ジュセリーノさんの記事に関連して紹介してましたのがこちらの書籍です。


しばらくまとめて順序どおりに紹介していく予定です。


宇宙人関連とかは正直申しましてあまりよく知らないのですが


天体関連のところがほどよくまとまっているかも知れません




2012年地球は滅亡する!/並木 伸一郎
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突如、歴史の問に消えていったマヤ文明人は、異星人だったのか?


マヤは、異星と関係をもっていた?

古代マヤ文明の遺跡は、中央アメリカ、メキシコのユカタン半島を中心に、グアテマラ、ベリーズの密林地帯に広がっている。

その遺跡にマヤ人が、実は地球外知的生命体=異星人となんらかの関係があったのではないか、そう思われる証拠がいくつか残されている。

マヤ文明に関しては、現在まで40以上もの遺跡が確認されているが、なかでも最も美しいといわれるのが、メキシコのチャパスの密林に眠つていたパレンケの遺跡である。

この遺跡には、マヤ文明と異星人との関係を暗示する貴重な遺物があることで知られている。

さらに、黄金時代のマヤ人には、2種類のタイプがあったことを示唆するものが遣されていた。


異星人との関係を暗示する遺物とは、王墓の石棺の蓋である。これは高さ20メートルの階段状のピラミッドである碑銘の神殿の地下建造物から発掘された。


周囲を神聖文字で飾られたこの蓋に、操縦梓のようなものを握り、胎児のように身を丸めた姿の人物が彫り込まれていたのだ(11頁参照)。


その姿は、宇宙飛行士が大気圏を脱する時などにかかる重力に耐えるために取る姿勢で、古代にこのようなものが描かれていることは本来ありえな
い。
一方、マヤ人は二種類存在していたことは、墓に葬られていた人物の大きさが示している。

墓前近くに横たわっていた殉葬者の若者は身長156センチ前後で、現在のユカタン半島のマヤ人の平均身長に近い。

だが、王墓の中に葬られていた人物は、身長173センチと、マヤの水準からすると非常に背が高いのだ。
古典期のマヤでは、背の高い人間が存在し、しかも々の彼らが支配階層だったらしいことが、他の遺跡の発掘調査からもわかっている。

メリダやイサマルの遺跡内でも、現在のマヤ人たちより大きい人骨が発見されており、その存在を裏付けている。
また、遺跡内の階段の各高さは約42センチあり、背の高い人間たちに合わせて設計されたものであることが伺える。
当時、ピラミッド内に自由に出入り石棺(上)と蓋のイラスト(下)。背を丸め、操縦梓らしき物を握る人物が見える。

できたのは首長や神官階級だろうと推察されており、支配層=背の高い人間という図式が成り立つのだ。

コパンの遺跡に、高度な文明を伝えた存在に関する次のような伝説が残っている。

「……昔、東方から偉大な王がやってきてこの建物を建て、何年か経ったころ、空っぽの建物だけを残して故郷に引き上げてしまった……」

宇宙飛行士のようである偉大な王が現れ、高度な文明をもたらし、そして故郷に引き上げる-これは果たして同じ人間の存在を示すのか?

コパンは、4世紀から9世紀の間にかけて存在し、繁栄した都市だ。一説によるとたったひとりの王が統治したとも言われている。だとすれば、恐ろしく長命だったことになり、地球人ではありえないことにもなる。

彼ら背の高い人間=異星人の存在を暗示する事実は、いったい何を物語るのか。

マヤ人は、異星人と何らかの関係を持ち、文明を授けられた者たちなのか?

そんな疑問を投げかけたくなるのは、単にマヤの人々がパレンケの石棺のような遣物を残したからだけではない。

マヤ文明そのものが謎に満ちているからである。

紀元前800年頃、メキシコ湾を中心に、トウモロコシ農業、土器制作、動物のジャガーを神として崇拝するという特徴を持つオルメカ文明が広まる。それに刺激されて紀元前500年以降、チャパスからグアテマラにかけて石造ピラミッドが造られはじめ、紀元3世紀を過ぎたあたりから熱帯雨林に壮大な都市が建設されるようになった。
マヤ文明の誕生である。
大規模なピラミッド神殿、彫刻を施した石柱、球技場、宮殿の構築など、高度な技術を駆使した都市建造物が、人が生活するには高温多湿すぎるジャングルのあちこちに出現した。
建設に動員された労働力、それを機能的動かした組織力、政治力を推し量ると、マヤの文明が人智を超えたものであることが容易に想像できる。
熱帯雨林のジャングルの奥地で、マヤがこうした最高水準の文明を持ちえた秘密とは何だったのだろう?
そして、パレンケをはじめとするマヤ文明

の諸都市が、9世紀に突如としてうち捨てられてしまった理由とは?
この疑問に答える手がかりのひとつが、マヤの高度な暦である。
マヤ人は2種類の暦を持っていた。ひとつは365日を1年とする暦「ハアブ」。

もうひとつは、260日を1年とする暦「ツォルキン」。
注目すべきは、20日をひと月とし、13か月を1年=260日とするツオルキン暦である。

太陽系には、この周期にあてはまる惑星はない。すなわち、ツオルキン暦は地球上では実用性がなく、何の役にも立たないもの、ということになる。

だが、太陽暦の1年を365・2420日と実際に算出し、現代天文学の計測値
365・2422日とわずか17・28秒しか違わないほどに正確な天文知識を持っていた彼らが、何の意味もなくツォルキン暦を保持していたわけがない。
もしかしたら、この暦もかつては他の暦同様に、実際の惑星の運行に基づいて生み出されたもの。

つまり、1年=260日は、マヤの人々に高度な知識と技術を伝授した異星人
の故郷である惑星の公転周期だったのではないか?

アメリカの考古学者エリックとクライブのウムランド兄弟は、そう考え、〝マヤ=異星人起源説″をぶち上げたのである。

エリックとクライブの説はこうだ。

「公転周期260日の惑星は、金星と地球の中間である現在の小惑星帯にあった。
その惑星はかなり温暖だった。
だが、その惑星は何らかの理由で爆発し、その住民が地球に避難してきた。
彼らは最初、まだ温暖だった南極に居を構えたが、氷河期の到来で北方に移動し、やがて彼らの故郷と同じ気候に恵まれた中米の密林に居を構えた。
9世紀になって、マヤ人が忽然と姿を消したのは、メキシコ高原のインディオの侵入を受け、弾圧されはじめたので、すべての設備や器具をもって宇宙船に乗り込み、.飛び去ったからだ」

マヤ人=異星人起源説を裏づける伝承がある。それがマヤの『古事記』ともいわれる『ポポル・ヴフ』という神話だ。

「世界と人類は、3度創造され、3度滅びた。そして、4度目に、現在の世界と人類が創造された」と記している彼らは、人類の祖先とはまったく異なった存在である。
なぜなら、誕生したばかりの彼らは、「……この世にあることのすべてを見ることができ、また知ることができたのである。
彼らが目を見張れば、たちまち、まず近辺から、やがて天空や円い地表(なんと地球が丸いことを知っていたのだ)まで見渡すことができたのであった。

ずっと遠く隠れているものさえも、身動きもしないで、いながらにして、みな、ちゃんと

判ってしまうのであった」(林屋永吉訳)

マヤ人の起源が地球外の〝惑星=異星″だったのかどうか、それは謎に包まれたままだ。

だが、彼らは、驚くべき予言を残している。

人類の滅亡を予言する暦を……。