人間としての、

どうしても払拭出来ない性として、

他者と自分を比較して、

マイナス部分だけを観て

悩んだりすることがあると想います。

 

しかし、皆オンリーワンの存在で、

そして、成りたいと想っても

決して他人に成れないが故に、

そればかりが氣になって

悩んでしまうと想います。

 

この悩みの解消法として、

今日のタイトルの

「お天道様にさえ認められれば」

を提案します。

 

これなら、自分が楽しく嬉しく

前向きになれる様に、

勝手に想い込んだり決めつけたり、

場合によっては自惚れでも良いと想います。

 

その天に認められるように生きて、

一歩一歩前進出来れば

良いのではないでしょうか。

 

その一つとして、

ないない探しをするよりも、

あれもこれもあるを観て、

それを大いに輝かせたり高めることにより、

天も味方してくれるのではないでしょうか。

 

人生の成功ではなく成幸者となるには、

そのあるあるを自覚して、

それを磨き高めて、

自分らしさに変えて楽しみ喜んで

生きるかに尽きるのではないでしょうか。

僕はこのように生きています。

 

そして今でも、もっと僕こそが出来ること、

他にもっと能力は引き出せるのではと、

好奇心旺盛で観るもの聴くもの

触れることを心掛けています。

そしてチャレンジもしてみています。

 

しかし、誰かのどなたかに、

あるいは、世間様に認められようとは

全く想った事はありません。

強いて言えば、いちばん身近な

子どもや孫にこれを自慢する程度です。

自分で喜んでいます。

そして、天に報告して

「よくやった」「おめでとう」と

自分で自分を誉めています。

僕はこれで十分です。

 

自慢する訳でもなく、

自己満足で十分創造力や

潜在能力を開発したり、

目覚めさせることができると想っています。

 

所詮他者と比較すること自体がナンセンスで、

なぜなら、その人と人を比較する基準や

モノサシは何一つなく、

今の社会は、それを無理やりに

競争させるべく、

試験というシステムを創り出して、

資格や能力診断なるものを考え出して、

そのような方法で故意的に

比較競争させてきたようです。

 

しかし、その試験資格や能力診断を

行う時の体調によってや、

その問題も人が創っていますので、

当然当り外れの運やツキもあります。

そして今は、その競争を煽るように

勝ち組負け組とまで言って、

これを益々煽っています。

 

この天に認められるということは、

そのような視える肩書や

地位の多さや高さではなく、

視えない心のレベルだと想います。

 

これを競争社会に惑わされることなく、

その天に対して粛々と

高めるだけで良いのではないかと想います。

 

そして、あの世に還ってから、

その学びの大きさと心の清さを

誉めていただく喜びを夢見て、

この世を過ごすことが、

誰にも何にも惑わされない

すばらしい人生ではと想います。

 

今日も一日、お天道様を意識した

過ごし方が出来る日でありますように。

御蔭様で、ありがとうございました。