自称イルミナティ・インサイダー“Hidden Hand” との対話(序)

 

 

Greatchain

2017/06/25

 

これは私に理解しえた限りでの、Dialogue with “Hidden Hand”, Self-Proclaimed Illuminati Insiderという文書(検索すれば出てくる、数十頁ある)の解釈の序文と考えていただきたい。こういうものをきちんと書くには、原文を全訳はしなくても、必要な部分の前後を抜粋しながら議論を進めなければならないのだが、それは膨大なものになるからここではできない。分量的な多さだけでなく、その内容的な規模の大きさのために、解説はとめどもなく長くならざるを得ないだろう。そこでここでは、いくつかのキーワード(キーフレーズ)――太字にした――を選んで解説することにする。

 

そもそもこういう文書があることを私が知ったのは、イルミナティ離脱者たちのインサイダー情報を拾って訳していた時であった。私の「我々はどういう世界に住んでいるのか?」という論文http://www.dcsociety.org/2012/info2012/161010.pdfの結論部分に、このHidden Handのわずかな言葉と、それに深く感動するある人の言葉が引用してある。とりあえず、そこを先に読んでいただくと、理解しやすいであろう。

 

Hidden Handの自己紹介によれは、彼は、我々がイルミナティのメンバーとして知っている、あの(ロスチャイルドやロックフェラーを含む)13家系や、ブッシュ家系などの米政界の大物とは別だという。彼との質疑応答は、いわゆるスレッド(スレ)によるもので、姿は見せていない。ほとんど異次元の住人のようだが、はっきりわからない。後に言及する「Ra資料」(The Law of One)のRaは明らかに高次元存在で、これはチャネリングによって交信され記録されたものである。

 

しかしHidden Handも、イルミナティの重要な家系で、同じようにルシファーに仕える者だが、彼の出自はこの地球ではなく、時代はアトランティス時代に遡るという。こうなると我々の次元を超えた話になるが、私は、それは本質的な問題でなく、問題は、彼の説明する旧約聖書のルシファーとヤハウェーの関係が、我々の解釈とは全く違うことである。ルシファーが天上からこの世界に降りてきたのは、確かに、この世界に悪をもたらすためであった。しかし、それはいわば善意から出た悪であり、旧約聖書で「主」とも「ヤハウェー」とも呼ばれている、人間と地球の管理役を買って出た高次元存在の、間違ったやり方を正すためであった。この主=ヤハウェーは、エデンの園を作って、人間を住まわせようとしたが、それは「善意の牢獄」であった。そして、ヤハウェーは「善意の独裁制を布いていた」。そのやり方は、“善悪を知る木”の実を取って食べることを禁じて、善しか知らない優等生を作るという、間違ったやり方だった。ルシファーからみれば、それは間違いで、それは確かに親が子供の幸福を願ってする方法ではあるが、創造者の立場に近づけることではなかった。人間を創造者の立場に近づけるためには(それが人間の目的である)、彼らが自由意志を創造者から与えられ、それを正しく使うことによってである。我々は全く自由に、善に向かうことも、悪に向かうこともできる。そして悪を選ぶということがどういうことであるかを知っておかなければならない。善をしか選ぶことができないのは、自由意志によって善を選び取ることではない。それは、神に近づこうとする意欲や喜びを、奪われた生き方であろう。“箱入り娘(息子)”の与えられた幸福は、本当の幸福ではないだろう。

 

ルシファーは、これを正そうとして、天(他の天体)から下りてきて、ヤハウェーの間違った禁止を破れと人間に教え、そうすれば「あなた方は神のように賢くなるだろう」と言ったのだった。これは悪魔が人間を騙したのではない。文字通りの真実を教えたのである。(これを聞いて、初めて聖書のここがわかったという人は多いだろう。)Hidden Handは、“善悪を知る木”とは、自由な人間の行動の「両極性(polarity)を知る木」だと言っている。そしてその一方は、「他者のために生きること」(ポジティブな道)であり、もう一方は「自分のために生きること」(ネガティブな道)だという。そして人間の生き方にはこの2つしかないが、ほとんどの人間が、その中間の生ぬるい(lukewarm)生き方をしていると言う。このあたり、Ra Materialとも呼ばれるThe Law of One(一者の法)も全く同じことを言っている。この両文書には、非常に共通点が多い。Hidden Handは質問者から、この本の存在を知っているかと聞かれて、完全には知らないと言っているから、両者の共通性は、それが宇宙の真理であることの証拠だと言っていいだろう。

 

人間はルシファーの忠告を聞いて、エデンの園(つまり“箱入り娘”の箱)を追い出されて、確かに悪を知り、悪に苦しみ、ルシファーとルシファーの手先であるイルミナティ集団を、悪の根源として憎悪するようになった。しかしHidden Handは、それは人間を成長させるための、つまり人間がネガティブな道を選ぶことによって、つまり、もっぱら自分のために生きることによって、どれほど取り返しのつかないことになるかを、学習させるための、方便であったと言う。

 

対話者の一人がこれを本気で咎めて、あなた方は我々をこれだけ苦しめておいて、よくそんなことが言えたものだと言う場面がある。これは確かに、現在、極限的悪が目の前で展開されるのを見ている、我々の代表質問である。しかしHHの立っている次元が違っている。彼は「ネガティビティは学習のための道具なのだ」と言う。「我々は変化のためのCatalyst(触媒、きっかけ)として意図されていた」とも。“変化”とはより高い現実に目覚めることである。HHは、この世界で起こっていることは、すべてゲームなのだと言う。我々はこれほど確かな現実はないと思っているから、ゲームだと言われると納得できないが、我々に用意されている、将来のより高い生命次元から見れば、ゲームと言えるのであろう。我々はearth-suit(地球着)を着ているにすぎないという。HHは、イルミナティはむしろ、神の命令を受けてこの地球へやってきた、「あなた方のための犠牲者」だと言っている。いかに命令されてやったといっても、やったことの罪を償うカルマの法則は絶対で、逃れることはできないからだと言う。このあたり我々に簡単にはわかることではない。

 

ここで、我々にとって最も重要な宇宙の原理が説かれる。それは、この宇宙の生命は一つであり、我々は一つの不可分の連続体だということである。これは“The Law of One”のOneの意味であり、我々は創造者とも一体であり、あなたと私も一体である。我々はこの単純な真理を学ぶために、この地上に長く逗留しているにもかかわらず、それがいつまでたっても理解できず、とうとうその学習失敗の清算の時(歴史サイクルの転換期)が来てしまった、ということである。

 

我々は、私とあなたは、皮膚によって隔てられているのだから、別物だと思っている。しかし、そもそも別物ということ(separationが迷妄だという。我々の不幸は、この迷妄を基本にして行動していることである。私と彼、我々と彼ら、そしてそこから、アイツラという意識が生まれる。この迷妄による区別や差別から、アイツラを殺してその死骸の上に文明を築くことが当然のような、恐るべき論理が支配してきた。今、その究極の例が、我々の学習のために、イルミナティによって、目の前で実演されている。そして彼らは明らかに自らの滅びへと向かっている。彼らの仕掛ける戦争は、復讐や憎しみのためですらない。単に“アイツラ”が自分たちの覇権主義の邪魔になるからにすぎない(究極のネガティブの道)。そして肝要なことは、我々にとって彼らは、アイツラとして切り捨てるべきものではない。許せない怨敵であろうとも、我々と生命的につながった我々の一部であり、我々の内なる悪を映す鏡である。もし彼らから学ぶことなく、怒り狂って彼らに復讐するならば、被害は我々に及ぶだけでなく、我々は、意図された覚醒のチャンスを自ら放棄することになる。

 

昔から神学論争の一部として、なぜ悪が存在するのかという疑問が提出されてきた。それは善あるいは神の栄光をきわだたせるためだ、というのが一つの回答だったと思う。それはそれで納得できるが、このイルミナティのおそらく最高の哲学者Hidden Handの悪の説明――より高い現実への移行のCatalyst――ほどの説得力はもたない。これはおそらく、あの2012年末の「マヤ暦」騒動を中心として起こった、歴史サイクルによる、宇宙の動的・進化的な捉え方から始まったのではないだろうか。宇宙を静的に見ている限り、悪の意味は見えてこないと私には思える。この「触媒」による大きな変化の起こる時期(遠くない将来)は、Harvest(穫り入れ)と呼ばれ、HHも「一者の法」も共に論じている。

 

「魂は、いくつかの本当に卑劣で嫌らしい性格を演じながら、それでも美しいものであることができる。」――この言葉はすばらしい。これは、魂がどんな仮の姿をこの世で取ろうとも、すべての魂は、本来、美しく、神に属するものであるという信仰告白である。Hidden Handが本当にイルミナティの古い家系の人なのか、もしかして偽物なのかは、どうでもよいことである。こんな言葉を口にする人を、私は信じないわけにいかない。