21世紀の歴史――未来の人類から見た世界/ジャック・アタリ
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2--ノマド・カニバニスム・性欲----人類の誕生と知識の伝承



歴史の法則を打ち立てるためには'人類の誕生まで遡る必要がある。


そこでわかることは'人類を拘束するすべての障害から自由になろうとする力は'現在においても同じであるということである。


三八億年前に海から誕生した生命は'三億五〇〇〇万年前に陸に上がってきた。


最新の調査によると'七〇〇万年前、二種類の霊長類(チャドのトウーマイ、ケニアのオロリン)が樹上から野へと下りてきたという。


これは乾期が原因であったと思われる。


そして直立歩行を始めた。


それから二〇〇万年後へアウストラロピテクスという別の種類の霊長類も樹上から下り'東・南アフリカ地域を歩きまわっていた。


それから三〇〇万年後へ同じ地域において'これらの霊長類のなかでも直立歩行に適したホモ・ハビリスとホモ・ルドルフエンシスが'よ-まっすぐの姿勢を保って歩いた.


よって彼らは大きな脳容量をもつことができた。


木の実を食べ、人を食う野蛮な彼らは'道具として使用する石器を作ることができへ縄張りに道を作った。


この道はアフリカ大陸を横断した。


これらの霊長類で生き残ったのは'さすらいの旅に適応した者たちであった。


すなわち、狩猟の技術を進化させ'移動できるだけの収穫をあげることのできた者たちである。


一五〇万年前、同じ東アフリカでこれまでに存在していた霊長類と同じ属種であるホモ・エルガステルは'こうした長旅や狩猟にさらに適した属種であった。


彼らはまだほんの少し猫背であったが'動作は機敏であった。


体毛はなくなり、二本足で走ることもできた。


初歩的な言葉さえ習得していたと思われる。


700万年前、ホモ・エルガスタルが進化し、,そして別の霊長類であるホモ・エレクトスが誕牛した。


このホモ・エレク-スは、はじめて東アフリカを離れへ数万年にわたってその他のアフリカ地域、ヨーロッパ、中央アジア、インド、インドネシア、中国を渡り歩いた。


それから数万年後、またしてもアフリカで別の二種類の霊長類、ホモ・サピエンス'次にホモ・ハイデルベルゲンシスが出現したと考えられている。


彼らは相変わらず<ノマド>であり、以前の霊長類よりも'さらに歩行に適していた。


また姿勢もかな-直立した状態を保っていた。


彼らの脳容量はさらに増えへ彼らの社会的な組織や言語はより洗練されていた。


しかし'彼らの道具はまだ研いだ石であり、雨、風、雷といった自然の力の前にはまったくの無力であった。


彼らは自然の力に崇高な力の表れを感じた。


彼らには土葬する習慣はまだなかった。


相変わらず不安定であった彼らの居住様式は頑丈になり'使用する道具も進化していった。


こうした霊長類たちは'属種ごとに交わることはなかったが共存はしていた.


彼らは他のすべての動物種とは異なり'次世代に知識を伝承し始めた.

未来への教訓。


知識の伝承は進化のための条件である。


七〇万年前へアフリカ同様、中国でもホモ・サピエンスが雷を利用し'火の使用を学んだ。


そこで野菜に火を通すことが可能となりへ脳に栄養が行き渡るようになった。


また自然界の力を利用できることを理解した。


これは歴史の大転換と言える。


ホモ・サピエンスは初めて靴を発明し'初めて衣服を縫い、森に覆われた冷たい大陸ヨーロッパを走破した。


ホモ・サピエンスの子孫はい-つにも枝分かれし,その属種の1つがネアンデルタール人(ホモ・,不アンデルタ-レンシス)である。


三〇万年前へ彼らは'アフリカへヨーロッパへアジアをさまよい歩いた。


彼らははじめて滞在先で洗練された掘っ立て小屋を建て、死者を土葬した。


ヨーロッパはアルプスやバルカン半島を覆う氷河によって隔離されていたが'ネアンデルタール人は'他の霊長類と共存したものの,他の属種と交わることも'彼らを葬り去ることもなかった。


力こパニスム食人習慣が始まったのは三〇万年ほど前の時代である。

これは暴力的行為としてではな-'死者をとむらう宗教儀式のようなものであった。


この時代の消費行為には'現代にまで続-軌跡を見出すことができる。


またホモ・サピエンスは'生殖はセックスの結果であることを発見し'男女がそれぞれの役割を担っていることを理解した。


そこで性別による役割がよ-鮮明になった。


男性は所属するグループを変えることなく彼らのうちで過ごしたが'女性はグループを弱体化させる近親姦を避けるために,思春期になると部族から離れるか、少なくともこれを避けるために部族内で距離を置かされた。


性欲と生殖の区別が始まったのである。


これは歴史の重要な点である。


1六万年前,同じアフリカでホモ・サピエンスのもう「つの属種である最初の現生人類が出現した。


彼らこそはノマドな生活に必要とされる体力と知力の結晶であった。


彼らホモ・サピエンス・サピエンスの頭脳は'他の霊長類よりも'ずば抜けて洗練されていた。


そこでへ彼らはさらに巨大な部族を組織Lへ女性たちは子どもの教育にあたった。


彼らにとっては'自然も物もすべて生き物であった。


死者を埋葬するようになった。


食人行為は頻繁に行なわれていた。


彼らの平均寿命はまだ二五歳を超えていなかったO


人類は群れをなして中東やヨーロッパを放浪したo


しかし彼らはなにかを備蓄することも'貯蓄することも'不測の事態に備えることもしなかった。


持ち運びできない物は一切所有しなかったのである。


彼らが所有していたものとしては'火へ道具、武器、衣服、知識、言語、儀式、歴史ぐらいであろう。


この時期には'物、女性、囚人の交換が始まった。

市場の始ま-である。


奴隷が発生したのもこの時代であると思われる。


八万五〇〇〇年前へ地球は氷河期に突入した。


ホモ・サピエンス・サピエンスはうかなりまともな掘っ立て小屋を建て、これまでよりも一カ所の滞在期間がほんの少し長-なった。


さまよい歩-ことは減ったが'これまでどおり他の属種の類人猿と共存していた。


避難所や女性、または狩猟地区をめぐって'異なる類人猿の間で争いが生じた。


こうした争いには、い-つかの法則があることがわかっている。


すなわち、相手に恐怖を与える、奇襲攻撃へ敵軍の通信網を遮断する、敵に一刻の猶予も与えない'という法則である。


また味方を裏切ること、敗退すると見せかけ背後から襲うことは'日常茶飯事であった。


食人行為は、祖先という権力をめぐって、また死者をともらう儀式として、まだ存在していた。


つまり'死への忌避から人食い食人習慣を行なっていたのである。


これは現在にも通じることである。


四万五〇〇〇年ほど前、類人猿は'冬は洞穴で'夏は掘っ立て小屋で過ごすようになった。


彼らはさらに用途別の道具を作成するようになった。


グループのメンバー間では'分業が行なわれるようになり'食糧を直接生産しな-なったグループには'失業するものも出現した。


約四万年前、地球全体が再び温暖化すると、人類猿や他の動物たちは洞穴から姿を現わし'再び放浪することとなった。


ホモ・サピエンス・サピエンスは'ヨーロッパへアジアへさらにはオーストラリアを覆いつくした。


おそら-他の類人猿は'すでにこうした地域を訪れていた(水平線の彼方を目指し、大航海を行なっていたと思われる)。


彼らはおそらく凍結したベーリング海峡を歩いてアメリカにも到達した。


ヨーロッパでは現在では「クロマニヨン人」と呼ばれるホモ・サピエンス・サピエンスの一種が'二五万年前からヨーロッパに生息し勢力を誇っていたネアンデルタール人と遭遇した。


ヨーロッパでは'一万年以上にわた-'属種の異なる類人猿が共

存していた。


彼らは特段の必要性が生じないかぎ-'相変わらず放浪し続けた。


三万年前へネアンダルタール人も含めへその理由は定かではないが'すべての類人猿が突如として滅亡した。


しかし'ホモ・サピエンス・サピエンスは例外であった。


地球上で唯一の類人猿として'他の数万種の生き物に取-囲まれ、地球に生息することになったのである。


彼らだけが次世代に知識を継承し、人類の歴史がスタートすることになった。


これまでに語った二〇〇万年の間に'彼らが学んだすべてのことがベースとなって'今日の我々が存在する。


またへそこから我々の将来が見えて-るのである。