1980年前後に週に10番組もあった刑事ドラマは、1980年代半ばになると曲がり角に来ていた。フジテレビは大躍進した“軽チャー路線”と引き替えにその手のドラマは制作されなくなり、TBSでは『Gメン'75』終了以後の『Gメン'82』と『スーパーポリス』が立て続けの放送打ち切り。テレ朝では両軸であった『西部警察』シリーズが1984年に、そして『特捜最前線』も1987年に終わってしまう。理由は単純に飽きられたから。それと前後して刑事ドラマの代名詞とも言えた日本テレビ『太陽にほえろ!』は1986年11月に終了するなど、冬の時代を迎えていた。


ただ、『太陽にほえろ!』の場合は事情がいささか異なる。1980年代初頭、TBS桜中学シリーズとの視聴率戦争だった最中、三田村邦彦、渡辺徹、神田正輝のミワカン・トリオ、世良公則が入ってカワセミ・カルテットなどのアイドル刑事路線で盛り返したものの、1980年代半ばになると、その路線も出演する役者の交代などでどんどんなくなって、一般の人にはいまとなっては思い出せない印象の薄い刑事たち(松田優作のフォロワー、マユゲ、カネヤンの息子 等)に入れ替わっていったこともあって、往時の人気や話題をつかめないジリ貧状態のまま経過していく。それでも視聴率的には及第点だったようで、「継続は力なり」のもとに作られて放送されていった。


しかし、休養降板していた石原裕次郎の病状回復とそれによる復帰がむずかしい状態となったことで踏ん切りが付いて、最終回に石原裕次郎復帰させて一旦締めて、後番組に大半のレギュラーと設定そのものをそのまま引き継いだ1クール分の『太陽にほえろ! PART2』でつないで、『太陽にほえろ!』とは違う新しい刑事ドラマ作ることにした。それが『ジャングル』であった。


さて、『ジャングル』とはどんな刑事ドラマであったのだろうか?、一言で言えば「『太陽にほえろ!』のアンチテーゼ」であった。その大きな軸は三つある。


まず、『太陽にほえろ!』のような警察組織の仕組みや捜査手法を割り切って無視して管轄の捜査課から幾人かだけで動くのではなく、重大事件には本庁からも人員が出向し、捜査本部建てた上で、実際に行われているように人海戦術による捜査で行う設定やそれにまつわる台詞などリアルさを出来るだけつぎ込んだ。


二つ目は、上司から駆け出しの新人にいたるまで刑事たちが、あの熱い“デカ魂”の前にサラリーマン意識で行動したり、考えを持っていたりする。それからニックネームはスニーカー履いていたからスニーカーとかなんてじゃなく、せいぜい名前を略称にしてさん付けする程度で、上司は部下のことは名字で呼ぶなど、至って普通。


三つ目は、ひとつの事件だけを一話完結で進めさせるのではなく、本筋の事件とは関係なかったり、あってもたいしたことがなかったりする事件が同時進行で起こり、それを複数話で構成していく。


『太陽にほえろ!』においてその全盛期から散々揶揄されてきた信憑性のない部分は廃して、いままでのどんな刑事ドラマにもないほどのリアル志向で作り上げていくことを目指した。


そして、新番組『ジャングル』を1987年2月末からスタートさせる。


改編期よりも早いこの2月末スタートの『ジャングル』は番組編成的には、偶然が重なったこともあってその開始時期がすこぶる良かった。前年から始まったTBSの『風雲!たけし城』は一時はこの時間帯を制していたが、前年12月のフライデー事件により、たけしとたけし軍団のほとんどが芸能活動謹慎によって番組出演出来なくなってしまい番組が急激にパワーダウンしてしまう。テレ朝では現在も続く長寿番組の『ミュージック・ステーション』が前年10月に始まったものの、時代にそぐわぬ明後日なつくりで低迷していた。フジテレビは『金曜おもしろバラエティ』という単発のバラエティ特番を放送する番組枠であったけれど、改編期の4月からは当時視聴率20%台は確実に獲る巨人戦のナイター枠に当てはめられるため、『ジャングル』はその先手として初期の4話連続ものを余裕があるうちに放送しておいて改編期やナイターシーズンでひしめくあう頃には番組を軌道に乗せたかったに違いない。


しかし、この編成的にも好条件だったのに、『ジャングル』は初回から低迷してしまう。やはり番組に魅力が感じられなければ、裏番組の代わりに観てくれるほど甘いものじゃない。それに、当時におけるテレビドラマの枠組みでは、リアル志向はウケなかった。いくら『太陽にほえろ!』の“おとぎ話”を否定されていたからって、その対極にあるものが良いというわけではなかったのだ。制作元である日本テレビ-東宝のスタッフは完全に見誤った。


同時期に一方で、“おとぎ話”をベースにしながらも、洒落た展開とアクション、そしてユーモアに満ちた『あぶない刑事』(1986年10月開始、日本テレビ)がウケていた。基本フォーマットは前番組『誇りの報酬』であったり、参加していた脚本家が数年前の『西部警察』シリーズで書いた館ひろしと三浦友和(あるいは柴俊夫)のコンビに焦点をあてたエピソードがプロトタイプになっていたり、はたまた制作元のセントラルアーツがかつて作っていた『プロハンター』(1981年4月開始、日本テレビ)でのノウハウを活かしたりしていて、別段新しさはなかったものの、いままで刑事ドラマなんて観なかった視聴者層まで取り込んで、たんなるヒットドラマというだけではない時代を代表するテレビ番組に成り上がる。


そして『あぶない刑事』で提示したコンビ刑事、港町・横浜が舞台、ファッショナブル性全開にした画面作りは、同じスタッフが作った後継番組『あきれた刑事』はじめ、『ベイシティ刑事』や『あいつがトラブル』などの模倣作を生み出す。まさに、ヒットドラマの証左であろう。


それに対して『ジャングル』は、後年の『踊る大捜査線』(1997年、フジテレビ)でその元ネタの一つとして再評価されるまでは半ば忘れられた存在であり、当時としても追随したり、模倣するものなど現れなかった。それだけそっぽを向かれたドラマなのである。しかし、極端な視聴率の悪さではなく、なんとか10%台は保っていただけに、この時間枠で長年続けているスポンサーの理解もあって番組は継続されていく。ただ、テコ入れのあらしで、複数話で構成する展開は早々に終わって一話完結にし直したり、当初掲げていたリアル志向な設定はどんどんと立ち消えになっていった。そして群像劇からデビューまもない江口洋介をジーパン刑事のような新ヒーローに仕立てた『NEWジャングル』へとリニューアル。この後もさらに『太陽にほえろ!』に回帰していく展開に拍車が掛かった。



当時中学生だった自分は、世の中の流行にながされるままにテレビを観ていた。


末期の『太陽にほえろ!』、『太陽にほえろ! PART2』はほとんどが未見であったのに、日テレがまるで角川映画なみにその宣伝に力を入れていた『ジャングル』は初回から観ていく。しかし、世間一様につまらなさを覚えて(いま観ると面白く感じるが・・・。とくに第12話「警察官蒸発」は好きなエピソード)、しばらくして視聴を辞めてしまった。そして『NEWジャングル』の頃なんてほぼ観ていなかったけど、後番組の『もっとあぶない刑事』は毎週「保存版」でビデオを録りながら画面に囓りついて観ていた。


当時の自分はいまほどではないにしても刑事ドラマ好きだったはずである。それでもこの惨状である。


『あぶない刑事』との明暗語ればキリがないし、画一的なことしか出てこないが、生真面目な『ジャングル』を、そして刑事ドラマそのものを追いやったドラマが出てくるので次回はそのドラマについて語りたい。