命の選択をした7月 後
食べる事が出来なくなった母をヤキモキしながら私や施設の方々は見守る事しか出来ない状況でした。
病院の予約が入っていた日より早く検査結果が出ているとの事で私だけで病院へ
担当医ではない医師から状態の説明を受けました。
やはり初見と一緒で逆流性食道炎はあるものの大きな病気は認められずCTの方も綺麗でなにも異常はないということでした。
脱水に関する事も救急で運ばれないとその病院では点滴をする事は出来ないとの事。
入院していれば治療してもらえるのでしょうが病気がない限り入院は出来ない。この病院では出来る事はないとの事でした。
救いなのは母が食べたいのに食べられないと感じていない事なんです。
自分ではちょっとだけど食事出来てると思っている…なので私に言うのは「歳だからねーちょっとしか食べられなくなっちゃった」と笑います。
翌週担当医の受診に母も連れて行きましたが結果は前に書いた通りです。
先生は「日本ではその概念はないけど欧米では口から食べられなくなったら◯なんだよね」(あえて⭕️付けさせてもらいました)て、あえて本人の前で言うか?とちょっとムカつきましたが間違ってはないですよね。
認知症もあって食べられなくなっているのではという事と病院で点滴などした場合認知症の方は勝手に取ってしまう可能性があると言う事。
父がそうでした。結核で入院した時に点滴を勝手に抜くので拘束されて手も使えないように手袋されて…見ていて悲しくなった記憶があります。
そんな事も踏まえて今後どうするか?
施設に帰って看護士さんや相談員の方と話をしました。今後どうするか?どうしたいか?ご家族や親族がいたら話しをしてもらえないか?と言う事でした。
その夜コロナ前に話しをしてから直接話していなかったので3年振り?4年振り?かに電話をしました。
今年に入ってロビーで面会が出来るようになったからと2月ぐらいからメールは来ていましたが面会に行きたいという自分の都合だけ連絡してきてこちらの近況も自分達の近況にも触れてきません。相変わらずなんだかな…な姉です。
私はこのまま施設で看取り介護をしてもらうという選択を希望していました。
病院に入れて栄養の点滴をしてもらい延命措置を取る事も考えましたが本当に母の為になるのか?
でもこのまま施設でいいのか?私は命の選択を迫られていました。
どうしてその選択をしたのか?それは母と話しをしてみて
「病院に入りたい?」「病院は嫌だわ」
「どこか痛いところやツラいところはある?」「ないわ」
「ちゃんと食べないとこのままだとお父さんのところだよ?」そんな感じの事を言ってもニコニコ笑うだけの母
「面会に来てくれて嬉しいわぁ、ありがとう」とニコニコしながらありがとうを繰り返す母を見て病院に入れて急に環境が変わり見たことない人に看護され面会にも来てもらえなくなったらと考えると切なく悲しくなりました。
姉も話しを聞いて同じ意見だと言っていました。
義兄は「探せば面会出来る病院あるんじゃないの?」と言っていたみたいですが自分で探す訳でもなく口ばかりで旦那は黙っとけと怒ってました
2日後に義兄と2人で面会に行って実際に状態を見てみてやはり施設で看取り介護してもらった方が良いという判断になったようです。
まだ会話が出来るうちに娘にも会わせたいからと一緒に面会に行きました。
孫を見て「忙しいのにありがとうね、ありがとう」と手を合わせて拝むかのような仕草を繰り返す母を見て娘も「それが1番良い選択だと思う」と言ってくれました。
面白かったのは母が「私も83歳になって歳を取ったわねー」「いやいやお母さん88歳だよ」というと声を出して笑うのですが
「私ももうすぐ還暦で60歳だよー」というと物凄いびっくりした顔をして
「えー!80歳かと思った」
なんで親と同い年やねん!笑ってばかりです