私はあり 派!
伊勢新九郎盛時、後の北条早雲庵宗瑞は京都で幕府申次衆をしていましたが、駿河遠江の混乱を見て駿河に下向します。
この時
大道寺太郎重時
荒木兵庫
荒川又次郎
在竹兵衛
多目権兵衛
山中才四郎
と伊勢(三重県)で神水を酌み交わしながら「一人が大名になったら他の者は家臣になろう。」と誓いあったという逸話があります。
この6人が御由緒家と呼ばれる家臣団を形造ります。
この手の話は、後付けで作られることが多いので
話の真偽は定かではないですが、大道寺は故郷の備中の頃からの知り合いであったことを考えると本当なのではないかと考えています。
・・・・・・で、お題
微妙なお題ですが、私は『あり』を選びました。
学校があるのに海外旅行に行くなどけしからん。
という部分で心情的には『なし』なんですけどね。
私の行っていた中学校はいろいろな能力の生徒がピンキリで揃っていました。
勉強のできるヤツ、できないヤツ
運動のできるヤツ、できないヤツ
警察官僚になったヤツとヤクザの若頭をやってるヤツは隣のクラス
学校の先生になったヤツが担任をしているクラスに同級生の子供がいたり
などなど
そんな学校でしたので、子供の頃から将来のために一つのことに注力して頑張っているヤツらがそこそこいました。
囲碁のプロ棋士を目指しているヤツがいて、土曜日の一時間目が終わった時点で帰り
師匠の家で土曜日の昼から日曜日の夜まで囲碁を打ちまくり。
飛び込み(プールでやる競技)で市だったか県だったかから強化指定選手になってるヤツはプールが使える5月くらいから10月くらいの間の土曜日は登校しないでプールに直行。
朝8時くらいから日没まで飛び込みまくってました。
飛び込みは高校に入るのと同時に強化指定から外れて競技自体辞めてしまったそうですが
囲碁はプロになって今もやってます。
今は
学校に行って勉強をするよりも塾に行って勉強した方が成績は上がります。
学校でサッカーやるよりもクラブに入った方が上達します。
実質、学校に行った方がその後有利になりそうなのは
甲子園がある野球
箱根駅伝がある長距離(東日本の男子)
の2つだけではないでしょうか?
少し前までは私自身も『学校に行った方が良い』と考えていました。
同世代の人間が一定期間だけでも同じ釜の飯を喰い、同じ悩みを共有する仲間がいることは人生において大事だと思ったからです。
ところが実際はどうか?
イジメなどで将来まで友と呼べる関係を構築もせず
保護者はほんの思いつきで運動会で順位を付けることを止めさせ
教育委員会や文部省は仕事をしているふりのために現場の教師に資料作りを強要する。
今の学校に行く価値はあるのでしょうか?
むしろ少しでも問題があると感じたら不登校になった方が正解じゃないでしょうか?
今ではネイティブの先生から英語を教わる保育園なんてものもあります。
4歳くらいからネイティブと英語で会話していた人間が、学校に入ってから
Yes,I do. No,I don't.
なんて授業を我慢して聞いてなきゃいけないのは無駄。
ましてやイジメられてる人間が学校に行かなきゃいけないなんてナンセンスの極みですよ。
若き日の北条早雲は他の6人と誰かが大名になったら他の者は家臣になる約束をしました。
この約束は北条早雲だけが大名になることを想定したものではありません。
他の6人もそれぞれが『この6人が家臣になってくれたら。』と考えていたでしょう。
7人全員が他の6人の実力を認めていたからこそ成り立つ約束です。
そんな人間関係を学校という場所で構築できるでしょうか?
学校に行くぐらいなら海外旅行に行った方が何倍も有益だと思います。