本洞炭坑の台座がある敷地の入地許可がおりたので再訪した。
すると、
すると、
地権者さんがある建物の前で、
「ここに坑口があったけんね。」
確か、
確か、
ここには 木曽 新坑があった場所です。
方向は、
南側から北側に下がっていた。
自分が立っている付近から写している方向に下がっていたようだ、
(昭和49年の航空写真)
とりあえず、
1、事務所
2、本坑 (元 舌間坑)
3、新坑 第三坑
4、選炭場跡地
5、藤棚引込線跡
6、鉱員社宅
他は、
自分が立っている付近から写している方向に下がっていたようだ、
(昭和49年の航空写真)
とりあえず、
1、事務所
2、本坑 (元 舌間坑)
3、新坑 第三坑
4、選炭場跡地
5、藤棚引込線跡
6、鉱員社宅
他は、
あまり確認できませんが事務所などは まだ残っています。
そして、
そして、
3番は新坑位置で第三坑は 新坑から南側に離れた所となる。
そして 奥のグラウンドは硬山跡。
さて、
そして 奥のグラウンドは硬山跡。
さて、
こちらの遺構は台座だと推測する。
硬系の台座かと思ったのですが この遺構の北東側に第三坑がある。
そして、
硬系の台座かと思ったのですが この遺構の北東側に第三坑がある。
そして、
直線上方向に向いているのが気になる。
しかし、
しかし、
今回 地権者様の協力により素晴らしい遺構が見れました。
さて、
さて、
最後に詳細です、
昭和12年に
昭和12年に
木曽 重義氏が木曽 鉱業K.Kを設立。
昭和18年、
三井鉱業から直方本洞炭鉱区を譲り受ける。
そこを、
そこを、
木曽 鉱業(株) 本洞 炭坑とした。