今回のブログ更新をもって、正式発表とさせてもらいます。
9月9日(火)、ゴング復刊・第0号の発売が決定しました。
販売元=徳間書店
編集部=ペールワンズ(代表・井上崇宏)
編集長=金沢克彦
上記が決定事項です。
それにしても長い日々でした。
ゴング復刊に向けて、月刊書籍『KAMINOGE』編集長の
井上崇宏氏が動き出してから、もう1年以上が経過しています。
ようやく正式決定をみたのは、今年6月に入ってから。
それはそうです。
出版不況はこの10年、まったく変わりません。
そんな状況で、一時にはどん底状態まで落ちた
プロレス界を専門誌として扱うというのは、
いくら「ゴング」というブランド名があったところで
一朝一夕に進む話ではないのです。
まず、歴史と伝統をもった「ゴング」の名前を
再び世に出してくれる徳間書店さんをはじめ、
発売に関して骨を折ってくれた各社、各氏に感謝します。
そして、粘り強く交渉を続けたうえで、
ゴングのベースを作りあげ、
「金沢さん、編集長をお願いします!」
と、強引にふたたび私をゴングのステージへと
引っ張り出した井上氏にも感謝とともにご苦労さまと言いたいです。
そういえば、ゴングが思わぬかたちで
呆気なく休刊を迎えたのは、
2007年3月のこと。
あれから、7年半…当時ゴングに関わっていたスタッフたちは、
みんなそれぞれの世界で生き抜いています。
昔の仲間たちが集合するとか、そういうノスタルジー的な考えは、
実際不可能だし、通用しないことも充分に分かっています。
それでもたった一人、私がもっとも信頼を寄せる男、
週刊ファイト→週刊ゴング→フリーと同じ道を歩んできた
25年以上の腐れ縁にして、最高の仕事仲間である
”O・N君”が仲間としてまた駆け付けてくれました。
こんな素晴らしい友人に恵まれたことにも感謝!
さて、今回、私を見事に引っ張り出した井上氏は、
私が2005年末にゴングを離れフリ―となって以来、
さまざまな仕事を何度も一緒にこなしてきました。
「風になれ」、「力説 長州力という男」の2冊の単行本も
井上氏の尽力があって、私の著書としてこの世にでたもの。
その際、井上氏はお金を受け取ることもなかったのです。
「僕は実より名を取りますから」
つまり、会社(ペールワンズ)にお金を入れることより、
本を出したという実績のほうが大切だということ。
こんな人物に出会ったのは初めてでした。
だからこそ、私は井上氏を信頼しているのです。
彼とO・N君と、その他の仲間たちがいてくれたら、
怖いものなどないのです。
遡ること、15年半前、1999年1月6日、
私は『週刊ゴング』編集長に就任し、
2004年10月15日に辞任するまで、
6年弱、編集長を務めてきました。
恩師である竹内宏介さん(故人)に
編集長就任を告げられたのは、
なんと就任12日前のこと。
あまりの電撃人事に愕然としたし、
葛藤や苦悩を感じる暇もないほど忙しい
世界へと突然放り込まれました。
あのとき、新編集長として最初に書いたコラム原稿の
締めのフレーズはいまでも覚えています。
「正直いって、不安でいっぱい。
ただし、不安より自分自身への期待のほうが遥かに大きい」
あのとき、私は37歳。
いま、52歳になった私が「新生ゴング復刊」へ向けて、
心境を述べるとしたら、こうなるでしょう。
いま、オレは青春してる。
ビッシビシ行くぞ!
某選手が発したコメントがイチバン近いような気がしています。
いまは、復刊0号の制作に全精力を注ぎ込んでいる段階。
その先には、当然定期刊行という目標があるし、
そうしなければいけないと思っています。
こうやって、井上氏らと日夜作戦会議を開催しています。
これはあくまでミーティング終了後の記念写真。
ただ、飲んでいるわけじゃありませんよ、念のため(笑)。
みなさん、大変お待たせしました。
新生ゴング、復刊させていただきます。
なお、本日正午更新の『ビッグファイト』でも
ゴング復刊をテーマにもう少し掘り下げて書かせてもらいます。
また、本日の午後10時~11時まで、
ニコニコプロレスチャンネル『NICONOGE』生放送に
私がゲスト出演します。
今回は偶然にも井上氏の出演回でもあるので、
そこで相当に突っ込んだ会話ができるかと…。
ぜひ、ご覧くださいね!