日鉄 鉱業(株) 嘉穂鉱業所 大分坑 | 鶴嘴さんのブログ

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全国の旧鉱山や旧炭鉱の調査を行っております。

日鉄 嘉穂鉱業所。

以前、
更新の記事に誤りありましたので編集させていただきました。

嘉穂鉱業所 大分坑、



(昭和49年の航空写真)

選炭場、積込場やシックナーなどが確認できる。


(年代不明)


(年代不明)

シックナーと事務所か?


まだ 色々な施設が確認できる。

この南東側には、

選炭建屋、精炭ポケット そして、数本のコンベアがあり小さなホッパーがあったという。



車両でも積込出していたのだろうか?



採炭から積込までの順路、


さて 今現在の大分坑だが、


(年代不明)


痕跡は ほとんど ない。


少し前まで大分坑 名前のバス停が残っていた、


硬山は、
崩落防止対策をされてますが何とかわかるかと思います。



現在 旧炭鉱跡地は 株式会社 嘉穂 製作所となり、



会社の登り坂には コンクリートの柵が残る。


製作所 駐車場には、

火薬庫 との事です。

もっと詳しく調べるべきとは 思いましたが、
ほとんどが社有地となり許可が下りませんでした。






詳細、

大正15年12月4日、
 明治鉱業(株)と(株)中野 商店とによって資本金300万円の嘉穂鉱業(株)が設立された。

昭和2年11月3日、
嘉穂炭鉱(上穂波坑)を開坑、

昭和4年、
営業に移す。

昭和28年6月、
嘉穂鉱業(株)は、長崎鉱業(株)と合併し新たに嘉穂長崎鉱業(株)として発足した。

昭和29年9月30日、
日鉄 鉱業と嘉穂長崎鉱業(株)との合併が実現し同社嘉穂鉱業所は、

翌10月1日
より日鉄鉱業嘉穂鉱業所として再発足することになった。

昭和32年5月、
上穂波新坑を開坑。

昭和34年10月、
までの間に上穂波鉱の石炭を大分鉱に巻き上げる新坑開通ならびに、重選機、ベッドジグ、シックナー、浮選機および硬捨設備等、一連の新選炭設備を大分地区に集約完成し、ここに当所の面目を一新した。

昭和44年、
上穂波、大分坑閉山。

(日鉄鉱業四十年史から)