今日は、東灘区の長瀬たけし議員の後援会が主催する、

 

加藤昇さんのお話を聞く会に参加させて頂きました

加藤昇さんは、大正11年生まれ、立命館大学に入学後、同校を繰上卒業し、海軍航空隊へ志願。

 

連合艦隊の第7艦隊 重巡洋艦最上の艦載機「零式水上偵察機」搭乗員として配属され

 

フィリピンのレイテ沖海戦に参戦、また、水上爆撃機「瑞雲」機長として多くの戦果を挙げられました。

 

その後、予備訓練生の教官として航空訓練指導を行い、終戦を迎えられました。

 

 

戦争中の細かいお話も頂きましたが、そのあたりは別途HPにて紹介されていますので、私が印象に残った言葉を紹介したいと思います。

 

「船は運が100、飛行機は運が70あとの30が実力」

全員が同じ船にのっているため、生き死には運のみ、ただ、飛行機は自らが操縦し、自らが注意を払うため実力により生きる可能性があるが、それでもほぼ運である。

 

「帰還したのに、2回怒られた」

出撃するたび帰ってきた、自分は戦果を挙げていたが戦死する戦友が多くいる中で、よく帰ってきたため、しっかり戦っていないのではないかと、2度怒られたことがあった、どちらも上官とケンカになった。

 

「戦争は血の海、映画のような世界ではない」

まさに「永遠のゼロ」の舞台となった世界に生きていたが、あのような綺麗なものではない、実際の戦場は、体の色々な部分が千切れ飛び、まさに血の海地獄である。

戦争は絶対に避けなければならないものである。

 

「いざとなれば、いかに小さないざこざでも勝たなければならない」

まさに勝てば官軍、戦勝国は絶対である。

一般市民に原爆を落としても戦勝国は戦勝国である。

終戦のとき、天皇陛下の一言により暴動もなく収まったが、もし何かあれば色々な国が乗り込んできた挙句、男は処刑され、女は娼婦となり外国人の子供を産まされていたであろう。たまたま無事に現在を迎えられているが、今後何かがあった際には、どのような卑怯な手を使ってでも、勝たなければならない。

 

「特攻は10死にゼロ生である」

九死に一生という言葉がある。

爆撃機や偵察機での出撃は1の生を拾いに行くが、特攻は10の死しかない。本当に可愛そうである。

たまに、かえって来るものがあるが、それは(故障などの場合で)一人で乗っている戦闘機タイプの特攻機のみである。複数人で乗っている場合は(帰還の判断など出来ないので)帰ってこない。 永遠のゼロは、その点正しく描かれていた。

 

「訓練生には暴力もふるって教えた」

通常、1~2年かかって教える飛行を、たった3か月で教えなければならなかった。

暴言も吐いたし、暴力もふるった。

(10の死しか待たない特攻訓練生に、特攻に行くために教える飛行訓練は本当に辛かったものと推察します。この話をされる時の悲しい表情が物語っていました。)

 

「日本民族は素晴らしい」

あれだけボロボロになった日本は、戦後たったの19年でオリンピックをやり、新幹線を走らせた。今の日本人も甘えずに奮闘すべきである。

 

本当に貴重な、勉強になる話を聞かせて頂きました。

加藤昇さんと、長瀬たけし後援会の皆様に、改めて感謝をいたします。

 

神戸市会議員

五島だいすけ

 

講演の後、一緒に写真を撮って頂き、握手もしてもらいました。

その時に

「これからの日本をお願いしますよ」

と言われた、たいへんな話を聞いたあとだったので、涙があふれそうになったが、

「分かりました」とだけ答えました。

司会に徹しておられました長瀬先生、ありがとうございました。