「良い出会いを育てていこう」

 

私は今、三つの大学で

二千人ほどの学生と接しています。

講義後、学生はメモを毎回書いて、

いろんな悩みを打ち明けてくれます。

メールの返事が来ないと凄く心配だとか、

遠距離恋愛をしていて恋人を

信じるということが難しいとか、

祖母と母の間がうまくいっていないとか。

そうかと思うと今の死刑制度についてどう思うとか…・。

シスターにだったら何を書いても大丈夫だという、

そういう信頼から書いてくれているのでしょう。

 

中でも近頃は質問攻めで、

「シスターはどう思われますか?」

という言葉で終わっているものが増えています。

たまたま大人としての

年齢の離れた私の意見が

聞きたいのかもしれないのですが、

もしかしたら、話す相手がいないのかもしれません。

家で話そうとしても、お父さんは疲れて帰って来る、

お母さんはそう言う話に興味関心がない、

兄弟が少ない。

そして友人関係にしても相手に遠慮するというか、

表面的に気に入られるような会話を

交わすことが多くなっています。

 

「良い出会い」というものを

していないのかもしれません。

良い出会いにするためには、

自分がある程度、苦労をして出会いを

育てていくしかないといけません。

 

今は、出会い系サイトなどいろいろあります。

そして、出会ってちょっと気に入ったら

もう深い関係に入ってしまっていることも

多いと聞きます。

いわゆる「神様がこの人と私をで合わせて下さった。

 だから、この出会いを育てていこう」というような、

「出会いを育てる」という感覚が

少なくなっているのではないでしょうか。

与えられたチャンス、

キリスト教では「摂理」という言葉を使っていますが、

「この方と私は会うべくしてあったのだから、

この御縁を大事にしよう」という気持ちが

最近無くなっているような気がするのです。

 

自ら考えて、前向きに生きていくことが、

良い出会いにつながるのです。

 

良い出会いにするためには、

自分が苦労して出会いを

育てなければならない。

出会っただけでは信頼関係を結べない。

「この御縁を大切にしよう」

という気持ちを育てていこう。

 

今日も一日、「出会いは幸せを呼ぶ」を

心から感じれる日でありますように。

御陰様で、ありがとうございます。