いよいよ来週からホームドラマチャンネルで『ベイシティ刑事』が始まるということで、今回は1987年10月の同時期スタートの『あきれた刑事』も絡めての紹介。はみだし刑事のアクションドラマ、そしてイケメン同士のバディもの、もちろんウィットに富んだ台詞や展開の応酬と、どちらも『あぶない刑事』の影響をもろに受けていた。


前回の当ブログで記したように、『あぶない刑事』は80年代半ばの刑事ドラマ冬の時代において大ヒットを記録する。当然、ヒット番組となれば、模倣する番組が出てくるのは世の常。当時のテレビドラマは企画の立ち上げから放送開始までおよそ半年掛かるといわれていて、『あぶない刑事』の大ヒットが顕著となった1987年春先から半年後の1987年秋に雨後の竹の子のごとく、その二つの刑事ドラマが誕生した。


時任三郎×永島敏行主演の『あきれた刑事』は、『あぶない刑事』と同じく日本テレビ-セントラルアーツ制作だったから後継番組ともいえるもので、藤竜也×世良公則主演の『ベイシティ刑事』はテレビ朝日-東映制作ではあったけど、監督や脚本陣などのスタッフが『あぶない刑事』と結構重複している。奇しくもどちらも水曜日の放送。セントラルアーツは東映の傍系ということで調整が効いたのか、幸いにも同時間帯のバッティングは免れ、8時からが『あきれた刑事』、9時からが『ベイシティ刑事』という連チャンの列びとなった。


さて、ここからが私見となるが、『あきれた刑事』と『ベイシティ刑事』、当時どちらが人気あったかといえば自分の廻りでは断然『ベイシティ刑事』だった。それにアクション刑事ドラマの最たる魅力のガンアクションはプロップガンをはじめとして、『ベイシティ刑事』が一枚も二枚も上手。『あきれた刑事』の魅力はそこじゃないとしても、時任三郎のはなからオモチャを扱うようなガンさばきはいただけなかった。それに対して『ベイシティ刑事』での世良公則のこだわりに満ちたガンさばきは必見。放送期間は6ヶ月なのに、『ベイシティ刑事』は銃器専門の月刊『Gun』誌において、たしか2、3回は特集で取り上げられた頻度の高さだったんじゃないかと思う。


それに『あきれた刑事』は制作元が同じだっただけに『あぶない刑事』と違いを出したかったためか、ヒットを生んだ手法は同じでも設定はいじって、廻りに正体を隠した潜入刑事とヤクザをも手玉にする凄腕アウトローのバディものという変化球で、刑事ドラマというよりは探偵ドラマという感じであった。一方の『ベイシティ刑事』は『あぶない刑事』そのままにバディを組むのがはみ出し刑事同士だったり、港町・横浜を舞台にしているなど、かなりストレートに真似ている、いや攻めている。むしろ、はみ出し刑事や港町・横浜などの設定は『あぶない刑事』よりも比重が高い。


というのは、主演の藤竜也にとって、1978年の『大追跡』、1981年の『プロハンター』で、すでになじみの舞台だけに“元祖・ハマの刑事”という趣を感じさせたし、なんといったって、プライベートにおいてもゆかり有るところで横浜が出身地であり、現在に至るまでの所在地であるのだ。


そして藤竜也といえば、松田優作や原田芳雄の歌唱で有名な「ヨコハマ・ホンキートンク・ブルース」の作詞を手掛けたことでも知られる存在。この曲、作曲者は高校の後輩で交友があるエディ藩で、ふたりで一週間飲み明かして作ったものだとか。エディ藩は中華街のレストラン経営者の子息として生まれ育ち、ゴールデンカップスで世に出た時から同年代の中華街の仲間内では英雄的な存在だった。だからか、その兄貴分の藤竜也が出演していた『大追跡』や『プロハンター』などの中華街のロケにおいて至極協力的だったことも頷ける。もちろん『ベイシティ刑事』でも中華街ロケはふんだんに取り入れられている。


ただ、視聴率的なことを述べれば、『あきれた刑事』が毎回10%を少し越えてて、『ベイシティ刑事』は10%いくかどうかと、『あきれた刑事』のほうが若干上回っている。しかし、どっちもどっちで惨敗には変わりない。ちなみに1987年秋スタートのドラマのなかで最大のヒットはTBSで金曜9時から放送の明石家さんま×大竹しのぶ主演のオトナの青春恋愛ドラマ『男女七人秋物語』。視聴率は序盤から25%越えで、最終回に向けて30%越えを連発し、主題歌「SHOW ME」も大ヒットして話題を一手に集めていた。


1987年秋から翌1988年3月にかけての当時は他にも日本テレビで『太陽にほえろ!』の後継番組『ジャングル』→『NEWジャングル』があったり、テレビ朝日では岩城滉一を主演にして『私鉄沿線97分署』の二番煎じのような『ニュータウン仮分署』、緒形拳主演のよせばいいのに時代に寄り添った怪作『六本木ダンディー・おみやさん』など、それなりに刑事ドラマのラインナップは潤ってはいたが、視聴率的にも話題的にも奮わなくて『あぶない刑事』に追随するようなヒット作は生み出せなかった。


結局、『あきれた刑事』と『ベイシティ刑事』の水曜夜の連チャンは刑事ドラマファンが歓喜しただけで、『あぶない刑事』が巻き起こしたようなムーブメントは起こせなかった。その『あぶない刑事』は1988年夏に映画第二弾、そして秋から連ドラの続編『もっとあぶない刑事』が始まるも、もはや刑事ドラマというよりも“あぶデカ”というジャンルの様相で制作。この継続した“あぶデカ”のブームによってその後も『ゴリラ・警視庁捜査第8班』や『あいつがトラブル』を生み出せたが、アクション刑事ドラマの復権には繋げられなかったのは残念だったと思う。



○だん吉なお美のおまけコーナー

80'sフリークの自分にとって、1987年はもっとも思い入れある年。この『あきれた刑事』と『ベイシティ刑事』を放送していた1987年はテレビ番組的にもヴィンテージだと感じている。当ブログでは他にも1987年のテレビ事情を紹介しているので、ここにいくつか紹介。


1987年のクリスマスセレクション

http://ameblo.jp/goro-chayamachi/entry-11115411472.html


1987年 業界ドラマブームと、その時代

http://ameblo.jp/goro-chayamachi/entry-10896082651.html