追悼 吉本隆明さん | 脚本家/小説家・太田愛のブログ

3月16日、吉本隆明さんが亡くなられた。


吉本さんのお名前を聞くと、お会いしたことのないのに何故か思い浮かぶ吉本さんの姿がある。


1960年6月4日深夜の品川駅構内、吉本さんは全学連の学生の列の中に黙って座り込んでいた。

その姿を「拒否の中心にいしころのように動かない吉本」、「戦争体験と今後の行き方の孤独さが、品川駅の一夜に凝集してあらわれている」と書いていらしたのは橋川文三さんだった。


ある日、吉本さんが縁から庭に降りると、少し知恵の遅れたような男の子が着物の裾にまとわりつく。

古風な文人然とした吉本さんはあっちへ行けというように手で追い払うのだが、その所作が実はちっとも男の子を嫌っている風ではなく、二人の間には親密な空気が流れている。

そんな夢を見たと座談で語っていらしたのは、確か蓮實重彦さんだった。


いずれも20年以上も前に読んだ文章の一節だが、虚実入り混じった二つの姿はこの眼で見たように鮮明なイメージとして今も残っている。


同じ頃、一度だけ吉本さんの講演を聴かせていただいた。


若い頃の詩編「エリアンの手記」を演題に掲げた講演会だったが、青年期の詩については含羞んだように二言三言ふれただけで、たった今東北から戻ってきたのだと息を弾ませながら吉本さんは宮沢賢治のお話をなさった。低く、よく通る吉本さんの肉声は、確信をこめて語る誠実な語り口とともに私の耳にしっかり刻まれた。


訃報が流れた後、高橋源一郎さんは追悼文で次のように書いていらした。


――ある時、本に掲載された一枚の写真を見た。吉本さんが眼帯をした幼女を抱いて、無骨な手つきで絵本を読んであげている写真だった。その瞬間、ずっと読んできた吉本さんのことばのすべてが繋がり、腑に落ちた気がした。


僭越な言い方になるが、高橋さんの言葉がとてもよく分かる気がする。

私は決して吉本さんの良い読者ではなかったが、それでも折にふれ、品川駅構内に黙して坐す吉本さんの姿や庭に立つ吉本さんの姿に叱咤され、脳裏によみがえる吉本さんの確かな声に励まされてきた。


詩人であり思想家であった吉本さんは多くの言葉を残された。

それとともに、沈黙の中に多くを語る「姿」を残していかれた、ほんとうに稀有の方だった。


慎んでご冥福をお祈りいたします。