1989年12月、フジテレビは“あぶ刑事”ブームにあやかり、『オレたちひょうきん族』終了後の土曜夜8時にアクション刑事ドラマ『あいつがトラブル』をスタートさせる。

 

主演は南野陽子、そして相手役にショーケンこと萩原健一。

 

 

当時、話題性はとにかくあった。南野陽子はアイドル四天王と讃えられていた人気絶頂期で、さらにこの作品のためにロングヘアだったのをボーイッシュなショートカットにばっさりと切ってイメチェンしたのが放送前の一番のトピックだったくらいだ。

 

 

一方のショーケンは役柄の設定に、『太陽にほえろ!』の新人刑事・マカロニが殉職せずに生きていたして、時を経て管理職になったら、という設定をベースに入れられた。ショーケンという人は、先日放送されたTBS『スター同窓会』の出演でも自ら言及していたように、過去にこだわらないばかりか、過去のイメージをことごとくやぶっていくことが信条としていた人で、『太陽にほえろ!』の新人刑事第一号にして殉職刑事第一号のマカロニに思い入れはそれほどなかった。廻りがそのイメージ神格化させていて、むしろ避けていたのだけど、どうしてだか、マカロニのオマージュ的なものを受け入れた。

 

 

時代はちょっと遡って1987年2月、『太陽にほえろ!』が残務整理みたいな1クールだけの続編『太陽にほえろ! PART2』をもってシリーズが終了する際、その記念に関東地区では夕方の再放送に超初期のマカロニ時代のものから特集して放送した。この時期の再放送分は久しぶりのことであって、まだ『太陽にほえろ!』のビデオソフトがパッケージ化される前で、ほとんど初めて観るそれに当時十代の自分は新鮮だったし、二十代から上の世代は懐かしくもあったのではないかな。再放送にもかかわらず当時結構話題となり、これが後々のビデオソフト化につながっていく。そして、『あいつがトラブル』放送開始の一ヶ月ほど前にマカロニの後任新人刑事だったジーパン役の松田優作が亡くなり、早くも1970年代の野性的だったころの松田優作へのリバイバルブームが巻き起こって、そのなかのひとつとして再び『太陽にほえろ!』の初期にスポットが当てられていた。だから、当時は『太陽にほえろ!』の初期世界観を渇望する声は、たんに制作者の想いだけではなく、視聴者側にも存在した。

 

 

さて、『あいつがトラブル』に話を戻そう。模倣した“あぶ刑事”の一番の要素であったファッショナブルさも、もちろん取り入れられる。南野陽子は毎回マニッシュなキャリアスーツやカジュアルなスタイリングもエスプリが効いたもので、まるで女性ファッション誌から抜け出たみたいなかんじで、ここらへんは当時のトレンディ・ドラマをも反映させている。

 

 

時代の先端とノスタルジックを併せ持った『あいつがトラブル』、こうしてフジテレビ土曜夜8時の起死回生をはかるべく送られることになった。

 

 

が、12月2日の初回の視聴率は、期待に反してわずか9.7%。これは前番組『オレたちひょうきん族』の末期とほぼ変わらない数字である。記録に寄れば、この日の裏番組のTBS『加トちゃんケンちゃん ごきげんテレビ』は25.3%、テレ朝『暴れん坊将軍Ⅲ』が19.7%を獲ったという。

 

 

『あいつがトラブル』は当初から1990年3月までの放送で、話数も16回(実際は15回に短縮)だったから、よく言われるような打ち切りだったわけではないけど、各局の視聴率の分布図はこのままで、当時流行の要素全部つぎ込んだような“南野陽子版『あぶない刑事』 with ショーケン=マカロニ”を持ってしても、フジテレビは土曜夜8時の状況は覆られなかった。

 

 

失敗はドコにあったのだろうか?

 

 

一つはこの手のアクション刑事ドラマに食傷気味だったのもある。1989年、じつは“あぶ刑事”のブランド以外のものは散々だった。舘ひろしが『もっとあぶない刑事』から間を空けることなく登板した1989年4月放送開始のテレ朝『ゴリラ 警視庁捜査第8班』はコケて、同年秋よりテコいれを余儀なくされて、当初掲げたアクション色は薄まっていったし、柴田恭兵&仲村トオルのコンビが主演となって“あぶ刑事”のスタッフで作っていった1989年10月から放送開始の日本テレビ『勝手にしやがれ ヘイ!ブラザー』もコミカル色に逃げてしまいイマイチ感はぬぐえなかった。“あぶ刑事”の主演コンビでさえこのザマだった。

 

 

二つ目は、ショーケンのキャラ立て。演じる役は、日陰部署の失踪人課の課長という管理職で、いわゆるボス役。だから、南野陽子ら若手刑事が走ったり、撃ったりしているなか、歯痒い思いで彼女らの“トラブル”に怒鳴り散らしているだけ。イメージとのギャップ狙ったものだったろうが、さんざん煽ったショーケン=マカロニを期待していた視聴者には不評で、途中からショーケンが率先して走ったり、撃ったりして、若手刑事らがそれに振り回されるかんじに180度方針転換していく。

 

 

そして最大の失敗の要因は南野陽子だった。

 

 

南野陽子はデビュー翌年の1985年放送開始の『スケバン刑事Ⅱ 少女鉄仮面伝説』でブレイクし、全盛期に入った1987年には大映テレビの『アリエスの乙女たち』の主演や1988年のNHK大河ドラマ『武田信玄』で印象的な役演じて女優としてのキャリア積むのだけれど、アイドル四天王として讃えられたこの1988年を持って女優としてのキャリアに翳りが生じてくる。

 

 

1988年、フジテレビで主演した二つの連続ドラマ『熱っぽいの』や『追いかけたいの!』は主題歌に起用されたWINKがヒットしていったものの、肝心のドラマのほうは話題にならなかった。それでも、南野は自身が歌唱する曲や起用されたCMなどは立て続けにヒット。そして、1989年夏にはトップアイドルの指標たる日本テレビ『24時間テレビ』のその年の顔、チャリティーパーソナリティーに選ばれるなどアイドルとしての頂点を極めていく。

 

 

しかし、その華やかさとは裏腹に、事務所独立問題やそれに付随する週刊誌からのバッシングなど本当の“トラブル”を抱えていく。およそ一年ぶりの連続ドラマ出演となった『あいつがトラブル』はその最中であった。これがいかほどまでに作品に影響したかはわからない。でも、南野陽子は意を決してショートカットにした髪を維持することなく伸ばし始めてしまう。

 

 

自分的には、『あいつがトラブル』は当時南野陽子のファンだったから熱心に観ていたし、いま観てもそれはそれで面白い作品だと思う。ただ、当時もいま観ても“抜けきらない”作品であることは否めない。

 

 

フジテレビは『あいつがトラブル』終了後の1990年4月からはこの土曜夜8時枠はドラマを続けることなく、『ザ・ウォッチング!!』というバラエティドキュメント番組持ってくるが、かなりの頻度で巨人戦のナイター枠に充てられた。そして、プロ野球のシーズンが終わった1990年10月から当時飛ぶ鳥を落とす勢いだったウッチャンナンチャンの『やるならやらねば!』で『オレたちひょうきん族』以来のバラエティコント番組が復活し、一時代を築く。こうして『あいつがトラブル』は完全にテレビ史のなかに埋もれていった。

 

 

2011年、南野陽子は『フェイク 京都美術事件絵巻』で、『あいつがトラブル』以来の刑事役を演じた。物語は美術品に関わる事件の巧妙なトリックを解き明かす謎解きモノだけに、わずかなシーンしかないのだが、南野陽子のガンアクションが登場して自分は驚喜した。それは全国に数少ない『あいつがトラブル』のファンも同じ想いだったことに違いない。

 

 

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