EF55 後期量産型 | ゴンブロ!(ゴンの徒然日記)

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本日の御紹介は1940年代の講談社発行の絵本からEF55量産型の図です。

キャプションは「日本で一番新式の流線型電気機関車」


EF55
は周知の通り、1936年の生産開始以降、1930年代から1940年代にかけて八次にわたる量産が行われ、総数で48両という大量産がなされました。
特に、対英米戦講和後、平時回復による旺盛な旅客輸送伸長と軍部の電化忌避解消(本土攻撃されるような事態になれば、電化鉄道の被爆云々の前に戦争継続不可との認識が共有された)による急激な電化区間の拡大により量産された後半型は、航空産業からのスピンオフとしてのころ軸受の採用、軽合金の採用、
高速主電動機の装備に加え、歯車比も高速寄り (25:77 = 1:3.08) となった高速専用機となり、大陸ルートとして益々重要性を増した東海道、山陽本線の電化区間で特急、急行列車の牽引に活躍しました。


図は後半量産型の一両 EF55 84です。(八次車は80番台の形式を付番。)

丸屋根の三等客車は鮮鉄局「あかつき」型軽客車の意匠を汲んだ軽量客車です。上り第三櫻と思われます。


高速専用機の判り易い特徴としては、塗装を満鉄の影響を受け、葡萄色から薄紫色に変更していることで、高速性能の発揮を追及したタイプには前頭の流線型部分を拡張し、側面スカート部分を大きくしたものもありました。

同機種では1948年に東海道本線の島田~藤枝間で行われた高速度試験で電機としては当時の内地では最速の145km/を記録したことでも有名です。

当機はその素直な素質から重量型旅客列車の高速牽引用のEH50から、更には東海道広軌新線(弾丸列車)のHEH50にも発展し、鮮鉄局のデロコ、デロロ、満鉄のデハイ、デハニにも強い影響を与えましたが、傑作なるがゆえに、1950年代を通じて、鉄道省で続いた動力集中式か動力分散式かの論争を膠着化させる結果を招いたともいわれています。

 

 

・・・と、妄想はこの辺にしておきましょう。

今日は41日です。

 

さて、本絵ですが、絵本自体は戦前の大日本雄弁会講談社発行の「乗物づくし」(1937年発行)という実在する本物です。美しいイラストの本なのですが、今回のEF55の車番が84となっていたり、塗色が何か見慣れぬ色彩となっていたりするように、作者の意図が入ったとしか思えない微妙なズラシがあります。また機会を設けて御紹介します。

これはホンモノのEF55 1(出典 Wikipediaから)

それではまた!