こんばんは

ご覧頂きありがとうございます

\(^▽^)/






本日も

アーミッシュ
~禁欲教徒が快楽を試す時~
 



という映画を通して

想像力と
神と人との関係性

というテーマについて

考えてみたいと思います。






★神と人との関係性シリーズ★
バックナンバー









前回、前々回の作品で

紹介させて頂いた

アーミッシュ


絶対禁欲主義!



↑昔ながらの生き方を続ける
アーミッシュたち





暴力NO!

快楽NO!

文明発展NO!






というコトで

お酒も踊りも音楽もなし!

電気も
自動車も化粧品もなし!

という

清く正しい一生を
送る人々

です。







なんか

偉い人たち

ですね!







でも、彼らは本当に

生まれてから死ぬまで

文明社会を一回も経験せずに

暮らすのでしようか?







本日の

アーミッシュ
~禁欲教徒が快楽を試す時~


彼らの

知られざる一面

を知ることができる

貴重なドキュメンタリー映画です。







この映画のポスターを

よく見ると…









???







あれ?


(゜д゜;)







禁欲主義なのに…






タバコを
吸っています!






さらに





自動車にも
乗っています…







話がちがいますね!


↑今までの話と違います!







アーミッシュは

快楽を否定して生き

馬車などを使って暮らしている

人たちのハズでしょ!?






↑これがアーミッシュのハズ!?






はい

(*´∇`*)






実は彼らには

15歳の時に

アーミッシュとなることを
自分で決める儀式

が存在するのです!







キリスト教では

洗礼を受ける

ことで

正式な信者となるのですが

アーミッシュは

子供の頃に
洗礼を受けない

のです。



↑キリスト教のカソリックでは
子供の時に洗礼を受ける場合が多い








理由としては

まだ自分が判断できない時に

一生禁欲的な生活を
送ります!

と誓っても

大人になった時に

やっぱり私
こんな生活イヤです!

と言われてしまっては

お互い困るからだと思います。






だから

アーミッシュは

15歳になった時に

ルムシュプリンガ

という

自分が
アーミッシュになるかどうかを
決める期間

が与えられるのです!







そしてこの時期は

アーミッシュの戒律を
守る必要は
一切ありません!





だから

アーミッシュの子供たちは

15歳になると

自動車もコンサートも

酒もタバコもセックスも

やりたい放題!



↑イエ~!お酒もやるぜ!
(未成年だからホントはダメ!)









小さい頃から禁じられていたことが

全部OK

になるのですから

子供たちは大喜びです!





↑イエ~!麻薬もやるぜ!!
(これはもっとダメ!)






ルムシュプリンガの期間は

自分がアーミッシュになるかどうかを

決断するまで!







だから期間は

早い人は数ヶ月

長い人だと3~5年


人によって異なるのです!



↑ルムシュプリンガの時期は
親も教会も、彼らの行動を規制しません







なんで

こんな事をするのでしょう?







理由は色々だと思いますが

この映画の原題である

「DEVIL'S PLAYGROUND」

という言葉から

意味を考えてみましょう。







DEVIL'S PLAYGROUND

の日本語訳は

悪魔の遊園地







悪魔の遊園地とは

人間のカラダ

のことなのです。






人間は

弱さや誘惑によって

たやすく悪魔に乗っ取られ

堕落していく。







ルムシュプリンガを通して

一度そんな実経験をすることで

そのまま
悪魔の遊園地として生き
そして死んでいくのか

それとも

アーミッシュとなり
肉体を悪魔の遊園地から開放し
天国へ続く道へと進むのか


自分で決断させる






それが

ルムシュプリンガの目的

なのだと思います。







最初は

羽目を外して遊ぶ若者たちですが

アーミッシュになるのを拒否すれば

家族からは離縁され

もう二度と

故郷に帰ることができません。






彼らは

一人また一人と

村に戻る決意をし

約9割が戻っていきます。




↑私はやっぱり
家族と一緒にアーミッシュとして暮らすわ…






この映画では

アーミッシュを辞め
自分で生きることを決意した人


アーミッシュに戻っていく人

を公平に取材していきます。







文明を否定し
禁欲的に生きていく





家族と決別し
自分の運命を切り開き
生きていく






どちらが良いのかは

分かりません。






ただ

どちらかを
選択しなければならない

という

通過儀礼

があることは

生きる道を自分で選ぶ

という観点からは

大切なことなのではないかと思うのです。



↑家族と別れ
文明社会で生きていくのか…


↑禁欲的な村落で一生を過ごすのか…

決断は自分次第なのです。







という訳で次回は

神の意思というものを

どう解釈すべきかを描いた

「ポセイドン・アドベンチャー」

について解説してみたいと思います。








ではまた(*^ー^)ノ





※この作品は日本未公開ですが
i-tuneかamazoneで
字幕版を見ることができます。




アーミッシュ~禁欲教徒が快楽を試す時~ (字幕版)/作者不明
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