自分の手で埋めてやれたのがせめてもの救い」。津波で大きな被害を受けた宮城県気仙沼市の大島で21日、収容された21人の遺体のうち、身元が確認された14人の土葬が行われた。島には火葬場がなく、市内の施設は満杯。いつ犠牲者を送れるか分からないため、「このままにするよりは」と遺族で話し合って決めた。土葬を指揮した市職員の菊田隆二さん(51)も遺族の一人。妻順子さん(53)のひつぎに涙ながらに土をかけた。【喜屋武真之介】

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 震災当日、菊田さんは島を離れて市役所で勤務しており、被災後も災害対策のため泊まりがけで仕事を続けた。順子さんの名が行方不明者名簿に載っていることを人づてに知らされたのは14日。しかし、市役所を離れることはできなかった。「不安で一刻も早く戻りたかったが、同じ境遇の人が何人もいたし、市職員という立場上できなかった」という。

 仕事で島に戻れたのは16日。順子さんの遺体を確認したのはその日の夜だった。警察官に示された遺品の中に、夫婦2人の名を刻んだ結婚指輪があった。順子さんは自宅のあった場所から約1キロ離れた海辺まで流されていたという。

 土葬は20日に遺族同士で決めた。遺体が傷み始め、「これ以上、安置所に置いておく方がかわいそう」と意見が一致した。菊田さんは「多くの犠牲者がいる中で、自分の手で埋めてやれたのは恵まれているほうかもしれない」と自分に言い聞かせた。

 建設会社に頼んで重機で穴を掘り、14のひつぎを並べた。菊田さんは作業員に指示しつつ、自らもスコップで土をかけた。葬儀も戒名も、参列者の喪服すらそろわない送り。時折手を止め、ぼんやりと棺おけを見つめる菊田さんは「いつかは、ちゃんと弔ってやりたい」とつぶやいた。

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