「ウィラ」(スティーブン・キング、大森望訳、文集文庫『夕暮れをすぎて』所収)
こんにちは てらこやです
今回はスティーブン・キングの短編「ウィラ」を紹介したいと思います。
題名にある「ウィラ」というのは、本作の主人公、デイヴィッドの婚約者の名前です。旅中、アクシデントからワイオミング州クロウハート・スプリングズの駅舎に留まることを余儀なくされたデイヴィッドがですね、恋人のウィラの姿が見えなくなっていることに気づくところから話は始まります。同じく足止めを食った人々に行方を尋ねるのですが誰も答えは知りません。ウィラの自由奔放な性格を悟った人からはその出奔を予告され、諦めを促される始末です。それに逆らって、デイヴィッドは街へ向かいます。
──ここから小説の仕掛けに触れます──
この小説の仕掛けは、ウィラを含めて駅舎に残された人々が全員、死者であるということです。彼らは電車の脱線事故に巻き込まれ、その肉体はすでに滅んでいます。つまり、彼らは幽霊です。
バンドのライブもやっている酒場でウィラと再会したデイヴィッドはその事実を知らされます。店の鏡にはじめ映っていたふたりの像は、改めて注視すると消えてしまいます。彼らが生者のごとく振る舞うことができるのは知覚と期待の作用ーー生者だという期待が知覚を錯覚させるという欺きの作用に他ならず、実際の生者からは見えておらず、幽霊であることには変わりありません。
彼らが事故にあったのは80年代の終わりですが、現実は21世紀を迎えています。駅舎に戻ったふたりは、近くこの駅舎が取り壊されることを知り、他の幽霊たちに舎を離れることを勧めますが、誰もそうしようとはしません。彼らは、自分たちが幽霊であるということを信じられないというよりは、むしろ信じたくないのです。
説得を諦めたふたりは酒場に戻ります。営業時間を終えた店内で、音楽を聴き、ダンスを踊ります。
そこでデイヴィッドの口にする台詞が利いています。
「寒いの?」ウィラがたずねた。
「いや──どうして?」
「震えてるから」
「たぶん、だれかがぼくの墓の上を通ったんだよ」
デイヴィッドの最後の言葉がわたしたちに迫ってくるのは、死者であることの不安(震え)を、死者であることを受け入れる(ぼくの墓)ことによって克服しようという健気さがみられるからです。
死者であるデイヴィッドたちは実に不安定な存在です。そもそも15年以上もの間彼らは何をしていたのか?ずっと駅舎に漂っていたが記憶にないのか、最近ふと現れたのか、分かりません。もしかすると、現在に至るまでに何度もこうしたやりとりを繰り返してきた可能性もあります。何度も死者であることを自覚し、また忘れるのを繰り返してきたのかもしれないのです。文字通り、彼らふたりの先に何が待っているのかは予測できません。
儚い者が健気である姿に、わたしたちのこころは動きます。それは別に上から目線で同情しているとかではなくって、わたしたち自身が同じく儚い存在だということを知っているからに他ならないのです。
夕暮れをすぎて (文春文庫) | |
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