ガダルカナル戦書籍一覧


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2012年に御慰霊にお邪魔した時公開した記録です。
2012年 ガダルカナル島御慰霊行 目次

現在公開している御慰霊行の記録です
2014年 ガダルカナル島御慰霊行 目次

今まで調べたアウステン山の戦闘記録

見晴台持久戦を戦った歩兵第228連隊
第三大隊長・西山少佐の日誌は → こちら
第十中隊長・若林中尉の日誌は → こちら


現在地 ソロモン諸島ガダルカナル州 ホニアラ チャイナタウンカイバー
現地時間 14:17  日本時間 12:17


見晴台で疲れ果てた我々はホニアラ・チャイナタウンのカイバーで遅い昼食をとりローカルコーラをガブ呑みしたのであります。

コーラの清涼感に意識も鮮明となりガイドを努めてくれたサンディのバラナ村へ送り届けるべく再びギフ高地へと向かったのでした。

白線、我々の移動ルート

バラナ村に到着しサンディを送り届けたらホテルで行き倒れる予定であったのですが、カイバーの冷たいコーラによるものか思いのほか体力が回復しており少し歩いてみる事にしました。

今にして思えば見晴台で見事なヘタレぶりを見せてしまったのは基礎体力の問題もありますが逃げ場の無い太陽の下、体感温度は40℃を超え明らかに高温による熱中症一歩手前だったのであります。
冷たい飲み物と樹々の下で太陽の直射日光を避ければまだ動けるのだと確信した場面でありました。

前日ヒル27から北の台地を巡ったので白丸の南の密林地帯を歩いてみました。


↓昭和18年1月10日ヒル27が米軍の占拠するところとなった布陣図

同日の稲垣大隊川井兵長の記録 →アウステン山の記録 昭和十八年一月十日
F・H中隊が布陣した位置辺りが現在地と思われます。

ノニ氏宅に車を停めギフスクール方面へ

途中名も知れぬ花が我々を迎えてくれました。




最初の密林を抜けたところで村人が洗濯をされておりました。


洗濯場より坂を登ると広場があり立派な建物が・・・


ギフスクールであります。

バラナスクールではなく「ギフ」を呼称に使っているところは興味深く感じました。

中はこんな感じ・・・

カンボジアで見た教室が思い出されました。

スクールの広場には鶏が歩き


そして名も知れぬ花々





平和な南国の田舎であります。

さらに歩を進め


丸太橋を過ぎたところで


ノニ氏曰く「日本軍の塹壕だ」


此処にも


其処にも


現地では「こんな所にも塹壕があったのか」と驚いたのでありますが、今思えば米軍の重砲炸裂孔かも知れません。

そしてこの一帯で唯一発見された日本軍小銃の薬莢


村人が平和に過ごす生活圏とと戦争遺物が同居する村・・・バラナ村=ギフ高地でありました。

一時間ほど付近を歩きノニ氏宅へ戻ったところで「食べるか?」と聞かれ・・・

「其れは何だ?」と問うと
「ポポ」と答える。
何事も経験と頂戴する事に

ノニ氏は蛮刀を巧みに使い


どれどれと一口

味は・・・初めての味覚でありましたが美味しく戴きました。
マンゴーのような・・・マンゴー食べた事がないのですが(;^_^A
そんな感じでありました。
今WEBで「ポポ」と検索してみたところ・・・ポポーなる果実が存在し吃驚!!

こうしてガ島で動ける日を残すところあと一日とし、チャイナタウン近くの宿で疲れを癒したのであります。


つづく


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歩兵第十六連隊 連隊本部 最後の人事係 准尉  長谷川榮作さまのホームページ
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冥府の戦友(とも)と語る
お立ち寄り戴けましたら幸いです。



新発田歩兵第十六連隊の兄弟部隊である高田歩兵第三十連隊の従軍記録等を公開されているウェブサイト

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石坂准尉の八年戦争さま
と相互リンクさせて戴きました。



ガダルカナル島「丸山道」自主派遣隊 公式ブログ。
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