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今回は、現在も「北」に残る「チョンギハ3」(現在の形式はチョンギ3)を何故「東芝デロイ」と判断したか、を取り上げたいと思います。
1. おさらい(生産数)
東芝デロイ 9両
三菱デロイ 3両
日立デロニ 4両
上記16両の内、1両が1953年の朝鮮戦争休戦時点で韓国側に残存。戦時の損耗分は不明だが、理論的には最大15両のデロイ/デロニが北側に残った可能性がある。
2010年時点で「チョンギハ3」の実在は証明されているが、上記三形式のどれが前身かは従来の資料では判断がつかなかった。
2. 結論
「チョンギハ3」の前身は「東芝デロイ」と断定
(判断の理由)
三形式の車体の特徴から、東芝デロイの特徴①②アリと判断。
(台車と上部構造の組み換え等やっていれば、この「断定」は崩れてしまいますが・・・)
3. 個別論/三形式各々の車体の外観上の特徴(新製当時)
(1) 東芝デロイの特徴
①機械部分中央3箇所の窓が中央に寄っている
(側面機械室の窓全体で見ると間隔不均等)
②特有のベンチレータ形状
③特有のデッキ手すり形状
(2) 三菱デロイの特徴
①側面機械室の窓の間隔が均等
②特有のベンチレータ形状
(比較的大きなベンチレータが二箇所付いている)
③特有のデッキ手すり形状
④パンタグラフ架台部分の屋根に接合線?ナシ
(3) 日立デロニの特徴
①側面機械室の窓の間隔が均等
②特有のベンチレータ形状
③特有のデッキ手すり形状
④デッキ中央部分の垂直方向に電気連結器あり
(17芯式の電気ジャンパ3箇所が付属している)
⑤側面機械室部分に溶接線?がある
⑥本体部分の全長がデロイよりやや長い(0.8m本体全長が長い)
⑦車体前面部分の半流線型の仕上がりが、東芝/三菱デロイ
と比較し、やや角ばっている。
同種の電気連結器は1930-1940年代の欧州の新鋭電気機関車の
流行である模様。
かなり以前に御紹介したソ連の電機влの写真にも同じ構造の
器材が写っています。
4. では「チョンギハ3」は東芝デロイの何号機なのか?
残念ながら情報不足で判りません。
車番の連番部分は、前身自体をそのまま使ったという推測から、チョンギハ3=デロイ3かという気はしますが、日本でも車番改番の際には、欠番を詰めるとか良くある話ですので、確証はありません。コウォン機関区でチョンギハ3の実物(台枠とか機械室とか)をこまめに確認すれば、必ずどこかに旧形式の番号が残っているはずですが・・・いつもの通り難易度激高のミッションだなあ。
次回からは、「とよんぽす様」から頂戴した戦後撮影の四葉の写真の残り二枚を使って、
①戦後のデロイ記載新聞記事(高解像度版)
②戦後ヤンドク機関区のデロイ修理の図
の解析に挑みます。
この内①の新聞記事は、ゴンブロ主宰者が、かの解体新書(ターヘルアナトミア)作成なみの?苦吟の末、全体の70-80%の翻訳を何とか完了させました。翻訳結果、修理している機関車に主電動機が6基設置されていること、また、文中に「チョンギハ」「チョンギドゥ」「チョンギソ」という単語が使われていることを発見!
「チョンギドゥ」「チョンギソ」という名称は、ゴンブロ主宰者が前回
デロイを探せ!(その19)
にて推測した、戦後の同地の電気機関車命名規則(「電気」+ハングル固有数字の一部を用いた補助記号)に沿った解釈をすると、各々「電気2」「電気3」と、読めます!(「チョンギハ」も文脈から「電気1」と解釈可能と判断)
となると、推測通り、
「チョンギハ」・・・ 「電気機関車の「1」号⇒旧 東芝デロイ
(今回のゴンブロ検証の通り、この蓋然性は高い)
「チョンギドゥ」・・・ 「電気機関車の「2」号⇒旧 日立デロニ?
「チョンギソ」・・・ 「電気機関車の「3」号⇒旧 三菱デロイ?
ということかも知れません。
この情報は、もしかして、戦後史の空白を埋める新発見か!
・・・と興奮しつつも、翻訳にトライしていたのが、年末年始に子供の受験勉強の手伝いをしていた子供部屋だったので、何か迫力不足ではあります(笑)
それではまた!