そして また ―

 

Gくんのような人が まぶしいように見えてくる

 

土壌のようなものがあって

 

おとなの存在は やっぱり その土壌の豊かさと 関係があるのだと思います

 

 

ソリはなくても

 

こりゃ 楽しそうだから 乗り遅れちゃいかん!

 

とばかりに

 

横から 滑りに馳せ参じる Hちゃんが まぶしかったり

 

 

 

 

おとな1人と 子ども2人の 重さを

 

思いっきり 押した感触いっぱいに

 

滑ってゆく 後ろ姿を 見送る

 

Rくんが まぶしかったり

 

 

 

 

前が まったく 見えなくても

 

毎回 おおきなお尻に しがみついて滑りたい

 

という Mちゃんが まぶしかったり

 

 

 

 

そのような

 

まぶしさを いくつも いくつも産み出すのは

 

分断の感覚ではなくて 融合の感覚をもった

 

おとなの存在が

 

土壌となっているからだろうと

 

 

毎日 毎日 ファインダーを覗いて

 

命のことを想う

 

を 続けている僕は

 

今夜のところは きっぱりと そう想います