聖書の予言にも出てくる反キリスト。


聖母マリアの信奉者の中の幻視者たちも見た反キリスト。

ノストラダムスをはじめとする幻視者たちがみた反キリスト。


ノストラダムスによれば、時空の渦として見えているのが(正確には第3の)反キリスト。


だからどの幻視者たちが見ても必ず時間軸に見えていて人類の進化の道筋からは彼の登場を止めることはできない状況だとしている。


ケイシーはリーディングの中で時間について「神の慈悲、忍耐である」としている。

万能の神の意思の中にわれわれは存在している。

時間は単なる一方向性の尺度ではなく、非常に多面的で、多相で、パラレルだとしている。


少なくとも私は幻視能力や霊能力はないので、彼らの言動から類推するしかないし気になるのは彼らが信じる神は違ってもみな同じように反キリストの登場を予見していることなのである。


地球温暖化も同様であり、自然災害として一番大きなものであるが、
反キリストの登場は「人災」だとしている。


※過去記事にも載せたがどうもGoo検索ではアクセスが少ないものは休眠記事として掘り起こせなくなるようなのでまた別稿でまとめたいと考えている。


しかもノストラダムスによれば第3の反キリストはナポレオン、ヒトラーの比ではなく、彼が起こす戦争、人類の家畜化、文化遺産の破壊、......

禍々しさ、凶悪さ、影響力は甚大なものであるにもかかわらず
聖書の記述にあるように、神は地上の支配をサタンに許すため、サタンの庇護を受けて地上に現れる。


また、人類そのものが道(選択)を誤った場合に彼は登場し、大きく活躍するようになるためそのものが「悪」であるにもかかわらずなんと「善のカルマ」を施すことになるという。


ここでジュセリーノさんになるのだがおそらく彼にも反キリストは見えているはず。


しかし明言にしているように、彼は「止められるものに関しては本人、関係者に通知する」と言っているように
運命は決して変えられないものではないとしている。


が、一方今からでは不可能なものもあるのである。

(特に今年度末がその阻止限界の最終期限だとしている)


人の意思には力があり、認識はかえってその現象を呼び寄せることになるためあえて発表しないものもある。


彼が懸命に地球温暖化を止めようとしているのは、今われわれが生きているこの時間、空間も神の恵みであり、この地球というそのものが神の恵みである場所を破壊し続ける人類を裁くためにあらゆる天災が起きることになるし、それがトリガーとなって人災としての反キリストを呼び寄せることになるからなのである。


ノストラダムスもジュセリーノさんも言うように、人類は激減する。

天災によるものもあるが、第3の反キリストの血の粛清・支配がはじまるからだ。


地上も多くの大地が海へしずんでいく。


特にアメリカは天災により荒廃し、経済、文化、政治、国際統治機能を失う、
サタンの餌食となる国の一つで核によってとどめを刺されるという。


反キリストが活躍するようになるのはこのアメリカの半消滅が大きい。

アンゴルモワ(アジア)の大王と称された、300でも出てきたクセルクセス大王。
魔術と神秘主義による支配.....

反キリストもサタンの力を使いキリストと同じ秘跡をおこなってみせるという。

その最強の軍隊と同じものが、中国の軍隊であり、反キリストが統率し、文化遺産を徹底して破壊するという。


林陽氏の「死後の世界」でサタンが地上で罪にまみれた魂を刈り取る地獄の世界がダンテの神曲並に描写されているが
反キリストが破壊を行うのは人々から希望を奪い、文化という土台を破壊し、平和を破壊し、徹底して人類の魂を獣化するためなのである。


人類の発祥は誰にも分らない。


しかし、ケイシーによれば人はもともと実体化した神の僕、生物の交配実験対象だった「モノ」と呼ばれる生物が起源であり、
物質化(=肉体を持つ)した神と交わったという、

そして、交わった際に神の肉体や、動物の肉体の一部、などが混じり混合生物になったという。


だから、低次元(物質化、肉体の混合)から今の純粋な肉体と魂へ純化するのがそもそものカルマ、使命として持っている運命だという。


反キリストの獣化・家畜化とはこの「モノ」と呼ばれた時代の人の原始の状況へと回帰であり、魂を堕落させ、サタンは地獄でそれを刈り取るという。


平和な状況ではそうぞうもつかないが、混沌とした世界では何が起きても不思議ではない。


幻視者たちの話は現実主義者には荒唐無稽な話ではあるが、今の世界状況からはまっすぐ大破壊へ進んでいると思えてならない。


ジュセリーノが自身の発言で今年度末が阻止限界点だとしたのがいまとても気になっている。

ノストラダムスの時代では異端審問からとてもはっきりそのものを表すことはできなかったが、今は十分に啓蒙され、ジュセリーノ自身が言っているように比ゆ的な表現ではなく、はっきりと表現することで警鐘を鳴らすのが彼の生まれてきた役割である。


12月20日の特番やこれからの刊行物ではっきりすればと思う。