その先に光はあるの?
先の見えない10歩より、きちっと方向を定めた一歩の方が価値がある。
立ち止まって、考えてみよう!
そのアプローチは、(登山に例えたら)頂上を目指していますか?
私は、小さな時から病弱だったためか、
いろんなことにカラダが反応して、超敏感人間でした。
「本当にこれでいいのかな?」と感じることがたくさんあったんです。
もっとも強く疑問を抱いたのは、
自分の病気を治すことができない「医療のあり方」でした。
自分で判断できないほどの幼少の頃は、
自分に代わって親が判断するでしょ。
最善だと思うことをやってくれた親には、
心から感謝しています。
でも、その結果、カラダが起こす病の連鎖と、
そもそもの医療行為の底辺にある考え方との、大きな隔たりに対して違和感を感じ、
「不満や疑問」を持ち続けていたようです。
今も、その感覚が蘇ってきます。
多分、動物的な本能からの反応です。(今思うとね)
そんな私が、最終的に行き着いたのが、
今現在の私の基盤となった「食べ物」と「生命哲学」でした。
そこへ至る道を、今、回想しています。
過去へと記憶をたどっていくと、
面白いことに、
当時は全く暗闇の中を、
ただただ光も見えず模索して、
とても不安だったのを覚えています。
暗闇にしか意識が向けられていなかったら「真っ暗闇」のみ。(当たり前)
でも「光」があるから、、、
「暗闇が存在」するんですよね。
ただ、無知で、そのことを知らなかっただけだったんです。
こうして、文章を書いていると、
当時は全く何も見えない霧の中を歩いていたなあって、、、当時の自分の心の中に入っていけます。
自分がどの方向に進んでいるのか、認識できなかったのに、突然崖っ淵が現れました。
タロットカードをご存知の方は、
愚者の図柄を思い浮かべてね。
大きな変革が訪れて、
奇跡的な出会いからそれは始まりましたが、
心にストンと落ちるものを感じました。
「生命哲学」は、私の価値観を根こそぎ破壊しました。
「人間」について学んできて、
視野が広くなってくると、私の前には道があったことがわかってきます。
理路整然と通ってきた道が見えるから不思議です。
全ては学ぶべくして起こったことなんだと、
納得できて、導かれていたんだなあと思える。
一筋の光を頼りに、
しっかりと頂上を目指して進んでいたんだと、
こうやって回想することで、
今、自分に起きていることに関しても確信を持つことができます。
そうなるべくしてそうなったんだと、
自分の置かれていた状況に対して「信頼感」が湧いてきます。
さらに、今の今に対して、
感謝の気持ちを、持つことができる。
感謝という言葉にするとおこがましいけれど、
「うんうん、いいね!」「ありがとう」って、
自然と言える自分かな。
あ~、長い旅だったけれど、
あのことがあったから、現在の自分がいるんだなあと、
思えるのです。
さあ、ちょっとだけ、
今に至った、その回想にもうちょっと、おつきあいくださいね。
始まりは、父の病。
父がカラダを壊して、40代で会社を引退して、
母は、ありとあらゆるツテを求めて、
良くなるためならと、必死で情報を集め、
治癒のために、様々な努力をしていました。
最終的には、先進医療のお世話になって、
脊椎の手術をすることになりました。
まだまだ子供だった私は、それを傍観するのみでしたが。。。
家族は一緒に苦痛を味わうものなんですね。
発病に至るまでの苦しみ、
発病してからの悶々とした日々(原因不明という病気に対して)、
先進医療の検査による病名の決定(ある意味の安堵感)、
そして、対処法としての外科的なアプローチ(入院・手術・リハビリ)、
医者の手を離れた後の生活の不安など、
全行程に家族の一員として関わってきて、
非常に疑問を感じ、不満に思っていました。
何か別のものがあるはず。絶対に!
なんだかわからないけれど、この気持ちを解決してくれるものを、
求め続けました。
今から、40年近く前の話です。
その頃は、インターネットによる情報収集は、
夢の夢のようなものでしたから、
都会の大きな書店が唯一の情報源となっていました。
料理を科学する本に出会ったのがその頃。
それまで使っていたアルミの鍋を捨てて、
ステンレスの多重構造のお鍋をたくさん買い込み、
新鮮な食材を求めて「築地通い」や、
「自然食の食材の通販による買い物」が始まりました。
キッチン菜園(お部屋の中)では、もやしの栽培が始まりました。
病気は治ったかって?
いえいえ、そんなことはありません。
次々と連鎖していくように、病気は依然として色々出現していました。
でも、具合の悪いということに慣れていくんですね。
負け戦を、ある意味受け入れた生活です。
そんなこんなで、
父のことがひと段落すると、
次に倒れたのが、この私。
闘病生活も長かったです。
その中で出会ったのが、またしても「食べ物」でした。
今から、18年前に、
マクロビオティックの料理学校に入学し、師範科まで進むことになったのです。。
このお食事法、最初の印象では、「病気治しの食事」でした。
初級は、病人食の作り方でしたから、、、
このお食事をすると、
魔法をかけたように病気が治る、
どこかにそんな期待がありました。
マクロビオティックを皮切りに、ナチュラルハイジーン、ローフード、
その他たくさんの食事法に出会いました。
どれも、魅力的な理論に裏打ちされていて、
精力的に体験を重ねていったのです。
でも、その5年後には、
期待していなかった事件が起こりました。
母の大腸癌の発症です。
良いことをやっていると、ガンになる。
こういう図式が現実に起こったのです。
とんでもない結果ですよね。受け入れがたいことですが、事実です。
でも、その2年後に、「生命哲学」に出会って、
その謎は解明しました。
そして、私には、大変革が訪れたのです。
私は、どんどん健康になるけれど、
母は助けられなかった。
この違いは、何だったと思いますか?
これからますます、自然志向が強まっていきますね。
多分、私の母と同じような経験をされる方が、
続出するのではないかと予想されます。
その前に、ぜひ、その謎解きをしておくと、
大きな痛手にならなくて済みそうですね。
生命を育む細胞の行為は、
新しい細胞を作ることも、
ガン細胞をある場所に集結させることも、
あるルールのもと、
整然と行われているのです。
私たちは、勝手に「病気」と呼んでいるものの正体は、
実は、生命を育むためのカラダのクレンジング作業。
このルールが、ストンと胸に落ちる方は、
ガンになったとしても、
戦わずに有意義な毎日を送ることができると思います。
母の発病で当惑していた、当時の私は、慌てました。
自分の行ってきたことを、
カラダさんに全否定されたように感じたからです。
この時点で、もう戦っているのね。
事実を受け入れられなかったから。
でも、現実は待ってくれませんね。
どうにかしなくっちゃって、気持ちは焦りますよね。
いろいろと知人に相談しました。
ラッキーなことに、その道の権威のドクターとも親しくさせていただいていたので、
治療計画は、トントン拍子に進みました。
この時にお世話になったのが、
キネシオロジストとして、
ニューヨークで著名なドクターのもとで活動していらした、
日本で指折りの方たちでした。(お医者さまたち)
とても親身になって相談し、
母の人生を心から考えてくださった皆様です。
ありがとうございました。
そして、結論は、「手術」ということになったのですが、
その方向でも、とても力になってくださいました。
入院待ちが大勢いると言われた病院にも、
その日のうちに入院して、「断食」が始まりました。
三週間の断食は、
入院することにも抵抗感じていた私には、ちょっとした朗報でした。
でも、最終的には、手術で大腸を摘出することになりましたが。。。。
三人に一人がガン?
そんな時代になっちゃったのかな。
やはり、目をつぶってられませんよね。
もっとカラダのことを、自ら知るべき時代になったと思います。
宣告されてから、人任せにでは遅すぎるよね。
人生の選択は、日々、何を食べるか、
そこから始まります。
どうか、実りある人生を、
皆様が送れますように心からお祈りしております。
来年あたりから、お話会を開こうかなあ。
「インスティンクト・リフレックス」&「アルケミービューティー」 by KEI