ガダルカナル戦書籍一覧


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2012年に御慰霊にお邪魔した時公開した記録です。
2012年 ガダルカナル島御慰霊行 目次

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2014年 ガダルカナル島御慰霊行 目次

今まで調べたアウステン山の戦闘記録

見晴台持久戦を戦った歩兵第228連隊
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現在地 ソロモン諸島ガダルカナル州 ホニアラ 戦争博物館
現地時間14:59    日本時間 12:59  


博物館の米軍スチュワート軽戦車


この画像を見て思い出したのが豪州の友人より頂戴した↓画像であります。


左上の画像は現在地博物館のスチュワート軽戦車

右上の画像は残骸となったスチュワート軽戦車


残骸となったスチュワート軽戦車の位置は・・・



昭和17年8月29日川口支隊としてガ島タイボ岬に上陸した一木支隊第二梯団は総攻撃のためひたすら西進、一木支隊第一梯団の生き残りと出会い一木支隊全滅の悲報を耳にしている。
第二梯団の将兵は第一梯団の仇を取るべく密林の中飛行場へと向かったのでありました。

以下、一木支隊第二梯団の速射砲中隊・木造 博氏の著書「苦難の道」より概略引用
9月13夕闇迫る頃、熊大隊(一木支隊第二梯団)は一中隊、二中隊、機関銃隊、工兵隊、速射砲中隊、弾薬班の順で前進を開始した。
速射砲を牽引しながら膝ほどもある流れのテナル川を渡る。
先行の小銃隊に遅れながらも前進をしていると川の左岸台上より激しい射撃音、続いてギャッという断末魔の悲鳴。
友軍の先鋒が敵の前哨を襲ったのだ。
我々速射砲隊も左岸台上へ上がり砲を据える。


9月13から14日にかけての川口支隊総攻撃の幕は切っておろされた。
小銃二個中隊は崖を上り草原を横切り敵陣に肉薄して行った。
速射砲中隊も崖を登った。
前面は草原でその奥にジャングルが横たわる。
暗闇で砲の組立完了。
正面ジャングル内の敵陣から猛烈な射撃が始まったが、彼我の戦闘状況は全く判らない。

14日朝、前線から小銃隊の兵隊が後退して来た。
水野大隊長戦死、第一中隊長佐藤中尉戦死、藤少尉戦死、加藤准尉戦死、小銃隊は甚大な損害を受け総攻撃は失敗に終わった。

我、大久保速射砲中隊は台上に四門の砲を据えて14日を迎えた。

大久保中隊長「おい木造、敵の戦車は現れるだろうか」
木造少尉「現れると思います。いや是非現れてほしいです」

タイボ岬上陸より此処まで言語に絶する苦難の行軍、大小三十あまりの川をある時は胸まで、ある時は腰まで浸かりながら人力・分解搬送、兵隊も泣いたが小隊長も泣いた。
人間の体力の限界を超えてこの陣地まで前進させたのである。

彼我の銃声がやみジャングルの北端あたりからエンジンの音・・・
戦車か!!
中隊長も小隊長も双眼鏡で敵陣の動きに前神経を集中する。

ジャングルの切れ目に黒い粒・・・
戦車だ。
二台、三台、四台、ぐんぐん我々に近づいて来る。
その数十台あまり。
速射砲にとっては願ってもない獲物だ。

各砲準備を整え命令を待つばかりだが大久保中隊長「まだ遠い、まだ遠い」と命令を出さない。
そのうち何を思ったのか敵戦車は全車両百八十度転換し、あっと言う間にジャングルへ姿を没した。

ガ島戦で使用されたと思われる九四式37ミリ速射砲

wikiより

「今のは強行偵察だ。必ずもう一度来る」
「充分引き付けて撃て。今の位置は千米はある。もっと引き付けて撃たねば米軍の戦車はやっつけられん」


一木支隊主力が全滅した戦闘でも壊滅状態になった時、敵戦車は蹂躙している。
この戦場でも昨夜来甚大な被害を受けた我軍を一気に戦車で蹂躙し壊滅させようとしている筈だ。

十分もたたぬうち敵戦車は再び不気味な姿を現した。
その数十四輌、速射砲中隊は戦車に照準を合わせ射撃命令を待った。

先頭車輌が我陣五百米に迫った時、大久保中隊長の射撃命令が出た。
満を持して四門の砲頭から一斉に火を噴いた。
直接照準で眼鏡の中に戦車を捕らえて撃つのだから百発百中、たちまち先頭集団の戦車に鉄甲弾が命中火を噴く。

一台の戦車は被弾のまま目亡滅法に前進し我陣地を通り抜けテナル川に逆さに落ちた。
後続の戦車は慌てて反転逃走を企てるがこの時がチャンス、反転のため横向きなって止まった戦車が最も照準しやすい。
長い様で一瞬の戦いだった。
敵戦車十四輌のうち十輌近くを破壊したのである。

以上・引用終わり


見事、イル川河口でスチュワート軽戦車に蹂躙された一木支隊第一梯団の仇を取られたのでありました。
その後、大久保速射砲中隊は弾の無い速射砲を放棄しテナル流域より密林を歩き飛行場を迂回、舞鶴道を経由してガ島西海岸へと苦難の行軍を経て到達する。
木造氏の著書「苦難の道」にはその行程を「死の行軍」という項に纏められている。



豪州の友人より頂戴したテナル川付近のスチュワート軽戦車の写真






木造少尉の証言がそのまま再現されている。

ヘンダーソン飛行場より回収して来たという博物館に展示してあるスチュワート軽戦車の弾痕・・・

大久保速射砲中隊が残したものなのかも知れない・・・





当然、此の地へ行ったのだろうと思われた方には深くお詫び申し上げます。
現在、政府管理地となっており立ち入り禁止なのであります。
そんな事情で豪州の友人の写真を掲載し博物館の戦車と共に記事とさせて戴いた次第です。

不利な戦いを強いられ艱難辛苦のガ島戦で数少ない勝ち戦の場面でありました。


大久保速射砲中隊の → 御戦没者名簿
心より御冥福をお祈り申し上げます・・・合掌


つづく


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と相互リンクさせて戴きました。



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