ガダルカナル戦書籍一覧


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2012年に御慰霊にお邪魔した時公開した記録です。
2012年 ガダルカナル島御慰霊行 目次

現在公開している御慰霊行の記録です
2014年 ガダルカナル島御慰霊行 目次

今まで調べたアウステン山の戦闘記録



現在地 ソロモン諸島ガダルカナル州 バラナ村=ギフ高地 ヒル27頂上 岡部隊慰霊碑前 
現地時間 07:44 日本時間 05:44





ギフ高地=バラナ村での戦いは米軍資料により克明に再現する事が出来ます。
昭和18年1月10日ヒル27が米軍の占拠するところとなった布陣図

同日の稲垣大隊川井兵長の記録 →アウステン山の記録 昭和十八年一月十日

昭和18年1月18~19日 ヒル42・ヒル27より稲垣大隊西方より米軍が攻勢を掛けている要図。

同日の稲垣大隊川井兵長の記録 → アウステン山の記録 昭和十八年一月十七~十九日
ヒル42とギフ高地の間は丸山草原と呼ばれ福岡歩兵第124連隊西畑大隊が布陣していたと思われるのだが生存者が少ないためか若しくは存在しないのか西畑大隊の戦闘記録を目にする事が出来ない。
この攻勢で稲垣大隊は米軍の侵攻を阻止するも完全に包囲されてしまう。

昭和18年1月22~23日 数次に亘る攻撃にも難攻不落のギフ高地稲垣大隊に対し業を煮やした米軍は戦車を投入し重機関銃・擲弾筒等の兵器しか装備しない稲垣大隊が陣地を突破され稲垣大隊長の独断により陣を捨て脱出を試みた要図

同日の稲垣大隊川井兵長の記録と稲垣大隊長の最期を語る榊原義一氏の記録 →アウステン山の記録 昭和十八年一月二十二~三日 ギフ高地

以上、米軍の一月攻勢により稲垣大隊は玉砕し生き残れたものは米軍の捕虜となった訳であります。


此の米軍の1月攻勢以前にもギフ高地攻略作戦は行われている。
↓要図は昭和17年12月18日~27日、実に十日間攻め続けたことが読み取れます。

場所はヒル31から稲垣大隊第五・六・七中隊布陣位置へ攻勢をかけております。


話を御慰霊戦跡巡拝行に戻し・・・
ギフ高地西南端、ヒル27=丸山高原=バッドマンヒルを下山。
歩兵第228連隊第二大隊・稲垣大隊の激闘跡を調べるべくヒル31方面へと歩を進めてみました。


黄色矢印先端、稲垣大隊第一線よりヒル31正面位置より
西方見晴台方面


この写真に要地を書き込むと・・・


少し右へ


見晴台の要地をもう少し詳しく・・・


さらに右へ


黄色矢印は昭和17年10月第二師団総攻撃の際、陽動作戦として仙台歩兵第四連隊・福岡歩兵第124連隊が攻勢をかけた推定進撃路


写真を撮るK隊員、ノニ氏曰く彼の立つ位置に稲垣大隊の重機関銃掩蓋銃座があったとの事


彼の前に広がる風景・・・
昭和17年12月18日から27日にかけて米軍が攻勢を掛けてきた位置であります。

この遮蔽物の無い草原を登り攻め込んで来たと推察されるが・・・機関銃の餌食ではないか。
十日も費やしギフ高地を落とせなかったのも頷けます。

そしてその位置付近に落ちていた手榴弾片・・・


此処もまたまぎれもなく激戦の地だったのであります。


つづく


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石坂准尉の八年戦争さま
と相互リンクさせて戴きました。



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