ギリシャの暗い空に、虹がかかりました。
 
今夏のロンドンオリンピックのために、イギリスからの来賓を迎えて、雨の中で傘をさして行われていたみじめな聖火式。
その、最後の最後で、空に光がさして、虹がくっきりと浮かびあがりました。
 
連日の不安がふっとほどけて、涙がでそうになりました。
 
ギリシャはきっとだいじょうぶ。
 
この国をちゃんと愛するときめたなら、もう私も、心配するよりなにか役に立つことをしよう。

ギリシャに虹がかかったんだから。
ギリシャに暮らせば/アテネ発
ギリシャに暮らせば/アテネ発


今更、かもしれません。
人命優先かもしれません。
この悲惨の甚大さの前には、無力感でいっぱいです。
 
でもなにもしないでいるよりかはましかと。

http://blogs.yahoo.co.jp/shinjo_ah/62725500.html

動画は見るのが辛いです。
でも、これが私たちが命をつないでいる、またその命。
 

もし、余力のある方は、ぜひまたご友人にお伝えください。

3歳の娘と遊ぶのにはいろいろとルールがあって、
『かくれんぼ』をするときに私が隠れてもいいのは、彼女が指定した場所だけ
というのも外せないルールのひとつである。

(しかも、「もういいよ」も隠れている私ではなく、鬼の彼女が言う)
 
それに輪をかけて、うちの娘はど忘れがはげしく、
自分で指定しておいたその場所を忘れてしまって延々と見つけてもらえない、
ということもよくある。
 
......彼女に見つけてもらえるまでの間延びした数分間が、
私のちょっとした休息時間でもある。
 
 
 
 
 
荒川さんという方が書かれている、こんなブログを見つけました。

名取市閖上(ゆりあげ)復興支援のブログ
(東北ブログランキングから掲載させていただきました)

私の言葉できちんと紹介をしたいのですが、そこに淡々と綴られている日々が、私の経験と表現の能力を越えているので・・・どうしても言葉になりません。
ぜひ、読んでみてください。
かけがえのない記録だと思います。 
 

そしてもし、これをご覧のみなさんのなかで、被災地のこと ー 事件性よりも、そこで暮らしている人の日々の表情を伝えてくれるサイトなどの情報源をお持ちの方がいらっしゃったら、私にもどうぞ教えてください。
  
今また歩き出そうとしている人たちに、つながっていたい。
いま、心から、そう願っています。
 
  



 




私は小さいころ ビンボウだったので
 
あなたの故郷のお米でつくったおにぎりを
 
食べたことがない

あなたの故郷のお米は
 
いつもピカピカ光っていて
 
お店の一番高い棚に並んでいた

小さな私には いつも届かなかった
 
  
でも すこしは背も伸びて
 
自分でお米も買えるようになった今
 
私にはひとつ夢がある
  
 
こんど日本に帰ったら
 
あなたの故郷のおにぎりが食べたい
 
あなたの故郷のピカピカの
 
お米でできた おにぎりが食べたい
 
 
 
 



久しぶりに娘のこと・・・ 
 
 
 

保育園でできた仲の良いお友達に、
  
「キティーちゃんの輪ゴムをあげるんだ♪」
 
といって、はしゃいで持っていった娘。
 
帰ってくるとしょんぼりと、
 
「やっぱり、おうちに遊びに来てくれたときに、あげる」。
 
 
 
じゃあ、おうちに招待しようか? と、

娘はお友達に、私はお友達のお母さんに
 
お手紙を書いた。
 
 

その手紙をはしゃいで園に持っていって、
 
また持って帰ってきてしょんぼり。
  
「やっぱりお手紙もおうちに来てくれたときに渡す・・・」
 


いつになったら、届くかな、この気持ち。
  
歯がゆいような。
  
微笑ましいような。
  
シロヤギさんとクロヤギさんみたいだな。
 
 
 
 


暗い夜空に、星が見えますか
 
かじかむ指先に、息がふれますか
 
何もかもが、過ぎ去った後の海に立つ
  
あなたの目に、明日が見えますか
 
 

明日はきっと来るのだけれど
 
そしてあなたを包むのだけれど
 
何も語らずに

じっと遠くを見ているあなたに

かける言葉を

私はまだ見つけられない
 
 

暗い夜空に、星が見えますか

かじかむ指先は、すこし、温まりましたか
 




私には、三人息子をかかえた仲のいい韓国の友人がいて、不自由なこと、つらいことの多い海外生活で、お互いに励ましあえる、大切な存在となっている。
 
地震が発生した時も、すぐに電話をくれた。
受話器の向こうで言葉をなくしていた彼女。
どんな雄弁な言葉よりも、その無言が温かかった。
 
その彼女が、今日の電話で、初めて原子炉のことに触れた。
韓国の人々が恐れて魚を食べなくなったこと。
東京に駐在していた韓国人の友人が日本を離れたこと。
彼女も父親から、「放射能が危険だから韓国にも今は帰ってくるな」と言われたこと。
 
I don't know why this is happening in your country.
It is YOUR country...

そういって彼女は、ため息をついた。 
 


今までも、彼女とはオープンにいろんなことを話してきた。
戦争のことも。竹島のことも。
日本の犯した数々の侵略、その後の在日韓国人への接し方も。
その罪をダイレクトには感じられないながらも、私はいつも謝ってきた。
私の祖父が、曾祖父が、したことだから。
 
でも、今日、原発のことに触れられて、私の国が今、世界に引き起こしている恐怖や、実際的な迷惑を考えたとき、「ごめんなさい」と今までのように口にしようとして、自分でもびっくりするくらい、突然、号泣してしまった。
まわりのギリシャ人、かなりびっくりしていた。

ごめんなさいって、いうのは、簡単だった。
でも、どうしてなんだろう、どうしてなの?という気持ちに押しつぶされてしまった。
これが日本が利益を追求し続けた先に起きた災害だということも、近隣諸国に迷惑をかけていることも、よくわかっている。
だけど、だけれど、私の国は、今、こんなに血を流して、苦しんでいる。
あんなに多くの人が死んで、それでも先が見えなくて。
それでも、まだ謝らなければならないの?
どうして、私たちはいつも謝らなければならないの?
こんなに苦しんでも、まだ済まないの?
ごめんなさい、ごめんなさい。
でも、いつまで謝ればいいの。



泣かれた彼女は本当に驚いてしまって、慰めの言葉を探したり、政府の無能を語ったり、いろいろ気を遣わせて、またまた迷惑をかけてしまった。
私を責めるつもりで言ったわけじゃないことは、よくわかっている。
 
ごめんなさい。
友達だから、許してほしい。
 
それでも、今、どうしようもないくらいに感じている。

無能と言われるあの政府も、はかりしれない苦しみを噛み締める東北も、買いだめに走る東京も、相変わらず飲みにいく大阪も、いいもわるいもみんな、私。
   
私は、日本なんだと。
 





 




 
 



 
 

震災が起こってから、私は、すこし変わりました。
 
もっと正確に言うと、震災が起こって、自分とおんなじ人々に突然おとずれた『悲惨』を目の当たりにして、それなのに、それなのに、何ひとつ、誰ひとり助けることもできずに、毎日と生きていく自分を知って、私は、すこし変わりました。
 
日常のどんなささいなことにも『これは、価値を生む?』と自分自身に聞くようになりました。 
 
夫とのささいな口喧嘩 ー 「これは価値を生む?」 ・・・しなくなりました。
犬と遊ぶこと  ー 「これは価値を生む?」 ・・・よくするようになりました。
家事を後まわしにして、娘の遊びにつきあう  ー 「これは価値を生む?」 ・・・よくするようになりました。
友達にいいたい愚痴 ー 「これは価値を生む?」 ・・・しなくなりました。
誰かに伝えたい元気 ー 「これは価値を生む?」 ・・・率先してするようになりました。
一般的な周囲に対する批判 ー 「これは価値を生む?」 ・・・しなくなりました。 
 
x x x x x
 
「光の方をみよう」と言い続けてくれる人のサイト を、羅針盤のように読んで暮らしています。
 
x x x x x
 
批判って、つい、心が見たがる方向なんでしょうね。
それをするのは、ほんとうに簡単なのですから。
光の方をみるのは、意識していないとできない。
そこには強い意志がいる。
 

それに、人間だから、どうしてもコメントは出ます。 
でも、誰かのした悪いこと、あるいは至らない行為、それを諭すのなら、せめてマイナスのエネルギーを生み出す方法ではなくて、プラスのエネルギーが、すこしでもそこに、光が生まれる方法でそうしたい。
 
x x x x x
  
  
被災地で窃盗が相次いでいるとニュースで読みました。
そこには、いろんな事情があったとしても、なんて貧しい、悲しい行為だろう・・・。
そこまで切羽詰まっていたのだろうか。
それとも、利を得ようとしたのかな。
それが人間なのだな、と冷徹な視線でみる自分もいて、はっとします。
  
そのどちらも、私。
     
ここで話せるのは、わたし自身のただひとつの経験です。
 
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ギリシャに来て間もないころ、夫ひとりの収入でやっと暮らしていたアパートのドアが壊され、空き巣が入りました。
日本から持ってきたPC、翻訳機、パスポート、現金、すべて持っていかれました。
いちからのやり直しでした。
  
あんなに悔しかったことはなかった。
現実に受けた被害よりも、こんな理不尽なことがあっていいのか、という思いに打ちのめされていました。 

そんな私に、友達は言ってくれました。
 
「歯を食いしばってでも、前をむきな。」

それで後ろを向くなんて悔しすぎる。それが相手の思うツボだから。砂を噛んででも、空き巣に感謝してやりな。その空き巣は、あんたに今までつきまとっていた貧乏だって、きっと一緒に持っていってくれた。だから、あんたにはこれから、パソコンも、お金も、しっかりした家も、絶対に全部手に入る。求めなくても手に入るようになる。だから、歯を食いしばってでも前を向きな。
  
 
そういう彼女に散々八つ当たりして、泣いてわめいて気が晴れてから、私は彼女の言う通り、歯を食いしばってそう思うことにしました。
   
あれから6年たった今、その通りになりました。
求めずして、本当に・・・。
 
 
あの時の空き巣には、今では本当に感謝しています。
そして同時に、ぞっとしてもいます。
私の貧乏神をもっていって、きっと他の人のもたくさん担いで持っていって、今頃、どんな大変な思いをしているだろう・・・。
本気で、そう思えてくる。
だから、きっとそれは本当に起こっていることなのだと思います。
  
でも、その人だって、自分で決めてそうしたこと。
だから、どんなことがあっても、それはその人が払い戻していかなければならないもの。
    
被災地の泥棒さんたちにも、わたしは伝えたい。
絶対に、ぜったいに、あなたたちのしたことは、残る。
あなたたちの人生に、食い込むように、残るでしょう。
  
これからは、それを払い戻す人生を生きてください。
何度生まれ変わったとしても。
   
私も、そうします。 
 
 
 


 
 













地震数日後に、メールを書きました。
愛する日本に向けてです・・・。

x x x x x 


日本のみんな、お元気ですか。
ギリシャから、これを書いています。
 
毎日、胸の塞がれるようなニュースがここにも寸断なく届きま す。
 
信じがたい映像を前に絶句するばかりで、
日本にいない私にできることのあまりの少なさに、
悔しさ、焦りがつのる日 々を過ごしています。
 
それでも、ただ報道の前に落ち込んでなにも価値を生み出さない日々を過ごすよりは、と思いついたのが、
私 の心のなかでいつも大切な場所にいる、日本のみんなにメールを書くことでした。

東北、関東にいる方には、電力不足のなかでのこんなメー ル、ご迷惑を書けないことを祈ります。
また関西で心を痛めているみんなも、忙しい中、ごめんなさい。
 
みんな、お元気ですか。
 
x  x x x x 

私は、今回の未曾有の大地震を、次々と電話をくれるギリシャの友人たちから知らされました。
友人はおろか、道 ですれ違う人、また品物を注文していた商店の人が伝票に残った私の電話番号を便りに電話をくれるほど、
ギリシャ国民は日本のこと、日本人のこと、 心配しており、テレビでも今も大半が地震の中継です。
 
こちらも経済危機ですが、みんなそれぞれに募金をする術を探しております。
日 本はこんなに愛されていたんだと、今更ながらに気がつき、またそれを惜しむことなく表現してくれるこの国の国民性に、頭が下がる思いでした。
 
そ のことをまず、お伝えしたかったです。
  
x x x x x
 
私も、父の兄、母の姉が福島県と茨城県におり、被災しま した。
父の兄の方は、福島第一の10キロ圏内のため、地震の後から避難生活を送っています。
「こっちは大丈夫だから、心配すんなべ。おめ えこそ、しっかりな。」という受話器のむこうの東北弁に、
こんな状況に陥っても、相手に「心配するな」といえる、
それが日本人の心なんだ と思うと涙が出ました。
 
x x x x x
 
この7日間、ずっと考えていました。
人は、どうすれば強くなれるのだろうと。
 
被災地に友人、知人を探し、祈りながら その声を聞いたときの喜び、
またその友が見ているその先に目をやったとき、やっとわかった気がしたこと。
 
それは、人は強いから 誰かを助け るんじゃない、助けようとするから、強くなるんだ、ということでした。
 
 
また、私事になりますが、私も今、ふたりめの娘を育て ています。生後三カ月です。
それはそれは、日々、寒くないように温め、ひっきりなしに抱き上げ、数時間ごとにミルクを飲ませ、おむつを替え、あや して、笑いかけて、話しかけて・・・。
人を育てるというのは、こんなに手をかけ、心をかけ、思いをかけること・・・
 
そんな私と 同じように、赤ちゃんを育てていたお母さんが、大事に育てた子どもとともに、何人も、何十人も、一瞬にしてその命を奪われてしまった。
そう思う と、何をしていても、ぴたりと手が止まってしまうのです。
  
どんなに一生懸命に生きていても、あるいは生きていなくても、あんなに一瞬 にして生命を奪われてしまうことが、人生には、ある。
生死は、いつかどこかの遠くにあるのではなくて、日々の生活の一部として、ほんとうに、あ る。
 
もし私が、あの場所にいたら、私はどんなふうに死んだだろう。
人を押しのけて我先に逃げようとして死んだだろうか。
そ れとも、誰かの手をひっぱり、あるいは想い、最期の瞬間に、ほんの少しでも自分以外の誰かのために、心を使えただろうか。 

どういう心で 死ねるだろうか、ということをこんなに考えたのは初めてでした。

 
人は、生きたようにしか死ねない、というのは、本当だと思いま す。
心のありようは、傾向性であり、日々の繰り返しがつくりあげるものだからです。
 
そして私は、今の生き方のまま死にたくな い、と心から思いました。
   
もしも最期の瞬間に、ほんのわずかでも、誰 かを想い、そういう心とともに死ねたなら、それは強かったということであり、幸せだったと思う・・・
そう思う私は、そういう死に方がで きるように、自分の生き方に責任を持とう、生き方を変えよう、と心から思いました・・・。
  
x x x x x
  
遠いギリシャにいて、日本のみんなには何ひとつ、役に立つことができません。
ほんとうに、ごめんなさい。
でも、私がこうして 強いエネルギーで生きることが、少しでもいい生き方のできる人間になることが、「風が吹けば桶屋が儲かる」で、絶対にこの不思議な宇宙のからくりのなかで つながっていくと信じて、
私自身の日々 を一生懸命に生きます。
一生懸命、子どもを育てます。
 
どうかみなさんも、体に気をつけて、心も大切に、元気でいてください。
ど うかみなさんがげんきでありますように。
 
心から祈っています。