ガンになっても慌てない!心を強くする叡智は「私たちのカラダ」にあるの。だから、学びましょうか。 | 地球にやさしい美容室

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ヴィーガン25年の自然派美容師の日記。美容室チャームサロンイザワ (ヴィーガン情報サロン:ママキッチン) 日・水定休(ただいま完全予約制のプライベート体制で営業中)相鉄線希望が丘駅より徒歩7分。井沢慶紅

A Very Smoky Day by David~O







その先に光はあるの?

先の見えない10歩より、きちっと方向を定めた一歩の方が価値がある。


立ち止まって、考えてみよう!



そのアプローチは、(登山に例えたら)頂上を目指していますか?



私は、小さな時から病弱だったためか、

いろんなことにカラダが反応して、超敏感人間でした。

「本当にこれでいいのかな?」と感じることがたくさんあったんです。



もっとも強く疑問を抱いたのは、

自分の病気を治すことができない「医療のあり方」でした。



自分で判断できないほどの幼少の頃は、

自分に代わって親が判断するでしょ。

最善だと思うことをやってくれた親には、

心から感謝しています。

でも、その結果、カラダが起こす病の連鎖と、

そもそもの医療行為の底辺にある考え方との、大きな隔たりに対して違和感を感じ、

「不満や疑問」を持ち続けていたようです。



今も、その感覚が蘇ってきます。

多分、動物的な本能からの反応です。(今思うとね)



そんな私が、最終的に行き着いたのが、

今現在の私の基盤となった「食べ物」と「生命哲学」でした。



そこへ至る道を、今、回想しています。

過去へと記憶をたどっていくと、

面白いことに、

当時は全く暗闇の中を、

ただただ光も見えず模索して、

とても不安だったのを覚えています。



暗闇にしか意識が向けられていなかったら「真っ暗闇」のみ。(当たり前)

でも「光」があるから、、、

「暗闇が存在」するんですよね。

ただ、無知で、そのことを知らなかっただけだったんです。



こうして、文章を書いていると、

当時は全く何も見えない霧の中を歩いていたなあって、、、当時の自分の心の中に入っていけます。


自分がどの方向に進んでいるのか、認識できなかったのに、突然崖っ淵が現れました。



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タロットカードをご存知の方は、

愚者の図柄を思い浮かべてね。




大きな変革が訪れて、

奇跡的な出会いからそれは始まりましたが、

心にストンと落ちるものを感じました。


「生命哲学」は、私の価値観を根こそぎ破壊しました。


「人間」について学んできて、

視野が広くなってくると、私の前には道があったことがわかってきます。

理路整然と通ってきた道が見えるから不思議です。


全ては学ぶべくして起こったことなんだと、

納得できて、導かれていたんだなあと思える。


一筋の光を頼りに、

しっかりと頂上を目指して進んでいたんだと、

こうやって回想することで、

今、自分に起きていることに関しても確信を持つことができます。


そうなるべくしてそうなったんだと、

自分の置かれていた状況に対して「信頼感」が湧いてきます。

さらに、今の今に対して、

感謝の気持ちを、持つことができる。


感謝という言葉にするとおこがましいけれど、

「うんうん、いいね!」「ありがとう」って、

自然と言える自分かな。


あ~、長い旅だったけれど、

あのことがあったから、現在の自分がいるんだなあと、

思えるのです。




さあ、ちょっとだけ、

今に至った、その回想にもうちょっと、おつきあいくださいね。



始まりは、父の病。

父がカラダを壊して、40代で会社を引退して、

母は、ありとあらゆるツテを求めて、

良くなるためならと、必死で情報を集め、

治癒のために、様々な努力をしていました。


最終的には、先進医療のお世話になって、

脊椎の手術をすることになりました。

まだまだ子供だった私は、それを傍観するのみでしたが。。。

家族は一緒に苦痛を味わうものなんですね。



発病に至るまでの苦しみ、

発病してからの悶々とした日々(原因不明という病気に対して)、

先進医療の検査による病名の決定(ある意味の安堵感)、

そして、対処法としての外科的なアプローチ(入院・手術・リハビリ)、

医者の手を離れた後の生活の不安など、

全行程に家族の一員として関わってきて、

非常に疑問を感じ、不満に思っていました。



何か別のものがあるはず。絶対に!

なんだかわからないけれど、この気持ちを解決してくれるものを、

求め続けました。




今から、40年近く前の話です。

その頃は、インターネットによる情報収集は、

夢の夢のようなものでしたから、

都会の大きな書店が唯一の情報源となっていました。



料理を科学する本に出会ったのがその頃。

それまで使っていたアルミの鍋を捨てて、

ステンレスの多重構造のお鍋をたくさん買い込み、

新鮮な食材を求めて「築地通い」や、

「自然食の食材の通販による買い物」が始まりました。



キッチン菜園(お部屋の中)では、もやしの栽培が始まりました。



病気は治ったかって?

いえいえ、そんなことはありません。

次々と連鎖していくように、病気は依然として色々出現していました。


でも、具合の悪いということに慣れていくんですね。

負け戦を、ある意味受け入れた生活です。


そんなこんなで、

父のことがひと段落すると、

次に倒れたのが、この私。


闘病生活も長かったです。

その中で出会ったのが、またしても「食べ物」でした。




今から、18年前に、

マクロビオティックの料理学校に入学し、師範科まで進むことになったのです。。

このお食事法、最初の印象では、「病気治しの食事」でした。

初級は、病人食の作り方でしたから、、、



このお食事をすると、

魔法をかけたように病気が治る、

どこかにそんな期待がありました。


マクロビオティックを皮切りに、ナチュラルハイジーン、ローフード、

その他たくさんの食事法に出会いました。

どれも、魅力的な理論に裏打ちされていて、

精力的に体験を重ねていったのです。




でも、その5年後には、

期待していなかった事件が起こりました。


母の大腸癌の発症です。


良いことをやっていると、ガンになる。



こういう図式が現実に起こったのです。



とんでもない結果ですよね。受け入れがたいことですが、事実です。


でも、その2年後に、「生命哲学」に出会って、

その謎は解明しました。

そして、私には、大変革が訪れたのです。

私は、どんどん健康になるけれど、

母は助けられなかった。

この違いは、何だったと思いますか?



これからますます、自然志向が強まっていきますね。

多分、私の母と同じような経験をされる方が、

続出するのではないかと予想されます。



その前に、ぜひ、その謎解きをしておくと、

大きな痛手にならなくて済みそうですね。


生命を育む細胞の行為は、

新しい細胞を作ることも、

ガン細胞をある場所に集結させることも、

あるルールのもと、

整然と行われているのです。


私たちは、勝手に「病気」と呼んでいるものの正体は、

実は、生命を育むためのカラダのクレンジング作業。

このルールが、ストンと胸に落ちる方は、

ガンになったとしても、

戦わずに有意義な毎日を送ることができると思います。



母の発病で当惑していた、当時の私は、慌てました。

自分の行ってきたことを、

カラダさんに全否定されたように感じたからです。


この時点で、もう戦っているのね。

事実を受け入れられなかったから。


でも、現実は待ってくれませんね。

どうにかしなくっちゃって、気持ちは焦りますよね。



いろいろと知人に相談しました。

ラッキーなことに、その道の権威のドクターとも親しくさせていただいていたので、

治療計画は、トントン拍子に進みました。


この時にお世話になったのが、

キネシオロジストとして、

ニューヨークで著名なドクターのもとで活動していらした、

日本で指折りの方たちでした。(お医者さまたち)



とても親身になって相談し、

母の人生を心から考えてくださった皆様です。


ありがとうございました。



そして、結論は、「手術」ということになったのですが、

その方向でも、とても力になってくださいました。



入院待ちが大勢いると言われた病院にも、

その日のうちに入院して、「断食」が始まりました。

三週間の断食は、

入院することにも抵抗感じていた私には、ちょっとした朗報でした。

でも、最終的には、手術で大腸を摘出することになりましたが。。。。




三人に一人がガン?

そんな時代になっちゃったのかな。


やはり、目をつぶってられませんよね。


もっとカラダのことを、自ら知るべき時代になったと思います。

宣告されてから、人任せにでは遅すぎるよね。


人生の選択は、日々、何を食べるか、

そこから始まります。



どうか、実りある人生を、

皆様が送れますように心からお祈りしております。



来年あたりから、お話会を開こうかなあ。




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