(参考:0614「パラミリターレスが復活」)


1950年代以来内戦状態が続くコロンビアにおいて、国家権力による犯罪が裁かれることはなかった。ここ30年間の政治的行方不明者の数は、もっとも控え目な人権団体によっても、20,000人とされる。この状況を打ち破る判決が6月9日、ボゴタ第3特別法廷、マリア・ステジャ・ハラ裁判長によっておこなわれた。


1985年11月6日、7日、当時の左翼ゲリラ「4月19日運動」(M19)のコマンド35人は、ボゴタ中心部の司法庁舎(最高裁判所を含む)を占拠、当時のベリサリオ・ベタンクール大統領(1982-1986)との交渉を要求した。ベタンクール大統領は軍に司法庁舎奪回の命令を出し、27時間におよぶ激しい戦闘と最後には庁舎自体が炎上する。


ゲリラ全員、アルフォンソ・レジェス最高裁長官、24人の最高裁判事のうちの11人など、115人が死亡、多数が負傷したとされるが、そのほとんどが職員、あるいは訪問者であった。


この事件のなかでの11人の強制行方不明の罪で、ルイス・アルフォンソ・プラサス・ベガ退役大佐(65歳)が、禁固30年の判決を受けた。11人の多くは庁舎内のカフェテリアの従業員と客であり、裁判は2006年に、いくつものビデが暴露されるなかで始まった。ビデオのなかでは、行方不明者が、1人の判事もふくめ、生存状態で庁舎を脱出しており、その後死体で発見される。


プラサス元大佐は機械化部隊の司令官であり、この作戦の指揮にあたった。このほかにもヘスス・アルマンド・アリアス・カブラレス、イバン・ラミレスの元将軍、エジルベルト・サンチェス・ルビアノ元大佐が逮捕され、判決を待っている。


アムネスティー・インターナショナルは、歴史的な判決と評価した。国連人権問題高等弁務官のナビ・ピリャイは、判決を無処罰にたいする闘いとして評価するとともに、ハラ裁判長の保護を要求している。ハラ裁判長とその息子、そしてアンヘラ・マリア・ブイトラゴ検事などは、秘密の武装組織から死の脅迫を受けている。


アルバロ・ウリベ大統領は、この判決を受け入れられないと非難した。「この事件は麻薬組織とゲリラが最高裁長官を殺害したものだ。この犯罪者の誰一人、現在刑務所にはいない。プラサスにたいする有罪は、その義務を果たしている軍にたいする有罪である。わたしは心が痛むし、悲しい」と述べた。


ガブリエル・シルバ国防相も、プラサスにたいする全面的な連帯を表明し、裁判所によるプラサスとそのほかの制服組にたいする「見世物」を終わらせることを主張した。(0717)