「つながる」感覚を大切に


行動する宗教学者である。

フランスを中心に、ヨーロッパからアジア、そしてアフリカのコートジボワールまで、これまでに訪ねた国・地域は20か所近く。

日本で生まれ、世界に広がる新宗教の姿じゆじゆつを調べる一方、現地の呪術師に会うといった、土着の宗教についてのフィrルドワークを続ける。


「50ぐらいの宗教を見たでしょうか。
そのすべてに共通していたもの。
それがスピリチュアリティでした」


樫尾さんの言うスピリチュアリティとは、「自己を樽見だ何ものかとつながり、その何ものかが自分の中や、自分と他者との間で働いている感覚」のこと。

その感撃)そ宗教の「核」だという。

神や霊的なものを信じるから、人は宗教を信じる。

だから宗教は長い間、スピリチュアリティを担保してきた。

ところが、最近の日本では、宗教の存在感が薄れているにもかかわらず、スピリチュアリティヘの関心が高まっている。

なぜか。


「死んだらどうなるのか。
生きる意味は何なのか。
その答えを宗教に求めなくなった分、別のところで満たそうとしているんです」


それが、テレビのスピリチュアル番組だったり、雑誠だったりするのだが、こんな規代を「スピリチュアルなものが、文化として制度化され、認められるまでの過渡期」と定義する。


玉石混交ではあるが、スピリチュアリティヘの理解が深まるいいチャンスだと。

例えば、先祖の魂を感じ、死者とつながっていると思うことは、孤立しがちな現代人の癒やしとなる。

つながっているという感覚。

それは、自身が若いころから大切にしてきたものだ。
大学で学んだ経済学では、共同体とは土地の占有をめぐって生まれるもの、と教えられた。


「でも、土地だけで人はつながるのか。
精神的な秤があるはずだと思っ混んです。
それが宗教への関心と結びついた」。


卒業後、東大大学院に進み、宗教学を学んだ。

現在は、大学の教壇に立つ傍ら、スピリチュアルな体験を誇り合う場「スピリチュアル・ナビゲーター」をインターネット上に開き、日常にあるスピリチュアルなものへの「気づき」を促している。

ある人のことを考えていLJら、街でばったりその人と会った。

これもスピリチュアルな体験だという。


-なぜ、こんな活動を?


「人は一人で生きるのではなく、何らかの力に生かされていると気づけぼ、謙虚に利他的に生きられるはず。
誰もが生きやすい社会にしたいんです」


(村田雅章)


スピリチュアリティの探究者[2]



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かしおなおき

樫尾直樹さん 44


(慶応義塾大准教授)