東金御成街道歩きの第三回です。
この日この街道の終着点である東金御殿跡までの約23.8㎞
(駅から街道の距離、神社仏閣その他の寄り道すべて含めた
総歩行距離)を歩いた記録を3回ほどに分けてご紹介します。
歩行ルートは以下の通り:
上の地図をクリックすると、Yahoo地図のページにジャンプします。
JRを乗り継いで千葉みなと駅から千葉市モノレールに。
![01](https://stat.ameba.jp/user_images/20150509/21/goldentrout/9d/66/j/t02200165_0800060013301974691.jpg?caw=800)
歩き、御成台1丁目交差点に。そこから真っ直ぐ伸びてゆく
東金御成街道を歩き始めます。歩き初めてすぐに、鼻付き坂と
呼ばれる坂道に差し掛かります。地形としては結構な勾配で
ダウンして結構な勾配でアップする「谷津」と呼ばれる、この日
何度もこの後お目にかかるものです。
![1](https://stat.ameba.jp/user_images/20150509/21/goldentrout/e2/f1/j/t02200147_0800053313301966020.jpg?caw=800)
問題なのは、↑の写真でも見られますが、歩道はおろか
路肩も全くない上、交通量がとても多く皆さん相当な
速度で飛ばしまくっている事です。かなり怖いです。
すぐ右手には西池とも深池とも呼ばれる昔からある池が。
![3](https://stat.ameba.jp/user_images/20150509/21/goldentrout/e6/a8/j/t02200147_0800053313301966019.jpg?caw=800)
その先で余りのクルマの数とスピードが怖いので、右手の
高台状のところにある御成公園に逃げ込んでしまいました。
![2](https://stat.ameba.jp/user_images/20150509/21/goldentrout/8a/c6/j/t02200147_0800053313301966021.jpg?caw=800)
この公園の向こう(東)側には、東池或は中池と呼ばれる、
先ほどの西池・深池と並び昔からある池が見えます。
![4](https://stat.ameba.jp/user_images/20150509/21/goldentrout/75/67/j/t02200147_0800053313301966022.jpg?caw=800)
公園の東側には、街道に復帰する出口が無かったので
強引に柵(膝くらいの高さ)を超えて無理やり街道に復帰します。
交通状況やわずかな道路端のスペースに合わせて右に左に
渡り替えつつ進んでゆくと、御成公園の一番東端に沿って曲がって
行く道の交差点右側に「ちょうちん塚」と呼ばれる一里塚の右側が
現存しています。
![05](https://stat.ameba.jp/user_images/20150509/21/goldentrout/a0/79/j/t02200147_0800053313301982395.jpg?caw=800)
おぉ、交通量は怖いが歴史的遺構は幸先いいな。。
半分くらい削れてしまってますが、現存してるのは素晴らしい!
しかしそのすぐ隣にあった近辺の案内を見てビックリ!
![06](https://stat.ameba.jp/user_images/20150509/21/goldentrout/a9/8b/j/t02200147_0720048013301982393.jpg?caw=800)
断じてお母さんがリュック片手に子供の手を引いて歩けるような
道ではござんせん。僭越ながら道路整備が先かと。
その先はいい風情の坂道になっています。ここも思い切り
下ってから上る谷津地形。
![07](https://stat.ameba.jp/user_images/20150509/21/goldentrout/cb/6b/j/t02200147_0800053313301982394.jpg?caw=800)
常に、ではないですが路肩も時折出現し少し歩きやすくなりました。
坂の途中、街道右側には大池と呼ばれるこれまた昔からある池が
あります。
![08](https://stat.ameba.jp/user_images/20150509/21/goldentrout/8a/c1/j/t02200147_0800053313301982396.jpg?caw=800)
坂を登り終わった辺りから、金親という宿場に入りますが早速
それらしい民家が目に入ります。
![10](https://stat.ameba.jp/user_images/20150509/21/goldentrout/47/f7/j/t02200147_0800053313302001978.jpg?caw=800)
少し先の左手にある蕎麦屋を超えたすぐ先の左側に
長屋門があります。これは名主を務めた田野家のもので
この後あと2つ長屋門が続きますがいずれも名主の
家柄であったとのこと。
![11](https://stat.ameba.jp/user_images/20150509/21/goldentrout/b8/04/j/t02200147_0800053313302001977.jpg?caw=800)
この辺りに高札場のスペースがそのまま残されているとの
事だったので「これかな」と思って写真を撮りましたが、
![12](https://stat.ameba.jp/user_images/20150509/21/goldentrout/62/ae/j/t02200147_0800053313302001979.jpg?caw=800)
これで合ってるのかどうか自信がありません。。
さらにそのすぐ先に立派な長屋門が2つ続きます。
![13](https://stat.ameba.jp/user_images/20150509/22/goldentrout/91/06/j/t02200147_0800053313302044132.jpg?caw=800)
![14](https://stat.ameba.jp/user_images/20150509/22/goldentrout/1b/09/j/t02200147_0800053313302044131.jpg?caw=800)
この2つ目、3つ目の長屋門の向かい側の奥に大宮神社と
いう、森深いところにある神社があったのでざっとお詣りし、
街道に復帰します。
300Mほど進むと金親町という交差点で県道53号に合流します。
合流してすぐのところを左に曲がって奥まで進むと金光院という
お寺の門が見えてきます。
![15](https://stat.ameba.jp/user_images/20150509/22/goldentrout/e2/69/j/t02200147_0800053313302044133.jpg?caw=800)
とても質素な門ですが、このすぐ先にあり、かつて鷹狩りに向かう
(あるいは帰る)徳川家康公も泊まったという御茶屋御殿の裏門を
移築したものと言われています(なお、敵の目をくらますため、
御茶屋御殿に宿泊中の家康公がお忍びでこちらに泊まりに
来た事もあるそうです)。
しばしお参りをさせて頂き、街道に戻ります。300Mほど進むと
御殿入口という交差点で県道は左にカーブしていくのに対して
東金御成街道は直進。交差点のところがイレギュラーな形状に
なっているので一見右折する様に見える方が街道です。
御殿入口交差点から300M弱進むと左手に、かつて家康公が
休憩・宿泊したという御茶屋御殿の跡地の入り口があります。
![16](https://stat.ameba.jp/user_images/20150509/22/goldentrout/4c/5d/j/t02200147_0800053313302044134.jpg?caw=800)
入口から御殿方向に向かうと一面の緑が気持ちよかったです。
更に進むと、両側の土塁の間の切れ目状になった御殿の入口が
見えてきました。
![17](https://stat.ameba.jp/user_images/20150509/22/goldentrout/5b/45/j/t02200147_0800053313302067525.jpg?caw=800)
土塁の付近まで行くと、土塁手前に結構深い空堀が
あるのが分かりました。
![18](https://stat.ameba.jp/user_images/20150509/22/goldentrout/a0/8a/j/t02200147_0800053313302067528.jpg?caw=800)
空堀を掘って出て来た土を盛って土塁にしたんですね。
そして土塁の切れ目を超えて御殿の敷地に入ると、、
![19](https://stat.ameba.jp/user_images/20150509/22/goldentrout/2f/9d/j/t02200147_0800053313302067527.jpg?caw=800)
一面の草ぼうぼう、でした。辺りを見回すと、土塁がぐるっと
敷地を囲んでいて、ちょうど反対側はこちらと同じ様に
出入口として土塁が切れているのも見えます。
結構な敷地面積ですから大きな設備があったんだろうなぁ、と
思いつつ街道に戻ります。
![20](https://stat.ameba.jp/user_images/20150509/22/goldentrout/4f/a6/j/t02200147_0800053313302067526.jpg?caw=800)
歩道があるから車が居たって平気だぜ!などと我ながら
調子に乗り過ぎてきたかなぁと思っていると、街道はまた
道幅が狭まり、再び歩道・路肩の無い谷津地形に。。
![21](https://stat.ameba.jp/user_images/20150509/22/goldentrout/90/8d/j/t02200147_0800053313302076052.jpg?caw=800)
( ↑二股に分かれるところを右に進む感じ)
一旦坂を下りた後、また坂を登りそれでも道は真っ直ぐに
続いていきます。
![22](https://stat.ameba.jp/user_images/20150509/22/goldentrout/f3/0e/j/t02200147_0800053313302076051.jpg?caw=800)
気づいたのですが、どうもアップダウンがある箇所では
軽くS字状に進み、傾斜を和らげている様ですね。
県道66号を横切るとずいぶんと急な下りの勾配があり、
再び谷津の地形に入ります。
![23](https://stat.ameba.jp/user_images/20150509/22/goldentrout/e2/25/j/t02200147_0800053313302076054.jpg?caw=800)
下り坂が一段落するととても雅な集落が。
![24](https://stat.ameba.jp/user_images/20150509/22/goldentrout/61/a5/j/t02200147_0800053313302076053.jpg?caw=800)
何だか、正しい日本の風景っぽくてとてもよかったです。
その先の県道66号(さっきの66号はバイパス?)との交差点で
左折すると大六天神社という小さな神社があるので参詣して
街道に戻ります(超間抜けな話ですが、『第六天』だと勘違いし
織田信長が祀られてるのかと、、、いやお恥ずかしい。魔王を
祀る神社がある訳ないですよね)。
街道に戻ると、日本の原風景ともいえる美しい田園の風景が
続き、すでにちょっと疲れてた体に元気が戻ります。
![25](https://stat.ameba.jp/user_images/20150509/23/goldentrout/8d/ff/j/t02200147_0800053313302109520.jpg?caw=800)
ふと左後方を見ると、真光寺というお寺に寄る予定だったのを
忘れてしまったのに気付きました。
![27](https://stat.ameba.jp/user_images/20150509/23/goldentrout/ac/d7/j/t02200147_0800053313302109523.jpg?caw=800)
すごい傾斜の屋根、行っておきたかったですがずいぶん離れて
しまった後なので残念ながら先に進む事にしました。
進行方向は結構急で且つ長い上り坂が見えています。さっき
急勾配で下りた分ですかね。いやー、ついさっき疲れた体に
元気が戻ったばかりなので、疲れますね。
![26](https://stat.ameba.jp/user_images/20150509/23/goldentrout/25/53/j/t02200147_0800053313302109521.jpg?caw=800)
坂を登りきると間の宿である中田の宿場に入ります。
![29](https://stat.ameba.jp/user_images/20150509/23/goldentrout/e0/f5/j/t02200147_0800053313302121312.jpg?caw=800)
それらしい長屋門があり、そのすぐ先に、民家の敷地内に
一里塚のある珍しい場所があるのですが残念ながら現在
電気工事中で落ち着きのない写真となりました。
![30](https://stat.ameba.jp/user_images/20150509/23/goldentrout/14/7e/j/t02200147_0800053313302126365.jpg?caw=800)
大きな椎の木が道路の右半分を覆っていますね。
これは椎の古木らしいのですが、かつてはお向いの家にも
同様に椎の木があり、アーチ状になっていたそうです。
さて、一旦ここまでとし、(2)で続きを書きます。
2015年5月9日(土)