ハイキックトレイシー編     兒玉ハルオ 1 | あらたま書店

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 小学生の頃買ってもらったCDラジカセは、当時の兒玉ハルオにとって宝物だった。

 最初はCDを買うお金が無かったので、兒玉はいつもFMラジオの音楽番組を聞いていた。金曜日のリクエスト番組はどこでも聞けるような最近の音楽ではなく、懐メロや洋楽などが中心に流れていた。

 だからというわけではないが、最初に買ったCDは洋楽だった。聞いた事があるバンドのCDが中古で安く買えたというのが、そのCDを選んだ理由だったが、それでもいくつか聞いた事がある曲が入っていたし、その他の曲もカッコイイと思える曲ばかりで十分満足できた。

 兒玉は曲作りにも興味があった。教材として配られた鍵盤ハーモニカで、よく作曲のまねごとをしていた。

 中学の時兒玉は宮脇拓也と出会った。宮脇の家は裕福(兒玉の家に対して比較的という意味で、中流家庭であることは変わりない)で、自室にミニコンポがあり、CDも数十枚あった。音楽の知識も、若干ロックに偏ってはいるが、豊富で、兒玉は宮脇といることでより音楽に詳しくなっていった。

 中学2年の半ばで兒玉と宮脇はあと2人仲間を入れて、「キック・トレイシー」というバンドを組んだ。名前の由来は当時二人の中で空手が流行っていたことと、トレイシーは好きなバンドのギタリストの名前から取ったものだった。

 キック・トレイシーの活動は、紆余曲折はあったものの高校2年まで続いた。高校3年に上がると同時に宮脇は「チェリー」というバンドでインディーズデビューをし、さらに1年後メジャーデビューも果たした。

 別に宮脇と不仲になったというわけではなかった。

 高2の夏休み頃、宮脇が兒玉のもとへやってきて「すげぇやつに出会った」と興奮しながら言った。その「すげぇやつ」というのがチェリーのヴォーカルである磯谷裕子である。

 もともとチェリーは宮脇が磯谷のためにつくったバンドだった。最初はキック・トレイシーに入る予定だったが、その時のヴォーカルともめて、宮脇だけがキック・トレイシーから抜ける事になったのだ。

 皮肉なものでチェリーのデビューが決まった時、そのヴォーカルも潮時だとキック・トレイシーから抜け、バンドは解散となった。

 兒玉はチェリーにも曲の提供をしていた。これが結構評判良く、チェリーのメンバーかもしくは作曲担当にならないかという話もあった。しかし兒玉はその話を断り、ビジュアル系バンド「ハイキック・トレイシー」としての活動を始めた。メンバーはチェリーの所属するレコード会社の人に紹介してもらった。

 ハイキック・トレイシーは楽曲ができるとすぐにデビューが決まった。そもそもそういう約束でヴォーカルを失ってくすぶっている、ビジュアル系バンドの再生を引き受けたのだった。

 メンバーは以前の活動からファンを持っていたし、兒玉の曲の出来チェリーで立証されていたので、後は兒玉の歌唱力次第だった。しかし売りだしてみると、これが好評で、メンバーは全員年上だったが、すぐに兒玉の能力を認め、ハイキック・トレイシーは兒玉中心で活動することが約束されたのだった。

 それでもハイキック・トレイシーの人気は、先にデビューしたチェリーには遠く及ばなかった。兒玉は悔しい気持ちもあるにはあったが、友人である宮脇が成功することを妬んだりはしなかった。

 兒玉の楽曲の評判はアイドルグループ「アイドルボックス」のプロデューサーである犬神の耳にも入り、そのアイドルボックスのユニットの一つ、「アニマルダンス」の楽曲も手掛けるようになった。

 アニマルダンスは相楽いおん、樺沢麻衣子、斉木愛の3人組ユニットである。

 アニマルダンス自体はアイドルユニットという事もあり、そこまでブレイクしているとは言えなかった。しかし兒玉の楽曲のファンが、チェリーとハイキックトレイシーから流れてきているという部分もあり、そこそこの人気はあった。もちろんアニマルダンスのメンバーそれぞれが活躍していたという事もあるとは思うが、楽曲の評価は、他のアイドルボックスのユニットよりも高かった。

 兒玉の曲はハイキック・トレイシー、チェリー、アニマルダンスと、これまで全ての局面で評価が高く、音楽業界ではまだまだルーキーであるにもかかわらず、多くの人に一目置かれる存在となりつつあった。

 ある日レコード会社の喫煙席で、たまたま鉢合せた宮脇に兒玉は言った。

「また一緒にバンドやろうぜ」

 宮脇は笑みをこぼした。

「まあ、それも面白そうだが」

 ため息交じりに言ってから「今はな」と続けた。

「今は、チェリーが一番だからさ。裕子はもっと上へ行ける。今はそれに全力を注がねぇとな」

 兒玉は本気だったが、宮脇の答えも分かっていた。

 宮脇は真っ直ぐ自分の信念に生きる男だ。自分はどうだろうと兒玉は思い返し、どれもそれなりにうまくはいっているが、なんだか中途半端であるように感じた。

「どうやったらお前に追いつける」

 もう立ち去っていた宮脇に、兒玉は呟いた。答えは空調の風に吹かれるだけだった。