐいぐい延びていく。

そうだ、これはオレが十八で東京に出てきた時の感覚に似ている。

まさか二度と味わえないと思っていたあの感覚を

味わうことができるとは。

上海だ。

 

先日中国ツアーに行ってきた。

数年前から誘いはあったが、提示されるギャラが経費ギリギリで

いつも渋っていた。

向こうのプロモーターにアメリカ人がいて、オレの渋りに対し彼から

驚きが混じったメールが届いたことがある。

「お前等、中国でライブがしたくないのか?」

彼の驚きとは裏腹に、実はまさしくその通りであった。

日本に対しいつもあんなにメチャクチャ言う国なんかでやりたかねえ

わい!と言うのが本当の自分の本音であった。

普段ならば経費さえ出れば大抵の国に乗り込んで行くが、

中国は到底そんな気にはならなかった。

だが今回、破格のギャラの提示があり、それならばと

上海、北京の2公演を受けた。

 

直面した瞬間、脳みそをクルッと回される感覚。

人間、180度考えが変わる経験は滅多にない。

今回の中国がそうだった。

上海空港でチャーミングな女の子二人が出迎えてくれた。

それだけでホクホクだが、乗せられたバンで走ること1時間、

巨大な都市が目の前に現れだし、その全貌を目の当たりすると

頭が少しパニックになりだす。

アジアならなんだかんだ言ってもTOKYOが一番すごいだろうと思っていた。

だが、その鼻っ柱をギュッと握られてスコンと引っこ抜かれたようで、

外から見れば車の窓にポカンと口を開け上の方を向いている雁首が一つ見えただろう。

剣山が空に向かってそびえるか如くに乱立する高層マンションとビルディング、

それに混じり最上階が寺院のような形のビルが所々にある。

普通ならなんだか宗教臭く感じるが、乱立する近代と

全くうまくかみ合っていて、都市を構成する一つの色として

かっちり風景にはまっている。

かつてリドリースコットが東京からイメージを得たという

ブレードランナーの未来都市は、この上海こそふさわしいのでは

ないかと思った。

激しく猥雑でところどころ醜い、そしてそれが恐ろしく美しい。

「かつて、上海は多くの国のコロニーになっていました」

隣の席に座るアメリカ育ちのシャウピンが流暢な英語で教えてくれた。

そう言えば、かつて歴史で習ったことがある。

このモダンさはそんな影響があるのか?

歴史の渦の中、多文化と中国が激しく交わり、どくどくふくれあがる。

なんかこの町、とてつもなく歯止めがない。

 

やがて車は門をくぐり池の前にある古い建物の前に止まった。

ホテルらしい。

エレベーターで2階に上がるとフロントがあった。

建物の外観そのまま質素な白いフロアーで、植民地だったと聞いた

せいか、かつてはどこかの国が所有していた事務的な建物かなと

思ったりしたがそれはわからない。

デスクで男の人と女の人が愛想なく対応してくれた。

その点はいつものアジアだが、驚きはその後に待っていた。

各人部屋を割り振られ、案内された自分の部屋を開ける。

するとワオ!

フロントとからは到底想像できないスタイリッシュな部屋が

そこにあった。

ヨーロッパではたまに、計算されたデザインのカラフルなホテルに

泊まることがある。

しかしこの部屋はそのどれよりも素晴らしいと思えた。

ヨーロッパはセンスが突出するあまり、特にシャワーなんか

部屋までびしょびしょになる場合があるが、この部屋はちゃんと

実用も加味してある。

日本はコンパクトで実用的だが、デザインでは決まり切った型から

けして抜け出さずはみ出さない。

上海は古い建物にこんな部屋を設けるなんて、

う~ん味な演出をするなと、チンを軽くパンチでなでられた感じだ、

なんかやっぱりすげえゾ上海。

数年前オーストラリアに行く時、乗り換え地の中国広州で飛行機が遅れ、

急遽広州市内のホテルに泊まった事がある。

ひとりひとりにスイートルームをあてがわされたのは嬉しかったが、

豪華な調度品はゴテゴテして大げさで、スタイリッシュにはほど遠かった。

丁度クリスマスシーズン前で、フロントにはサンタが飾られていたが、

孔子か孟子かがサンタの服を着ているようなデコレーションだった。

同じ中国でも上海は全く別物らしい。

 

そしてディープ上海。

天空に思いを馳せるが如く上に上に突き刺すビル。

夜になると紫の霞を周りに漂わせ、遙か下界を見下ろす。

その見下ろす下界にはいくつもの道があり、

その道もいろんな表情を持つ。

翌日ひとり歩いてみた。

昨晩ディナーをつきあってくれた上海の大学生ケー君が

「東京は綺麗だけど、上海は汚いでしょ」と歩く道を指しながら

オレに語りかけた。

その通り道は汚いが、高架下の壁にはポップな落書きが至る所に

あったりして、なんだかニューヨークのようだ。

朝っぱらから市場の様な商店街は活気があり、

店前に出してあるバケツには蛇、蛙などがうじゃっといたので、

ゲーと覗くと、いるか!?っという表情でバケツをオレの方に少し

傾けられたりした。

はは、なんかおもしろい。

ただ恐ろしい景色が平然と人行き交うビルの下にあった。

手首手足の無い老人が、下半身だけ布の様な物をつけ、うつぶせで

昆虫の様に動き物乞いをしている姿に凍り付いた。

彼らは自分でここまで来た訳じゃないだろう、

きっと誰かに連れてこられて物乞いをさせられているのだ。

ホテルのロビーで、派手な顔をした二人の女の人を見かけた。

二人とも目が大きくきつい。

こちらを見た目の奥に、こちらを伺う光がわずか一瞬だが針のように

キラっと見えた時、整形だと気がついた。

顔に入れたメスの傷は修復しても、まわりへの猜疑心は彼女達からは

一生消えないのかもしれない。

 

上海、北京でのライブは、ここでは詳しく述べない。

また話す機会もあるだろう。

ギターウルフはいつもの調子でぶっ飛ばした。

中国の対バンも素晴らしかった。

特に北京のパンクは、歴史が古く最初のパンクバンドは家族親戚共死刑

になったという本当かウソかわからない噂がある。

若者はみな社会に不満を持ち、丁度SEX PISTOLSが生まれる前夜の

ロンドンはこんなだったんじゃないかと思ったりした。

北京のスタッフとして新たに加わった中国人の女の子がいた。

「ハルカで~す!」

いきなりなぜハルカ?とみんなに疑問符を振りかけながら、

ホテルのフロントで少しおどけた日本語で迎えてくれた。

ハルカの由来は聞きそびれたが、彼女が決めている日本名らしい。

英語が流暢なので留学でもしていたのかと聞くとそうでなく、

言葉を学ぶ事が好きで、世界をよく旅していると話してくれた。

日本には来たことはないが、ただ日本語も勉強していると言う。

キュートな顔立ちをしながら頭が切れ、声としゃべり方、

立ち居振る舞いがすこぶるかっこいい。

彼女をいち中国人と結びつけるには難しいくらい飛び抜けた

国際的雰囲気があり、きっと彼女なら世界のどの場面に行っても

人の中心にいて、にこやかに笑顔を振りまきながら話すのであろう。

彼女は北京ライブの後、会社が手配した大型タクシーを走らせ、

暗い夜にいきなりネオンが燦然と輝く、千と千尋の神隠しに出てくる

ような3階建ての中華料理店に連れて行ってくれた。

すでに深夜で、お互いに明日が早いこともあり、

わずかな時間を卓で囲んだ。

最後に少し、そのハルカちゃんと立ち入った話をした。

反日だ。

「確かに私も反日教育を受けました、しかし今では反日教育ばかり行う

教師はだんだん虐げられています。これからは私たちで新たな歴史を

作るしかないのです。」

と言った後、「そう思わない?セイジ!」とニコッと笑顔で返された。

 

北京空港から成田に向け飛行機が飛び立つ。

真下には中国の大地が拡がっていき、来る時とは全く違う気持ちで

景色をながめる自分達がいた。

今まで思っていた感情が180度劇的に、しかも鮮やかに変わる感覚は

生まれて始めてかもしれない。

その感動は激しく嬉しく、興奮が冷めない。

あの爆発しそうな上海、北京パンク、そしてやはり中国人。

ああ、またこの国に戻ってきたい。

イエー、チャイニーズロック!

 

PSお世話になった中国人日本人スタッフ、来てくれた中国人日本人、

キンヤくん、キクちゃんのお兄さん、

たったひとりで果敢に乗り込んできてくれた女の子、

みんなありがとう!

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2016-07-27 22:55:50

【サファイヤCITY】

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【サファイヤCITY】



松江に越してきたのは小5になってすぐの時だった。

かなり慌ただしく、母親に引っ越しを告げられたと思ったら

住んでいた広島の家は瞬く間に段ボールの館になり、

そしてすぐにがらんどうになった。

友達とゆっくり別れる暇もなく出発して、

気がつくと親子5人の乗用車はでっかい湖の畔にいた。

宍道湖だ。

新たな新居はその宍道湖の側に立つ市民病院の裏だった。

古い家が並ぶ通りの一軒にでっかい引っ越しトラックが駐まっていて、

ご近所の人垣が新しい引っ越し者を見ようと所々に出張っていた。

いつの間にか母親がトラックの荷台に上り「さあ持ってけ」とばかりに

両手を下から仰ぐように動かしていて、

指図されるトラックの運ちゃんや父親が次々と荷物を運び入れていた。

当時松江に住んでいた母親の弟の昌男おじちゃんも駆けつけてくれて、

なんだか我が一族が、鳴り物入りでこの町にやってきたような錯覚を

持たせるような光景だった。




新しい小学校は歩いてすぐの宍道湖の畔にあった。

学びやが湖に映る様子はいかにも涼しげで、

さらに対岸から割合近い場所にちょこんと見える嫁が島は

何とも形良く、小学校の理想とも言える立地条件だった。

とは言ってもガキにはその良さはわからない。

それよりも気になるのは新しい友達だ。

自分は転校を何度かしているせいか、

自分という転校生に対する好奇な目を楽しむふうがあった。

だから注がれる好奇の目のステージの上で新たな自分を設定して

振る舞う、な~んてそこまでは考えるが、結局すぐにボロがでた。

その出たボロクズに興味を持ってくれる人がいてくれ

気がつけば友達になっていた。

やがて子供はすぐに言葉も同じになる、

そして昔からずっと知っていたかのように遊び、

自然とみんなの色に混ざっていった。

が、しばらくしたある日ハッとした事がある。

青空に初夏の風が吹く運動場の片隅で、

半ズボン数人が土にあぐらをかき、プロ野球の話をしていた時だ。

オレは巨人ファンだ、阪神ファンだ、または広島ファンだとか

チーム名が飛び交う中、誰かの口からこんな言葉がフッと言い放たれた。

「松江に球団ができたらどげする?」

「できるわけないがや」と誰かの軽い嘲笑の後、

「でもできたらやっぱりその球団のファンになる」とそいつは強く出た。

結局「そりゃあそうだ」と賛同の気持ちがその場所を覆うが、

自分ひとり、つんぼさじきに追いやられた感じがして

フ~ンとみんなの話を聞いていた。

みんなの土地を愛する力強さがなんだかまぶしかった。

かといって自分にもないわけではない。

3まで生まれ育った長崎だ。

だから高校野球はいつも長崎を応援してした。

長崎海星高校から化け物と言われたピッチャーのサッシ-が出た夏があるが

その時はひとり盛り上がっていた。

しかしこの町で遊び、ケンカして初恋もして、気がつけば

おもりがゆっくり片側にすべっていくように比重が変わっていた。

それに気がついたのも高校野球だった。

子供の頃のお盆と言えば、両親の田舎山口に行くのだが、

その帰省中、誰かの家に立ち寄ったことがある。

兄弟3人は車に残され、随分長い間2人を待っていた。

ラジオからは高校野球が流れ、アナウンサーの声が熱を帯びている。

退屈なまま聞いていると、なんと島根の浜田高校だった、

対する高校は、その頃から強豪だった天理学園、

島根が勝てるわけねえと言う気持ちで聞いていたが、

激しい接戦を制して浜田が競り勝った。

やった-------!

その時自分は激しく興奮して、爆発するように喜んだのだが、

その自分に驚いた。




浜田と天理の試合で、自分の心が松江という町にズブリと深く入っている

事に気づかされたが、実はそれ以前、無意識ではあったが、

この町を特別に感じる始まりのような出来事があった。

その時もお盆の帰省で、この時は山口から松江に戻るとこだった。

山口-松江間は車で6,7時間かかる、後部座席の子供には苦痛だ。

いつも一分一秒でも早く着く事を願った。

到着は必ず夜遅くなり、厭世気分が闇の中にじっと溜まる。

やっと出雲を過ぎた辺りで気持ちは楽になってきて、

そろそろかな?と9号線を走る夜の窓に目を懲らして見た。

すると遠くにボーと何かが光っているので

思わず窓に手をかけ顔をくっつけるように見ると、

黒く静かに広がる宍道湖の向こう岸の町が、青く発光していた。

松江の町だった。

オレはこんな美しい町に住んでいるのか!?




誰の心にも忘れられない情景があるだろうね。

ましてや故郷の景色はその人にとって特別だ。

今でもあの夜見た松江の夜景は不思議オーラを持って迫ってくる。

それはたぶんよそ者だった自分に、松江がかけてくれた

魔法だったんじゃないかと思っている。




♪サファイヤCITY 闇に浮かぶ、Mystic LAKE サファイヤCITY


 

 

 

 

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2016-05-26 17:48:53

【ニュー広島原爆ドーム】

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【ニュー広島原爆ドーム】




数年前、姪の結婚式で広島に行った。

披露宴会場は宮島近くのホテルであり、姪夫婦の心遣いで、

式の後、親戚一同そこに泊まった。

でっかいホテルで1階にコンビニがありそこで買い物をしていたら

姪の婿のお父さんに会った。

お互いお酒とつまみが目的で、自分とは結構歳が離れていたが、

酒飲みはこういうタイミングのこんな場所で会えばもうおしまいだ。

姪夫婦の結婚をさらに祝おうという気持ちも相まって

「部屋飲みでもしますか!」

とお父さんの兄弟2人も加わり自分の部屋で酒盛りが始まった。

珍しい取り合わせのせいか、お互いの盛り上げ魂に火がついて

飲みは深夜まで及び、最後は部屋の外まで千鳥足が千鳥足を見送った。

翌日、まだ眠い(まなこ)のまま「おはようございます」とみんなで朝食を済ます

やがてホテルの前で解散となった。





このまますぐ東京に帰るかどうしようかと思ったが、

ツアー以外で広島に来ることもなかなか無く、

まだ午前中だと言う事もあり、やはりなぜか原爆ドームに向かった。

かつてギターウルフが初めて広島でライブをした時、

その昼間にメンバー等と訪れて以来だ。

あの時は、あまりのショックでもう二度と来ないと思ったが、

それでいてそのショックが薄れていくのも気にかかりまた来てしまった。





キノコ雲がでっかい爆発音と共に360度のパノラマに映し出される。

「1945年8月6日、広島で何が起こったか」

音楽が流れアナウンスがされる。

資料館は以前と違いすっかりインターナショナルな雰囲気にリニューアルされていた。

そのせいか外国人の数がかなり多い。

入る前に背の高い外国のカップルが資料館の足元にペタリ崩れるように

座っていた、涙ぐむ女の人を抱えながら彼氏も爪を噛みながら

遠くの方を眺めていた。

わかるよ、オレも以前見た後メンバーと共にそんな状態だった。

やはり心して見なければという思いを強くして館内に入った。

だが「う~ん!?」

次第に戸惑う気持ちが心に広がる。

十何年前に受けた衝撃がこない。

綺麗にディスプレイされた陳列物、原爆ドーム天井部分のモニュメント、

所々でアナウンスされる丁寧な説明、瓦礫の中を歩くようなデザイン、

すべてに洗練されていたが、その分衝撃が薄まっている。

伝わり方が強くない。

資料なのにアトラクションの要素が強く入っていると思った。

思えば入り口のパノラマに映し出される原爆の映像もそうだ。

最初は素晴らしいと思えたがどうも違う。

リニューアルの工夫のすべてが恐怖を和らげるクッションとなっていて

目の前の展示物が以前より迫真を持って迫ってこない。

昔の資料館は地味だった。

その分強烈だった。

いきなり登場する人形が怖かった。
なんだか全体がカビ臭い感じもしてジメジメしている雰囲気だった。

しかしあれこそが生の恐怖を伝える最良の方法だったのかもしれない

失礼!広島市はより多くの世界の人達に原爆の悲惨さを伝えようと

決死のリニューアルだったと思うが、自分はそう感じてしまった、

申し訳ない。

でも昔の資料館の素朴さを受け継いで欲しかった、世界の為に。




姪夫婦は今東京に出てきている。

先日、婿さんのお父さんとお母さんが広島からやって来られて、

新宿のレストランでみんなと会った。

あの夜の絆のせいか、会った瞬間から絶好調にお酒をガブガブいった。

終いにはすべてごちそうになり、またもや帰りは千鳥足だ。

お父さんとお母さんは翌日、広島に帰っていかれた。

広島は自分にとっていつも特別だ。

かつて小学校の頃に住んでいたと言う事もあるが、

強烈な衝撃を受けた場所でもある。

その衝撃が多くの人達に伝わることを願いたい。







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