皆さん、こんばんは
今日は休みで、のんびりしていました
本を読みながら・のんびり
さてさて・・・中野優子さん
母・こう子さん、
姉の竹子さんと共に・・・
涙橋の戦いに参加
16歳でした
優子さんは後年
涙橋の戦いの回想録を短く残しています
「実際・あの時は子供心に少し殺気だっていました。
ただ、憎き敵兵に一太刀。
敵にばかり気をとられ、
何処にどんな物があったとか、
地形について少しも念頭に残っていません。
ただ、柳土堤に敵多勢にて、鉄砲を撃ってきました。
味方も鉄砲で応戦するも、
らちがあかずに
一同まっしぐらに斬り込んだ事を覚えています。
何人か敵兵を斬りましたが、
姉がやられたと聴き。
母と共に敵兵を蹴散らし、
姉の側に行くと。
姉に介錯してくれと頼まれ。
動揺して、
一度では首を落とせずに、
三度目で姉の首を落とす事が出来き。
共に戦った農兵に姉の頭を持ってもらい、
坂下に引き上げました。
母・姉と共に戦った場所は柳橋(涙橋)~
少しいった湯川沿いだったと思います。」
ガラスが反射しちゃったけど
柳橋で戦う竹子・優子姉妹
戦う前・母と姉は優子が敵につかまり、
敵の慰め物になる事を恐れ、
殺そうとまでした
そんな妹に介錯を頼む竹子さん
母を残し
16歳の妹を残して
また16歳の女の子が・・
姉の首を切り落とさなくてはいけない
白虎隊の悲劇は子供の頃~知ってたけど
中野竹子・優子姉妹の悲劇って知らなかったです
22歳と16歳の姉妹に起きた悲劇
姉妹にとって会津戦争
自分たちの命をかけてまで守らなくてはいけない事とは
これは実際にあった出来事だし
とてもヴァンサンには衝撃でした
まだまだ会津に行って勉強せねばいけない事が
沢山ありますね
坂下の町に着くと
こんな看板があります
優子さんたち婦女子隊は坂下に引き上げ
竹子さんは坂下の法界寺に葬られます
つづく