以前、
車両でも積込出していたのだろうか?
ほとんどが社有地となり許可が下りませんでした。
詳細、
大正15年12月4日、
明治鉱業(株)と(株)中野 商店とによって資本金300万円の嘉穂鉱業(株)が設立された。
昭和2年11月3日、
昭和2年11月3日、
嘉穂炭鉱(上穂波坑)を開坑、
昭和4年、
営業に移す。
昭和28年6月、
昭和28年6月、
嘉穂鉱業(株)は、長崎鉱業(株)と合併し新たに嘉穂長崎鉱業(株)として発足した。
昭和29年9月30日、
昭和29年9月30日、
日鉄 鉱業と嘉穂長崎鉱業(株)との合併が実現し同社嘉穂鉱業所は、
翌10月1日
より日鉄鉱業嘉穂鉱業所として再発足することになった。
昭和32年5月、
昭和32年5月、
上穂波新坑を開坑。
昭和34年10月、
昭和34年10月、
までの間に上穂波鉱の石炭を大分鉱に巻き上げる新坑開通ならびに、重選機、ベッドジグ、シックナー、浮選機および硬捨設備等、一連の新選炭設備を大分地区に集約完成し、ここに当所の面目を一新した。
昭和44年、
昭和44年、
上穂波、大分坑閉山。
(日鉄鉱業四十年史から)
(日鉄鉱業四十年史から)