【159】最後の待ち合わせ | 〈 追 憶 の 向 こ う 側 〉

〈 追 憶 の 向 こ う 側 〉

筆者のリアル体験物語。「社内恋愛」を題材にした私小説をメインに、創作小説、詩を綴っています。忘れられない恋、片思い、裏切り、絶望、裏の顔―― 全てが入った、小説ブログです。


あれから・・・

あの送別会の夜から、彼とは帰りに会っていない。


終業時間まで、井沢さんは会社に残らなかったから。

もう寂しいなんて、言っている場合にないから、

私は割り切った風を装った。



送別会の後、初めて顔を合わせたとき、

駅で別れてからのことを、真っ先に聞いてきてくれた。


「駅からは、歩いたのか?」

「叱られたか? 大丈夫だったか?」


まるで、保護者のような口ぶり。


駅からタクシーに乗ったし、親も大丈夫だったと伝えたら、


「そうか」


と、大きく頷いて、安心したような顔をした。


タクシーの事は本当だけど、親のことは嘘。

かなり揉めて大変なことになったけど・・・ それは言わない。


帰り道のことまでも気にしてくれて、とても嬉しかった。

家のことなど吹き飛ぶくらいに、胸がいっぱい。


本当に、素直に嬉しかった・・・。

.
.

そして、とうとう迎えてしまった。

井沢さんの、最後の出社日。


もともとマイペースな人だったけど、

当日になって、机周りの片付けに励んでいる。


今日で仕事を終える人に、通常の業務があるわけもなく、

いつ帰っても、何の支障もない。


彼の所持品で、持ちかえるような物は殆ど無いらしくて、

まだ使える事務用品などは、欲しいと言う周囲の人に配り、

不要な資料はゴミ袋行き。

すぐに一杯になるほどのゴミの量・・・。



「ゴミ捨て、手伝おうか?」


もう、周囲を気にする必要もない。

怪しまれないように、常に何か用事を見つけて、

声を掛けていた頃とは違う。


それだけのために、私は彼の席に来ていた。


今日が最後だと、周囲も気付いているからか、

佐藤さんも冷やかすようなことは言わず、

チラリと見るだけで視線を戻した。



「ホントに? 助かった!」


屈んでいた彼が、嬉しそうに顔を上げる。


私は、ふと、デスクマットの隅に挟んである、

絵の切り抜きに目を留めた。

井沢さんの席に来る度に、目にしていた個性的なアート。

彼の好きなアーティストの、アルバムジャケットのイラストだった。



「ねえ。 これ、ちょうだい」


彼が気に入っている絵だと知っているから、

貰えるなら、それが欲しいと思った。



「うん、いいよ」


迷う事なく、それを抜き取って渡してくれる。

彼なりに拘りがあったのか、切りかたも少し手が込んでいた。

それをすぐに、自分のマットに挟んだ。



「ゴミ捨て、早く行っちゃおうよ」


紙ごみが詰まって重いビニール袋を、両手に下げる。

誰にでもなく、



「下まで行ってきます」


と、声を掛けると、城山さんがニコニコと顔を上げた。

その笑顔に見送られ、二人で抜け出した。



「重いなー! どれだけ溜めてたのよ」


手伝うと言っておいて、ブツブツ文句を言う私を、

井沢さんが楽しそうに見ている。


ふざけたり、冗談を言ったり、

普段と変わらない様子でいたけれど、

ゴミを置いて戻る途中で、彼が感慨深げに建物を見上げる。


チクリと、胸が痛む。

寂しそうな彼の横顔に、私の心が震えてくる。


今日は絶対に、彼には涙を見せないって、

自分で決めたんだから・・・。



「・・・ やっぱり、少し 寂しい?」


さり気なく、井沢さんの隣に並んで、同じように見上げた。

太陽を背中にして、古い建物が陰になっている。


その上に見える空は、晴れ渡り、

私の心とは正反対に、清々しい青空が広がっていた。



「・・・ そうだなあ。 寂しくないって言ったら、嘘になるな」


明日には、あなたはもう、ここにはいない・・・。

出逢う前みたいに、私の前から存在が消えてしまう。



想像さえつかない状況が迫って、今から胸が押しつぶされそう。



「今日は、もう帰っちゃうんだよね・・・?」


彼には “今日” しか残されていないのだから、変な言い方だけど、

自分からそれを認めたくなくて、そんな風に言ってしまう。



「うん・・・。 世話になった人には、挨拶しに行って・・・

 そうしたら、帰るよ。 居ても邪魔になるだけだしな」


そんな言葉を聞いて、目の前が涙で曇りそうになった。

少し俯いて、呼吸を整える。



「そっか・・・ そうだよね」


あと数時間だと思っていたけど、よくよく考えてみれば

仕事が無い人が、最後までいることの方がおかしいよね。


そうなったら、きちんと挨拶をするのは、今しかないのかな・・・。

私は、彼を真っ直ぐに見上げた。



「井沢さん、今までお世話に ―――――・・・」

「待った!」


頭を下げかけて、いきなり止められる。

顔を上げたら、彼が優しく笑っていた。



「夕方、もう一度戻ってくるから」

「・・・ えっ? どうして?」

「いや・・・ 挨拶してない、営業の人がいるだろう?」

「・・・ 戻ってくるの? ホントに?」

「だから、一緒に帰ろうか」


それは彼からの、最後のプレゼント。

コクリと頷く私を、彼は優しい眼差しで眺めた。

.
.

昼休みを挟んで、少しした頃。

井沢さんは、営業本部全体を回って挨拶をした。


私にも、 「お世話になりました」 と、仰々しく頭を下げていく。

そのままの流れで、井沢さんはアッサリと職場を後にした。


それを見た、まっちゃんが、コッソリと声を掛けにきた。



「あれで終わり!? 嘘だよね!?」

「・・・ え? あ、うん。 そうみたい・・・」


私は、さっき彼が言ったことを言おうとして、口を閉ざした。


周囲の人が寂しがっている声が聞こえて、

とても “また来るんだって” なんて言えなかったから。


せめて、周りの誰かに言えばいいのに、

夕方になって、ふらりと現れるつもりなのだろうか。


それとも、私に言ったことは、冗談?


ううん。

そんなはずはない。

彼が、そんな意地悪をする人ではないと、知っているから。

.
.
.

そして、夕方・・・。

本当に、井沢さんが戻ってくるのか、半信半疑になった。



「一人減ると、寂しいよね」

「挨拶出来なかった」


出先から戻ってきた営業さんが、そう話しているのを聞くと、

本当にいなくなったんだ、と実感するし、

もしかして、本当にサヨナラだったのかもしれない・・・

とも、思えてくる。


定時を少し過ぎたこともあって、特に残業をすることもない私は、

机を片付けて帰り支度を始めた。


その頃になって、ようやく井沢さんは現れた。


当然、また彼が戻ってきて、 「あれ?」 という雰囲気になる。



「いっちゃん、どうしたの!?」


黒田さんの声で、私は気付いた。


勢いよく振り向いた私は、井沢さんが同じ空間にいることを、

彼が同じ場所で仕事をいていたということを、

しっかりと胸に焼き付けるように、彼の姿を見つめた。



「ちょっと、忘れ物をしちゃってさ」


そんな言い訳めいたことを言いながら、

さっき返ってきたばかりの営業さんたちに、声を掛けていく。


私は・・・

机がすっかり片付き、あとは席を離れるばかりの状態。

これでまた席について、彼を待つのは変というもの。


潔く、 「お先に失礼します」 と声に出し、

井沢さんにも、一応の礼儀というか、

「お世話になりました」 と、同僚がいる手前、改めて話しかけた。



「あっ、椎名ちゃん。 ・・・―― 門の外で待ってる」


立ち上がった私に近寄り、普通に話すフリをして、

言葉尻を小声で伝えてくる。

それだけ言うと、返事を待たずに、また挨拶をしに戻った。



その話の輪が広がって、数人に囲まれる姿は、

心なしか嬉しそう。


みんなに別れを惜しまれている、井沢さんを眺めて、

更衣室へと急いだ。



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