ガダルカナル戦書籍一覧


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2012年に御慰霊にお邪魔した時公開した記録です。
2012年 ガダルカナル島御慰霊行 目次

現在公開している御慰霊行の記録です
2014年 ガダルカナル島御慰霊行 目次

現在地、堺台東端米軍メモリアルパーク
現地時間 15:24


メモリアルパーク東端より①から④方向の写真
①→ マタニカウ川河口

昭和十七年8月7日、米軍上陸により完成間近の飛行場を追われた海軍警備隊が態勢を立て直し防御線としたマタニカウ川河口

②河口より約500メートル付近 この辺りが一本橋ではなかろうか

とするとこのメモリアルパーク付近が昭和17年11月1~3日にかけて激戦が行われた歩兵第四連隊第二大隊の陣地か・・・
正面左から中央に続く台地が日本軍呼称「サル高地」

③サル高地と堺台に挟まれマタニカウ川沿いの平地が少なくなる

此処辺りから上流にかけての一帯が昭和17年10月7~9日に歩兵第四連隊第一・三大隊が激戦を繰り広げた位置。

↓当時の写真 A地点が↑写真の正面台地 B地点が歩兵第四連隊が誘い込まれ包囲された地点

此のB地点で約三百名の戦死者が出た。

④↑B地点から見晴台方面 正面見晴台の手前一帯がB地点右上の密林

歩兵第四連隊の「マタニカウ川付近の戦闘」は此の写真に写る範囲内で行われた可能性が高い。

見晴台は昭和17年11月より翌年1月まで歩兵第228連隊第三大隊が持久戦の防御を固めた陣地である。
軍神・若林東一中尉も此の見晴台で散華されている。


メモリアルパークは数ある戦跡を一望できる場所に位置している。
此の地もまた多くの日米両軍兵士が散華された地なのであります。

日米両軍兵士の御霊安らかなることを祈念・・・合掌






メモリアルパークを後に高級リゾートホテルのメンダナホテルさんから転宿すべく安宿を探しに堺台をウロついて最初に記憶に残ったショップ。

BAKAと書かれている・・・「馬鹿か???」と思わず一枚。
この一帯、当時は密林と禿山だったが今では一等住宅街となっておりました。

そしてこの時は勉強不足により認識しておりませんでしたが・・・
天才彫刻家・高橋英吉氏が御戦没された「小川上流500メートル右岸台地」だった事に最近辿り着く事が出来たのであります。

つづく


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と相互リンクさせて戴きました。



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