(参考:0253「ビデラ大統領、引き続き刑務所に」)

1976年3月24日軍事クーデターにより、アルゼンチンにおける最後の軍政が始まり、1983年まで続くことになった。このかんの行方不明者は30,000人、死者数千人、多くの亡命者をうむことになった。2006年ネストール・キルチネール前大統領は3月24日を休日と定めた。祝日ではなく、「真実と正義を記憶するための国民の日」として。ブエノスアイレスにおいては5月広場にむけ、「5月広場の母親と祖母たち」、「行方不明者の息子たち」ほか多くの民衆が30,000人の行方不明者のプラカードを持ちデモ行進、集会を持った。裁判所前では前日から多数の人々が裁判の進展を要求して集会をもった。近郊の拷問の舞台となった軍事工学学校(エスマ)跡においても、「5月広場の母親と息子たち」が主催した、社会的な内容のロック・フェスティバルが開催された。現在右翼、退役軍人、元警官などが治安の悪化にたいして死刑の復活を要求しているが、「5月広場の母親たち」は明確にこれを拒絶することを言明した。「法と社会研究センター」(CELS)によると、1,254人の軍人と民間人が国家テロリズムにかかわったとされているが、このうち525人のみが裁判にかけられ、204件については審理がおこなわれており、48件に判決が下されている。525人のうち385人が逮捕されており、192人が死亡し、そのほかは自由の身であるという。「5月広場の母親たち」は100人におよぶ逃亡者、裁判の遅れによる刑の免除を終わらせることを要求している。クリスティーナ・フェルナンデス大統領も裁判の迅速化を求めている。一方2年前ジェノサイドの罪で訴えられていたブエノスアイレス警察捜査局の元長官ミゲル・エトチェコラツにたいし、最高裁は人道にたいする犯罪を認め、終身刑の判決を下した。このほかコルドバ州の第3軍管区の2500人以上が行方不明となった、ラペルラと呼ばれた拷問跡の記念地など、全国各地で記念する集会、討論会が開催された。今年はいくつもの重要な裁判が予定されており、また400人以上の行方不明者の乳児詐取事件の身元解明の取り組みも進められている。(0326)