どもっす。。
ベルリン観光現地個人ガイド
ドイツに30年以上住んでいる後藤裕起子です♪
専用車のご用意もございます
ベルリンの壁が崩壊して28年目を迎える
ドイツから今日は!
ベルリンに壁が造られ、東西分断されていた時間は
1961年8月13日から1989年11月9日まで
28年と約3ヶ月
約28年という計算で行けば、
丁度分断されていた時間と
再統一された時間が
今年の11月で物理的に同じになるって言う訳なんです。
苦しい時に流れる精神的に感じる時間の流れは、
楽しい時のそれに比べると、
長〜く感じるのは人情の常でしょう。。
楽しい時ってあっという間に経っちゃいますよね〜。
例えば大切なあの方とお会いしているときとか、、。
私の自慢は、
ベルリンの壁の崩壊の時ドイツに住んでいて
具にその当時を体験したっていうことなんです。
あまりにも貴重な体験なので、
おしみなくお客様にその時の話しをさせて頂いております。
実際、分断時代の東西の様子を知っている者にとってみると、
壁崩壊後のドイツの発展は隔世の感がございます。
まさに
欧州と一体化して行くドイツの姿。
この壁の崩壊前後から現在に至るまで、
欧州の中でのドイツの位置付け。。
西ドイツと東ドイツが1つに統合された際、
東ドイツの国家は消えてなくなっちゃった
東ドイツの国民が東欧諸国の西ドイツの大使館に駆け込み、
そこに何ヶ月もテントを張り、
西ドイツのヴィザをもらうまで動かなかった
10月にはすでにホネッカー政権は退陣していました。
西ドイツの外務大臣がヴィザを出し、
東ドイツからの難民を受け入れた。
そこでどうにもならない所まで行き詰まっていた旧東ドイツは、
通行門を開けたんですね〜。
もう大歓喜で、涙、涙、知らない人どうしが抱き合って
喜びを分かち合っていました。
その後
旧西独の繁栄の象徴であったドイツマルクを手放し、
€を導入して行きます。
そもそも
ドイツの近代現代史は、
欧州の中での位置付けに揺れ動いていました。
戦後
徹底して戦争責任を追及し、
平和教育に取り組んで来たドイツ。
この場合東と西の戦争責任の追及の仕方には違いがございました。
お客様からよくご質問を頂くポイントである、
なぜ第二次世界大戦は勃発したのかというところから、
ナチスの蛮行。
戦後の処理。
東西の分断。
東西の冷戦。
壁の崩壊。
崩壊後のドイツの姿。
この一連の政治的な流れは全て欧州を背景にして起きたもの。
政治の町ベルリンの歴史そのままなんです、、。
次のお客様からの多い質問のポイント
ドイツはヨーロッパ統合に一生懸命だったのか。
そして、今
ドイツ人の目指している事は何なのか、、。
ドイツ在住30年以上の筆者が
お客様のお持ちのお時間に合わせて、
わかりやすくベルリンの町をガイディングさせて頂いています。
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