刑事ドラマフリークにとって来月はまさにお祭り。既報の通り、ホームドラマチャンネルにて『ベイシティ刑事』が始まるとともに、TBSチャンネルでは自局で放送してた『七人の刑事』の1970年代版も始まる。なお、意外にもCS初登場だ。


TBSチャンネル公式HP 番組紹介
http://www.tbs.co.jp/tbs-ch/lineup/d1925.html


『七人の刑事』のオリジナル版は1961年から1969年まで放送されていたもので、1972年スタートの『太陽にほえろ!』が出てくるまでは“刑事ドラマの金字塔”という言葉はこのドラマのためにあったものだった。TBSは1970年代後半の刑事ドラマブームのなかで、9年ぶりに『七人の刑事』を復活させた(この間、1973年と1975年にスペシャルドラマを計4本放送)。それも『太陽にほえろ!』の真裏、金曜夜8時にぶつけるという、じつに挑戦的なことをしている。

1978年4月期のテレビにおけるアクション&刑事ドラマ一覧

月曜日 テレ朝●『新幹線公安官』
火曜日 日テレ●『大追跡』
水曜日 TBS『明日の刑事』、テレ朝『特捜最前線』
木曜日 なし
金曜日 日テレ『太陽にほえろ!』 、●TBS『七人の刑事』、●テレ朝『東京メグレ警視シリーズ』
土曜日 TBS『Gメン'75』
日曜日 なし

●印は1978年4月からの新番組
*石原プロはテレ朝日曜夜8時枠で、渡哲也主演のナンセンス時代劇『浮浪雲』を制作


当時の『太陽にほえろ!』は視聴率的には全盛期で常時30%前後を記録していて、裏のTBSは何をやってもダメだったのだが、TBSは続く夜9時からは大映テレビの制作によるドル箱ドラマ『赤い』シリーズを持っていて、こちらでは日テレのホームドラマ以下すべての裏番組を圧倒している。翌日の土曜日は、その時代にテレビを観ていた多くの方が記憶しているように、夜7時『まんが日本昔ばなし』→7時半『クイズダービー』→8時『8時だョ!全員集合』→9時『Gメン'75』と、ゴールデンタイムはTBSの一択状態。なので番組の視聴率が良好であればあるほど相互作用は効くものだけに、足かせとなっている金曜夜8時のテコ入れをブームの刑事ドラマで、それもネームバリュー抜群の『七人の刑事』で図ったわけなのである。


しかし、『七人の刑事』は初回こそ視聴率21.8%を獲るも、その後は週を追うごとに5%ずつ激しくダウンしていき、5月になると10%台前半、6月にはついに10%に届くかどうかの一桁が当たり前の低視聴率となってしまった。それでも『七人の刑事』という金看板を持ち出して鳴り物入りで始めただけに止めるに止められず、1979年10月まで一年半もの間だらだらと続けることになっていく。


さて、挑戦状を叩きつけられた格好の『太陽にほえろ!』はどう出たのか?、刑事ドラマブームの火付け役であり、数多ある番組の中で一番の視聴率、そして人気を誇っていただけに、TBSが威信をかけた『七人の刑事』を持ってこられても当初から余裕の態度であった。


新人刑事の殉職降板→新刑事加入というのが売り物であったけど、この頃は超安定期で、前年加入のロッキー刑事(木之元亮)以降、この1978年は10月にお茶くみが木村理恵から友直子にバトンタッチしたくらいで、翌年の『七人の刑事』終了3ヶ月前の1979年7月になってようやくボン刑事(宮内淳)が殉職降板→スニーカー刑事(山下真司)になるのである。まさに横綱相撲とはこのことであった。


しかし、驕る平家は久しからず。後番組は、かの武田鉄矢主演の『3年B組 金八先生』。日テレが水谷豊主演『熱中時代』で一発当てた“先生もの”というジャンルの二番煎じかと見られたが、『太陽にほえろ!』は当時アクション路線を控えて人間ドラマ路線に偏重しつつあったのも祟って、このダークホースの登場に早々に視聴率を追い抜かれてしまう。そして、半年後には『3年B組 金八先生』が最終回に向かって毎回30%台を連発して盛り上がっている横で、『太陽にほえろ!』が15%行くかどうかと完全に逆転を喰らってしまった。