信仰は望んでいる事がらを保証し、
目に見えないものを確信させるものです。
(ヘブル11章1節)

ここでの「望んでいる事がら」を
「自分が願っている事がら」と
間違って解釈されることがあります。
強く念じると自分の願っていることがかなえられると。
これを「信仰」を信仰する、という。

ヘブル書にでてくる「望み」とか「希望」という言葉は、
神ご自身のことを指しており、
またキリストご自身のことを指しています。
キリストを知り、キリストに望みを置く、
ということです。
望んでいると言っても、私たちが望んでいるのではなく、
むしろ神が私たちにすがってほしいと願っておられる事柄を指しています。

ここで言われている「信仰」とは
10章までをふまえた信仰のことです。
(↑これ大事)
神を信頼して、神に近づくときに必要なのが、
「信仰」です。
「信仰」とは、自分が願っているものを何回も自分の心に言い聞かせて、
それがかなえられることを神に押し付けることではなく、
神が言われたことを、
そのまま自分の心に受け入れて、確信することです。
神が言われることが、「そのとおりである」
と受け入れることが信仰です。
(メッセージから)

この箇所は
よく間違って解釈されますね~。
ぺこ

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