愛する人に持っていてもらいたいもの
もし、5万円で愛する人に一生持っていてもらいたいものを買うとしたら、なにを買いますか。
金額が現実的過ぎですみません。
わたしだったらこれを買う、というものが見つかり、買いました。
ライフ・セーバー・ボトルです。
災害など緊急事態の際に一番に問題になるのが安全な水の確保です。食料や医療品の前にとにかく水が必要です。しかし、水は重たくて輸送に非常にコストがかかります。しかもスペースも取るし。家族4人で3日分の非常水をストックしておくと、ひとり当たり一日2リットルと考えて、24リットルです。
これは純粋に飲み水ですので、怪我をしたときに傷を洗う水などは含まれていません。
それ以上に、水はペットボトルに入っているわけですので、災害地にペットボトルが散乱する、という環境面へのインパクトも見逃せません。
洪水や地震などで、上水の供給が途絶えた。そのあたりにある水は細菌や微生物などに汚染されていて飲んだり怪我を洗うのには使えない。でも、その汚染された水さえ有効利用できればペットボトルの水は必要ない。そんな時。
もちろん、水に浄化作用のある化学薬品を入れる、というのもあります。でも、やっぱり、なんか、それは怖い。生きるか死ぬかの瀬戸際に、水に入れた化学薬品が怖いとか甘えたことを言ってるんじゃねえ、という感じがします。でも、この水の中にはたくさんの微生物や細菌の死骸が入っている、と思うとなんか感じ悪いです。
そこで、物理的フィルターで、細かい泥などだけではなく、微生物や細菌までこし取ればいいのでは、というので開発されたのがこのライフ・セーバー・ボトルなのだそうです。99.99%まで細菌や微生物が取り除けるのだそうです。
ボトルの後ろを開け、水を入れてしめて、ボトル内蔵のポンプで水をフィルターに通せばあっという間に安全な飲み水の出来上がり。しかも、蓋を閉めたままこのポンプを必要以上に使うと水が飲み口から噴出してくる、という安全機能つきだそうです。この安全機能は傷を洗うのに使うことができます。
わたしが買ったタイプは一本で4000リットルの水をフィルターすることができます。
ボトルのプラスティック部分はリサイクルができますし、環境に有害な化学物質も使わないので地球にも優しい。ペットボトルという廃棄物だってまったくでない。コストだって、必要な水を常に備蓄して輸送するのに比べれば、一本5万円という値段はむちゃくちゃ安いといえます(実費コストの約10分の1)。
日本はなんだかんだいっても地震や洪水という災害を避けて通ることはできない国だと思います。そういう国に住んでいるKに絶対に持っていてもらいたいと思って、少々高かったのですが、思い切って買いました。
わたしはこのボトルを作ってる会社の回しもんじゃないけれど、このボトル、絶対にお勧めです。ニュースで聞いてすぐに申し込んで買いました(それでも品薄になっているようで1ヶ月近く待ちましたが)。非常用持ち出し袋にペットボトルの水のかわりにこれを一本入れておけば、軽くなるし水が足りなくなるということも(日本みたいな国であれば)心配なくなります。
製造元のHPはこちら です。
離れているので、いざというときにそばにいれないわたしのかわりにKの命を守ってもらうものとして彼女に押し付けたいと思っています。
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ちなみにフィルターは物理的フィルターで化学的フィルターではないので、塩水や尿などを真水にすることはできません。活性炭フィルターがついていますので、ある程度の化学物質(殺虫剤や農薬、鉛などの重金属など)は取り除けるようです。
軍なんかで使用されているようです。それと同時にさまざまなボランティア団体で災害救助のために採用もされているようです。
息子の怒るところ
息子はものすごくよくしゃべる。子供のころからそれは変わらず、いまだに車に乗っているとき、食事のとき、べらべらとよくしゃべる。自分のガールフレンドのことも、野外ロックフェスティバルでの飲酒についても、とにかくなんでもしゃべる。まあ、それはいいことなので、ふんふん、と聞いて、注意すべきことはして、アドバイスすべきことはして、おかしな部分に関しては質問をして。頭ごなしには怒らないように。
さて。ある日。
「頭に来るんだよねー」
と息子が言い出しました。
「めずらしいねえ、君が頭に来るなんて」
「だってさー、学校で何人かが、『自分はバイセクシュアルだ』ってえらそうに言っててさー」
なるほどね。自分が特別だって言いたい年頃だしね。同じ理由でお前はベジタリアンになっとるやろ、と突っ込まないで、ふんふん、とうなづいて続きを聞くことにします。
「そんな、13歳くらいのガキが、自分のセクシュアリティーなんかわかるかっちゅーの」
はい。君も13歳のガキでっせー、と突っ込まずに、ふんふん、と続きを聞きます。
「男も女も好きとかさー、セックスもしてないくせにー」
13歳でセックスするのは、①違法行為なのでやめましょう、②正しい避妊や性病の知識をまず身につけましょう、③まあそんなにあせらんでもええでしょう。
「どうよ、どうおもうよ、おかあ。ほんとにバイセクシュアルってわかるのかよ」
「まあ、わからんやろねえ」
思春期には身体的な変化、社会との軋轢、ホルモンバランス、社会との距離、知識量の飛躍的増大、もろもろの原因で基本的にアイデンティティーが不安定になっとるんですよね。なので、自分が何であると決め付けないで、自分がなんなのかとか自分がどうなりたいのかとか、そのためにどんな努力をするとか、考えたほうがいいでしょうねえ。
それ以外に、ホルモンバランスの影響で「ティーンエイジ・ゲイ」っていう現象があるんですよ。一時的に異性よりも同性に性的興味が出てしまうらしいです。それとか自分のジェンダーと生物学的性が一時的に相反するものになったりね。それがそのまま自分のものになることもあるし、さらに変化をしていく場合もあるし、いろいろですね。
「まあ、だから、あんまりこだわらんとな。うん。男を好きになったらそれでいいし、女を好きになったらそれでええしな」
「うん。・・・おかあは、正真正銘の同性愛者でしょ」
「・・・それは、わからんよ。なにが正真正銘の同性愛者って言えるかはしらん。そんなテストもなければ、遺伝子も発見されてないしね。今、愛してるのは女性であって、だから現時点で自分のセクシュアリティーを聞かれたら同性愛者って答えるけどね」
「むぅ・・・」
なにが、むぅ、なんですかね?
「でもさ、ああいういい加減なバイセクシュアルは許せない・・・。そうやって自分が違うっていいたいだけなんだ。女も好きとか男も好きとか。きー」
なんというか。
こんなふうにセクシュアルマイノリティーであることが禁忌じゃなくてカジュアルに子供達の間で話されていることになんだか、いい意味で「最近の若いもんは」と思っていたわたしでした。
まあ、しかし。
セクシュアルマイノリティーを特別視してかっこいい存在にして、意図的にそういうアイデンティティーを自分のものにする、というのはどうかなあと思うんですけどね。別にいいんだけど。でもまあ、あんまりこだわったりしないほうがいいような気もする今日この頃です。
おめんと遊ぼ。
寒くなってきました。
おめんは外に遊びにでることができず、欲求不満でわたしに遊べと命令してきます。
猫で12歳といえばけっこうな年で、今まで飼っていた猫たちはだいたい12歳から15歳の間に犬歯を何本かなくし、性格も穏やかになり、喧嘩も狩りもしなくなり、一日20時間くらいは寝ていて遊ぶのも減っていたのですが。
おめんは犬歯は失くしたものの、いまだに狩りはするわ、遊ぶと大騒ぎだわ、喧嘩も派手にしまくるし、睡眠時間は10時間くらいだし・・・。お客さんたちには、子猫かわいいですね、って言われるし。
なんというか、スーパージジィ猫になりつつあるおめんです。若さの秘訣を教えてもらいたい。にゃ。
豹柄リボンで遊ぶおめん。シャッターボタンを押してから実際にシャッターが切れるまでの時間に限りなくタイムラグがあって、わたしがキレそう。
おめんさん、こっちを向いてくださいな。
休憩中。
この後姿を見ているうちにむらむらと創作意欲が。ああ。げいじつの秋。
踊る風邪の菌。
こういう奴らがうようよしてるんですかねえ。
皆様、お体をお大事になさってくださいませ。
・・・。
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ここから切り取ってご自由に思う存分ゲイジツしてくださいませ。
秋ですもの。
猫のいる診療所
おめんの現在のかかりつけの獣医さんの待合室には猫が住んでいます。
犬はよく知らないのだけれど、わたしが知っているかぎりの猫は獣医さんが大嫌いです。おめんも以前に大病をしたときに獣医さんに連れて行くと、普段はぐったりとしていて死ぬんじゃないかと思っていたのに、ものすごい勢いで暴れるわわめくわ・・・。ストレスでかえって病状が悪化するのでつれてこないでください、と獣医さんに言われてしまいました。
そこで、エッセンシャルソルトというものをもらいました。それを分量の水で溶かしてプラスチックの小さな注射器で一滴ずつ口にたらして飲ませる、というのを1週間くらい続けたのかな・・・。
クロちゃんはいたちにかじられた傷を獣医さんが洗おうとしたらそれまでおとなしくしていたのに、いきなり信じられない角度から鋭いジャブを繰り出し、牙をむきました。すごい迫力でした。怖かったです。
カジキマグロはもっとひどかったです。わたし以外の人間になれていなかったので、キツネに噛みつかれ下半身に大怪我を負ったとき、夜中に迎えに来た獣医さんと怪我にもかかわらず雄々しく戦いを繰り広げました。なんとかかごに突っ込んで診療所に連れて行ったものの、抑えることも捕まえることもできなかったそうです。最終的には麻酔銃(の様なもの)を使わざるを得なくなったそうです。そして、麻酔が効いて手術中もうなりつづけたそうです。それ以来、わたしがその診療所に行くと、「あの猫じゃないでしょうね」と受付の人に詰問されるようになってしまいました。
このカジキマグロの例はかなりの極端なものだと思うけれど、でも、猫は獣医が嫌いだと思う。獣医が好きで、獣医に行くのを楽しみにしている猫っているんでしょうか?
だから、いつも獣医さんに行くたびに、「この人たちは猫がきっと好きで獣医になったんだろうに、ここまで嫌われてなんて不幸なんだろう・・・」とひそかに同情をしています。
が、おめんの現在のかかりつけの獣医さんの待合室には猫が住んでいます。たいていは受付のカウンターの上にお客さんに背を向けて座っているという、招き猫ならぬ、「とっとと帰れよな」猫、って感じ。
先日、フロントラインと虫下しをもらいに行ったときにも受付のカウンターの上で見事な背中を向けて座っていました。
果たして、この猫は獣医さんが好きなんだろうか、と謎に思う今日この頃。猫に言葉が話せるものであれば、獣医の診療所の待合室の住み心地を是非聞いてみたいのですが。
浜松雑記 その4
浜松にいたときに都田テクノというなんだかよくわからないところにあるカインズモールによく出かけた。DIYショップとスーパーマーケット、そしていくつかの専門店とファーストフードのお店がある、日本にはよくあるタイプの郊外型ショッピングセンター。
そこに行くと用もないのにDIYショップを見て回ったり、スーパーも端から端までじっくりと見て回ったりして3時間くらい平気で過ごしていた。わたしはそうやってゆっくりとお店の品物を見て回るのが好きで、Kも文句を言わずにわたしにゆっくりと付き合ってくれる。でも、なにを買うわけではない。ただ、ゆっくりと見て回るだけ。
なので、接客をされると本当に困ってしまう。お客の顔もみないで
「いらっしゃいませー」
などと、マニュアルに書いてあるからされる挨拶も嫌だし(だいたい挨拶とはきちんと対象となる人に向かって発するものではないか)、売る気満々で近づいてきて、
「これなどお似合いですよ」
と、明らかに似合わないと思われる洋服を勧められるのも嫌い。化粧品売り場でいきなり香水をかがされたりするのも嫌い。香水に関しては香水そのものの人工的なにおいで頭痛がするので嫌いだから、店員さんの責任ではないのだけれど。用事があればこちらから声をかけるし質問もするのだから、放っておいて、と、非常にわがままなことを思ってしまう。
そういう点で、こういう大型店舗はデパートなんかに比べるとわたしの好みにあっている。
このカインズモールの裏にはかなり大きな公園がある。そして、ショッピングセンターから歩道橋を通ってその公園にいけるようになっている。この遊歩道を支えている柱は遊歩道の上にゆるやかな曲線を描きながら伸びている。よくあるデザインだろうと思って無視をしていた。
Kと公園でたこ焼きでも食べようと、ショッピングセンターでたこ焼きを買って橋を渡ったら、植え込みの中に隠れるようにひっそりと橋の説明が書かれていた。それによるとこの銀色の上に伸びている支柱はロボットアームの先っぽをイメージしているということがわかった。テクノロジーだからねー・・・なるほどねー・・・。
そんなことを思いながらふと歩道橋の下の道に並ぶ街灯を見ると。
同じデザインが街灯の支柱のてっぺんにもついていた。
はぁ。テクノロジーだからねー・・・。
町の中にあるいろいろなものは確かに誰かがある種の意図を持ってデザインをしているはず。なのにそれを当たり前のように無視をしてしまっているんだな、と、無名のデザイナーたちに敬意をささげたく思った昼下がりだった。
浜松雑記 その3
Kが滞在している研究施設の近くにうなぎ屋があります。近くではたぶん一番おいしいといわれているお店です。メニューはうな重とうな丼くらいしかありません。そしてうなぎの刺身があります。
ずいぶん前にKが母上と行ったときに注文をしたら
「ごめんなさい。今日は切らしてるんです」
といわれたそうです。その後、父上と弟と行ったときも同じことを言われたそうです。
「それってさー、実際にはないメニューなんじゃないの。うちのうなぎは新鮮で刺身でも食べられますってアピールのためだけにメニューに載せててさー。頼まれると、今日は切らしてますっていうことになってるのでは?」
なんて、わたしは意地悪なことを言っていました。Kは優しい人なので、そんなことはないと思う、と静かにわたしを諭してくれます。
そこで、二人で行ったときにも、うなぎの刺身を頼んだのです。そうしたら。
「ごめんなさいねー・・・今日は切らしてるんです」
もう、笑いをこらえるのにものすごく苦労をしましたよ。今日は、やなくて、今日も切らしてる、やろ~、やっぱりないんやん、メニューに載せてるだけやろって。
そのお店の名誉のために付け加えさせていただきますが、うな重もうな丼も本当においしかったです。
そして、こちらの記事 のコメントでayaさんから浜松のおいしいうなぎ屋さんを紹介していただきました。全部に行っている時間がなかったので、最後になってうなぎ茶漬けを食べに八百徳へ行きました。
「今日は、はっぴゃくとくに行こうねえ」
と、わたしがいうと、Kが
「やおとく、だよ」
と冷静に訂正をしてくれました。
「え? はっぴゃくじゃないの?」
「あのさ、やおやってどう書くか知ってるでしょう?」
「うん」
「あれと一緒。まさか、はっぴゃくやって読んでたのでは・・・」
「知ってるよー。やおよろずのかみ、とか、やおちょう、とかも八百って書くでしょう」
「だから、それと一緒だって・・・」
考えてみれば、確かにそうなのに。なぜかわたしの頭には「はっぴゃくとく」とインプットされてしまい、何度言ってもいい間違えるのです。
地図で場所を調べて駅前の八百徳に向かいます。そして、交差点の信号待ちで目的地の看板を見つけたわたしは、メットの風防を開け看板を指差して、Kに大きな声で言っていました。
「あ、ほら。はっぴゃくとくって書いてある!」
Kは冷静に訂正してくれました。
隣の車の運転手さんがぷっと噴出していたのをみて、バイクに乗ってると会話のプライバシーがなくなってかなわん、と思ったわたしでした。
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八百徳のうなぎ茶漬けはとてもおいしかったです。量もなかなかいい感じで。ただ、お店の人が観光客相手に同じことを何度も繰り返しているせいか、食べ方の説明をしてくださるときに、お客さんに対して説明するというよりも、マニュアルとして覚えている言葉をお経のように繰り返すのが気になるといえば気になりました。
タイトルですが。ま一応、オリジナル(?)の「浜松雑記」で。
申し訳なかったと思います。
離婚の合意が成立してそろそろ一週間。なんだかとても落ち着いたように思います。
毎日の生活は今までとはほとんど変わりないです。淡々と静かにほとんど隠者のように生活をしています。人にもほとんどあわないし、客も来ることもない。たまに来るのは息子だけ。秋の木の葉が降り積もりつつありますが、誰も来ないのでそのままにしてあり、門から玄関に続く石畳はすっかりと落ち葉に埋もれています。
その落ち葉の真ん中にひそやかにおめんがつけた獣道が通っていて、夜になるとハリネズミがそこを通っているようです。なんでわかるか、というと、うんこが落ちていたからです。笑。
夜ともなると、月を相手に酒を飲み。ま、それも、最近は重いお酒を持って帰ってくるのが面倒くさく切らしたままなのですけれど。
そんな感じで、生活の表面は変わらないのですが、気持ちも落ち着いたように思います。
一番それを感じているのはおめんだと思います。そして、劇的に変わったのもわたしとおめんの関係でしょう。
お恥ずかしい話ですが、自分の気持ちが不安定だったこの7月から10月までわたし達の関係はひどいものでした。
わたしがいらいらして不安で情緒が不安定になっているので、おめんも不安になるのか、ちょっとしたことで泣き喚きわがままをいい、まるで2歳の子供のようでした。わたしの注意を引こうとしてありとあらゆるいたずらをする。朝早くから鳴いて鳴いてかまってほしがる。それでわたしが余計に情緒不安定になりついついおめんに当たってしまう。おめんが情緒不安定になる・・・。
そんな感じの果てしないスパイラルに落ち込んでいました。一時期はかなり真剣にこのままでは、育児ノイローゼのようにかっとなって自分のコントロールが効かなくなりおめんに暴力を使ってしまうのでは、と真剣に悩みました。そんなことになってしまう前に動物愛護協会に引き取ってもらい、里親を探すことを考えたりもしたくらいです。一晩中鳴かれて一睡もできなかった日が続いたときは、もう耐えられない、捨ててしまいたい、などと口走ってしまうこともありました。
それでもなんとか乗り越えました。そして、今、わたしの落ち着いた気持ちが伝わるのか、おめんもすっかり落ち着きました。不思議なものです。猫って人間の心を映すんですね、きっと。
それで、落ち着いたら落ち着いたで、人間のことなんて完全無視ですわ。自動えさ出し機くらいの扱いです。
まあ、そんなことを言っていますが、わざわざわたしがいる部屋へ来て日向でごろごろしたりしています。
おめんさん、ひっくり返っておなかを見せて無防備で寝るのは猫としてどうかと思うよ。
熟睡中なんだからほっといてよ。
こういう姿を見て、しみじみと感謝の気持ちを抱くのです。
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人間同士だと、話したり説明したりできるんだけどね。おめんには言葉が通じない分、つらい思いをさせてしまいました。
言葉は通じて、状況を理解できても、Kだってつらい思いをしたに違いないのです。
だから、本当に感謝しているのです。
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そういえば、浜松雑記なのか浜松雑感なのか、どっちなんでしょう。ちゃんと確かめずに適当にこうだったのでは、なんて感じで題名をつけているこのいい加減さ。気がついて直そうかと思いもしたのですが、その辺が閑人たるゆえんということで。ほったらかしです。
落ち葉は積もるにまかせ、草は伸びるにまかせ、果実は落ちるにまかせ、自分は間違えるに任せる。
まちがっとるなーって自分で思うから、間違いが存在するわけで、それを直して無しにしては間違っていたことにはならないではないですか。間違っていなかったことにしてしまうではないですか。それでは反省はいずこに存在できるのです。・・・なんて、わけのわからんことを言ってみる。いいわけや、いいわけ。笑。
浜松雑感2
浜松についた日に、レンタカーを返しに駅前に向けて車を走らせているとき、Kが道の周りに広がる田んぼを指差して言った。
「このあたりにはたくさん白い大きい鳥がいるんだよ。あれって鶴かなあ」
いや、この辺に天然記念物がおったらびびるから。と思いつつ、
「白鷺では・・・」
というと
「ああ、そうそう。うんうん。江ゐって本当になんでもよく知ってるねえ。すごいねえ」
と感心されてしまった。それが本当かどうかについて時差ぼけの頭で考えるには疲れすぎていた。そして、その日には残念なことに鷺を見つけることはできなかった。Kはとても残念がってわたしに見せたかったのに、と何度も繰り返していた。
その後も、わたしは滞在中、ほとんどなにもする気力がなく、Kが仕事に行っているあいだはテレビの前に寝転んでぼんやりと一日を過ごしていた。Kが帰って来てから、買い物に行くのも基本的には近くのショッピングモールで済ませていて、白鷺を目にする機会はなかった。
もうあさってにはわたしが帰る頃になって、Kが少し離れたスーパーに行こう、と言い出した。そこのおにぎり屋さんでおにぎりを食べよう、という。おにぎりの好きなわたしを連れて行きたいというKの気持ちがうれしい。
そこで、Kと二人、単車にまたがって出発をした。
そうして田んぼの広がる道を進んでいると、Kが
「あ、いま、詐欺がいた」
という。・・・イントネーションが詐欺になってるやんけ、と心の中で突っ込むも、一瞬の差でわたしは鷺を逃してしまった。
「見えなかった・・・」
「残念だったね・・・」
そんなことを信号で止まるたびに話していたら。
「ねえ、あれって・・・」
「たぶん・・・」
前方の稲刈りの終わった田んぼに白いものがぼこぼこと立っている。鷺がどういうわけか集まっている。
「しゅ、集会?」
「なにを話してるんだろう?」
一瞬、ヒッチコックの「鳥」を思い出してしまった。
帰りに同じ道を通ると、鷺の数は増えつつあり、ますますヒッチコック風になっていた。
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覚えているうちに、浜松の雑感をまた。
写真を撮ればいいんですが、カメラを持ち歩く習慣がない二人だし、携帯電話も持っていない二人なので、わたしのへぼい絵で失礼します。実際には1反くらいの田んぼに20羽以上はいたでしょうか。
ボランティアの一環で、わたしがモラ夫から脱出する際にとてもお世話になったコースのテキストの日本語訳を作成することにしました。Freedom Programmeというあれです。以前、一度だけ記事にしてそのまま頓挫しています。やはり著作権もあることなので、早々勝手に自分のブログに記事にはできないなあと思っていました。そこで、コース作られた方にコンタクトを取り、日本語訳をさせていただくことになりました。さて、クリスマス前には完成させたいものですが。がんばります。
浜松雑記 その1
浜松は南国だ、とわたしは思いっきり主張したい。
Kの宿舎の外には蘇鉄の大木がある。広々とした敷地内を散歩すればたわわに実ったみかんの木や柿の木がある。百日紅の赤い花も、お茶畑の畝も、梨園も、なにもかもが南国だと思った。
見慣れた白樺や樫の木、りんごの木はどこにも見当たらない。
気温も最低が17度で最高は27度、とわたしが住んでいるところの真夏の気温であるにもかかわらず、涼しくなって過ごしやすい、とKは言うのだ。バカなことを言わないでほしい、こんな気温はわたしにとっては真夏だと、風呂上りには裸で倒れていると、Kが喜ぶのも頭にくるくらい、暑い。
それだけではなく、10月だというのに蚊がいる。夜になり少しは涼しくなった風を呼び込みながらゆれる蚊取り線香の煙に、夏だなあ・・・なんてつぶやきたくなってしまう。
本当に浜松は南国だと思った。
それでも確かに秋は来ているのだろう。Kの単車の後ろに乗っていると風は心地よく肌を冷やしていく。でも、単車を天竜川の土手に止めたとたん、湿った生暖かい空気が押し寄せ、蚊がわたしの周りを飛び交い始める。河川敷でのんびりとゲートボールをしている人たちは蚊が気にならないんだろうか。長袖のシャツに帽子をかぶって完全装備で暑くはないんだろうか。
そんな風に、南国だ、南国だ、とお経のように唱えながら単車の後ろでKにつかまって、みかん、百日紅、梨、お茶、芙蓉、コスモス、彼岸花、稲、と見える植物を数えていた。その中に、深い緑色の葉の間に小さな丸いオレンジ色が浮いている木がある。よく見えないのだけれど、きっと金柑だろう、わたしの住んでいる国では鉢植えで室内で観賞用に育てるだけなのに、と感心していた。
けれど、その木の近くを過ぎるたびに匂ってくる。この香りはいったいなんだろう。甘くてさわやかな香り。
ああ、丹桂だ・・・。
キンモクセイとも呼ばれるその木のことはすっかり忘れていた。オレンジ色の固まりは金柑の実ではなくて丹桂の花の房だった。南の暖かい国でしか育たないこの花の香りをいったい何年忘れていたんだろう。
信号待ちで、メットの風防を開け、Kに話しかける。
「ねえ、キンモクセイが咲いてるよ」
「ああ、そうだね」
前を向いたままでKがうなづいて、わたしの膝をぽんぽんと叩いた。
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浜松の雑感をぼちぼち。
キンモクセイという名前がどうしても便所の芳香剤と重なるので使うのに抵抗があります。なのでひとりで胸の中で丹桂と呼んでいます。