おひさしブリーフ(喪中) | 徒然日記~統合失調症患者の無駄話~

徒然日記~統合失調症患者の無駄話~

統合失調症患者です。自傷行為はしません。比較的落ち着いた自閉症持ちの統合失調症患者です。通院歴は10年超!の30歳↑!

こんにちは(* ̄∇ ̄)ノ


おひさしぶりです。なんかまだまだらだら生きていてスミマセンね。寿命来たら死ぬので、それまで色々ご迷惑おかけします。よろしくだよ。


インドだと『お前は人に迷惑をかけて生きるのだから、人から迷惑をかけられても怒るな』的な教えで教育されて大人になるそうですよ。

日本とは違うんですね。日本だと『人に迷惑をかけるな』と教えられて育ちますね。

来世はインドに生まれようかしら、なんて。


さて、前回の記事が去年の6月ごろでした。


いやいや、おい!サボりすぎ!サボりすぎだよー私!


なんか書きたい事は特に見付からなくて、気が付いたら新年早々に母が他界しまして。


あ、命日は1月6日です。天国に旅立った時間は午前10時。享年69才でした。旅立つ時にコロナ禍ですが病院の配慮で残された家族揃って面会して見送る事が出来ました。病院にはお世話になったなぁ。


葬儀は1月12日にしめやかにキリスト教式の近親葬で行いました。火葬場の直ぐの葬儀所で行いました。

火葬したら、母だった体は綺麗な真っ白な骨になりました。お骨ってこんなに少ないっけ?って思いました。まあ、元々母は140センチ台の身長でしたのでお骨が少ないのはまあそりゃそうか、なんですな。


私は父を小学1年生の時に交通事故で亡くし、祖父母を中学生の時に病で亡くしました。


人の死に沢山触れて来たけど、母が亡くなった時は泣き腫らしました。統合失調症で精神的に不安定だったのもあるのでしょうけど、まだ心の状態は完全に戻ったわけではなくて、フラッシュバックするんですよね。母が天国に旅立つ瞬間とか納棺に立ち合った時の事、葬儀で棺にねむる母を花で飾っていく瞬間とか、嗚呼駄目だこの記事書きながら涙が出てきた。


弱いなぁ、私は。


五体満足で丈夫に産んでもらったのに、心は弱い。

何かしてないと思い出してしまうんだよなぁ。


うちの母はさ、生まれつき弱視だったのが緑内障になって全盲になったんです。

50代最後の歳辺りで『肺膿瘍(はいのうよう)』と診断され入院して、それから特に右肺がどんどんダメになっていって、喉の状態も悪くなり『誤嚥性肺炎』で何度も入退院を繰り返して、60代後半は介護される生活だったんです。『肺膿瘍』の時にバランス感覚も無くしてしまい、2階で生活するのは無理だと家族の判断で母のベッドや衣服等を1階の和室に全てではないのですが持ってきて、そこで母は寝食するようになって、何回目かの入院でベッドを介護用ベッドにして、パルスオキシメーターと額で体温を計る体温計を姉が購入してくれて、そこから食事やバイタルをノートに記録するようになって、大変だったけど介護させてもらうのもいい経験だったと思います。酸素吸入(カニューレでの吸入)も必要でした。姉が「お母さん、死ぬ前の歌丸さんみたいだよ」と言っていたのを記憶しております。病院のドラマとかで見かけるヤツ(お椀みたいなヤツ)じゃない方の酸素吸入です。


食事が普通の食事からミキサー食(おかずとかミキサーにかけて形を無くしたもの)に変わった時は私がミキサーのカタログを電器店から貰ってきて義兄がブレンダー(ミキサー)を買ってくれたっけ。


新米ママさんとかなら分かると思うんだけど、ミキサー食って大変ですね。ブレンダー(ハンディタイプのミキサー)だと、長い時間使ってると腕が悲鳴をあげるんです。でも、作らないとっていうそれが介護だと介護終わるまで毎日の様にズゾゾゾーって。ミキサーの音合ってる??


なので、姉にミキサー食をほとんど作ってもらってたので、いやはや悪いことをしたなと。


コロナ禍になる前は私が面会へ毎日他愛もない話をしに通っていたんです。

市内の大きな急性型の病院から隣の市の療養型の病院に移る前にコロナが流行りだして面会出来ませんってなった時には毎日洗濯物を取りに行ったり洗ったものを届けたり。市内の病院では顔を覚えられてしまっていると思います。いやはや、恥ずかしい。常にすっぴんなアンポンタンが来たよ、とか噂になってそうだ、なんて。


隣の市の病院は姉に行ってもらってました。

私が車で地図見てもワケわからん系方向音痴なので。恥ずかしっ。でも、主治医の先生とか栄養指導の専門の人から呼ばれるときは、私も自分の車で何とか病院に行って話を聞いてました。


昨年末の12月31日~新年明けての4日まで最後の自宅での介護になりました。

その時の母の体重は23キロ。私の半分しかない。本当に元々小さい母は更に小さくなってしまっていました。

どういう原理で生きてるの?と怖い想像は何度もしました。痩せてるという言葉で収まらない位痩せてるんですよ。そういう私も信じられないくらい血圧が低いんですけどね。こういう所は母に似ているなぁ。ははは。笑い事じゃないや。


まあ、そんな小さくなってしまった母の最後のワガママは『りんごジュース』でした。

母は元々果物が好きな人(私とは真逆!)で、特にりんごが好きで、私が成人してからもりんごをよく剥いては姉が食べてました。姉が皮剥き苦手なので母によく頼んでました。とか言う私も皮剥き苦手なんですな。苦手なんじゃなくて、出来ないが正しいかな。尖端恐怖が有りまして。刃物とか針とか怖い((((;゜Д゜)))

母は目が見えて無いのに、何でか皮剥きが出来たんです。手の感覚が凄い人だったのかな。父と結婚する前迄、編み機を相手にする仕事をしていたと聞いたことがあります。


姉ですが今はりんごなどは旦那様に剥いてもらってます。料理は得意ではないけど皮剥きは出来る旦那様。あ、バナナは流石に自分で剥いてますね。

食べてるとこ見たこと無いけど。


さて、そんな感じで。私と姉は両親がいなくなり、それぞれ自分の道を歩いていかないと行けないのですが。

姉の方はなんだか順調なんですけど、私が問題なんです。現在利用させていただいてる地域活動支援センター(作業所)を傷心という理由で休ませて頂いてます。

そろそろ復帰しようかと思った矢先に、左肩を痛めてしまいまして。痛みは左肩から肘迄の範囲で診断名が『四十肩』でした。温湿布で治療中ですが、温湿布って温かくないね。冷たくなくて痛みを和らげるだけ。で、お風呂前に温湿布を剥がすのですけど

、、、痛い。産毛が持っていかれるのか剥がすのが一番痛い。強粘着なのかしら?最近の湿布という物は。

先生からは「温めてね」と言われたので、肩だからお風呂にじっくり浸かるようにしてます。そして昼間は肩を回す。そして、ポケモンの新作をプレイ。


ある日の朝突然激痛が走って朝早くから痛いと叫ぶわけにもいかないので、静かに痛い痛い言いながらいまも生活してます。

早く治ってくれ、作業所にいつ復帰できるんだよ私は。

今年はスキルアップが目標なんです。出来ることを増やしたいのです。だからユーキャンで資料請求してやりたいことを探してるんです。今はデジタルイラストに興味があります。元々アナログで絵を描くのが趣味というか出来ることなので、デジタル移行したいなと。ま、ノートパソコンと液晶タブレットを買ったままにしているのでそれもあるんですけど。

土日を使ってユーキャン講座して、平日は家事しながら作業所に通えたら今は良いかな、というのが理想です。


はい。少しマイペースに頑張ります。


ではね、長々と書いてしまいましてすみません。ここまで呼んでくださったあなた様は偉い!大統領だってこんな長い記事読みたくないと思います。

本当に書いてなかった期間が長くて、何処まで書けば良いのかわかんない。


こんなくそ長い記事書きやがって早く寿命を迎えればいいのに!とか思われてそう。ははは。( ・∀・)


あはは。もう夕飯の支度始めないとだから、そろそろ終わろう。


じゃ、皆様


また次の記事で会いましょう!!