今回は、
こちらの炭鉱で発生した大災害の記事。
豊州 炭鉱の水没事故について。
昭和35年9月20日、
豊州 炭鉱の水没事故について。
昭和35年9月20日、
午前0時10分 豊州 炭鉱 中元寺川水流入、
前日来の豪雨に氾濫した中元寺川の川底は、突如轟音と共に陥没した。
この出水で、
前日来の豪雨に氾濫した中元寺川の川底は、突如轟音と共に陥没した。
この出水で、
作業員220名のうち67名が遭難、
消防隊、自衛隊の懸命な救出作業がおこなわれたが前日の豪雨の影響で救出作業が難航した。
消防隊、自衛隊の懸命な救出作業がおこなわれたが前日の豪雨の影響で救出作業が難航した。
(川崎町誌から)
資料を読むにつれ坑員の方々は 本当に危険な場で採掘していた事がわかります。
炭鉱災害の歴史を調べていると炭鉱の災害は、本当に悲惨である。
1つ何かがおこれば すぐに大災害につながります。
命にかかわる危険の恐怖の中どういう心境で採掘をしていたのだろうと いつも思います。
昭和35年9月、
豊州 炭鉱 閉山、
昭和36年3月、
昭和36年3月、
通産省の勧告により67名の収容作業断念。
67名の方々は 今も坑道に眠ったまま…
67名の方々は 今も坑道に眠ったまま…