大預言―2030年、人類未曾有の危機が来る
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バチカンは嘘で塗り固めた伏魔殿なのか。


 コーンウエルは'調査に費やしたまる一年の間に、マルチンクス本人を始めとするバチカン内の生き証人'バチカン外に移った元秘書、法王の世話をした修道女、スイス人元近衛隊長マルチンクス本人を調べた元FBI捜査官 その他大勢の関係者を追跡した。


 疑惑のヴィロー国務長官枢機卿は法王の死後に急逝していた。


法王の世話係をしていたヴィンセンソア修道女は、すでに故人とな-、取材は不可能だった。


だが、思いを打ち明け合う仲だったイルマ修道女を探し出し、当時のことを詳しく聴き出した。


 彼は死んでいたはずの葬儀屋も探し出し'バチカンからの早朝の呼び出し、遺体の処理等についての詳細を聴取した。


法王の病理分析を行うために、警察の法医学者や心臓外科の権威者にも詳しく取材した。


 最後に、法王に娘のように可愛がられ、死の朝にも立ち会った姪の女医リナ・ペトリに遭遇し、近親者かつ医師としての特異な立場から証言を引き出した。


 これらの勢力的な直接取材によって暗殺説を成立させる要素が次々に崩された。


 ヤロップは、ヴィンセンツァ修道女とのインタビューで、四時三〇分に遺体を発見したという報道を再確認したと書いていた。


 だが'コーンウエルが接触したヤロップの通信員は'問題の修道女から対談を断られたため実際には取材ができなかったと告白している。


修道女の親友は、朝の五時半にコーヒーを法王の部屋に届けるのが習慣だったと証言し、コーンウエルはヤロップ説に疑問を表明している。


 寝坊なマルチンクスが法王の死の早朝に限ってサンピエトロ広場で不審な動きをしていたとの近衛隊長ロジュンの証言はどうだろう。


 現在スイス銀行の警備長をしているロジエンは、コーンウエルとの対談で、ヤロップの記事のすべてに反論した。


マルチンクスは常に早起きで'早朝広場に車を乗り付けたところに出-わしたのであるといい、ヤロップの代理人の取材は断っていると反論している。


 葬儀屋が遺体発見前にバチカンの呼び出しを受け、午前中に遺体に防腐処理を施したという話はどうなのか。


コーンウエルが接触に成功した葬儀屋兄弟はすべてを否定した。


遺体処理が早すぎて非合法であ渇との説は、バチカンが独立国家であり、イタリアの法律には拘束されないこと、まだ暑い季節だったため,腐敗をできる限り阻止して、公示に回す必要があったことが判明した。


コーンウエルはまた、法王の秘書二人にも詳しい取材を行い、遺体の発見と取り扱いについても、ヤロップの記述と矛盾する証言ばかりを得ている。


元気だった法王が急死するはずがないとの話はどうだろう。


コーンウエルは、2人の元秘書の証言から、法王が度々発作に見舞われていたことを知る。


姪の証言によりへ法王がかなり早い時期から血栓症を患っていた事実を知らされた。


致命的な発作がいつ起きてもおかしくなかったわけだ。


スリッパとメガネの行方については姪も含む関係者の証言によって伯母が持っていることを突き止めた。


それにしても、なぜこうまで正反対の結果ばかりが出てくるのだろう。


真実はどこにあるのだろうか。


バチカンは'コーンウエルが法王暗殺説に永遠に終止符を打つことに期待をかけて、彼の取材を援助した。


彼は'ローマ法王ヨハネ・パウロ二世にも謁見して支援の約束を取りつけ'意気揚揚とバチカン内部での取材を開始した。


法王のお墨付きは水戸黄門の印寵のようなものだ。


この最高権威の下で'彼は思う存分、取材と推理の天分を発揮し'暗殺説の間違いをただし、真実を明らかにして、不名誉極ま-ないこの事件に終止符を打てるはずだった。


だが、現実は予想とは逆だった。


法王の後押しはバチカン内部でさえ効果がなかった。


肝心要の法王の侍医が誰であるかさえ責任の所在が不明だ。


ヨハネ・パウロ一世に限って侍医と言える者はいなかった。


法王になるまで主治医を務めていた医師からは面会を断られ'死亡確認した医師からは、守秘義務を理由に死亡診断書の公表を拒否された。


取材に応じた司祭官僚はみな、スコラ哲学特有の暖昧話法に徹し、真実を素直に語ろうとしない。


ヨハネ・パウロ一世を「ピノキオ、無能、変人、ピーター・セラーズ(イタリアのコメディアンで『ピンク・パンサ上の主役)」と榔旅する高官は何人もいた。


信じ難いことに、彼の死を「聖霊はいい仕事をした」とたたえた者さえ少なくなかったのだ。


保身、回避、論弁、隠匿に徹する「聖職者」を前に、まともな追求が難しくなる。


これらバチカンを構成する司祭官僚自身がつくる巨大な壁に調査は大きく妨げられた。


最も重要な生き証人の多くは故人となっていた。


マルチンクスのような実際に取材に応じた被疑者大臣はディベートの達人で、肝心な質問はすべてはぐらかされた。


女性秘書は証券詐欺で逮捕状が出たこの銀行総裁司祭を聖人のように語るだけだ。


法王の元秘書たちの証言さえ一致しなかった。


結果'コーンウエルは、法王の意向の下に真剣な調査を進めながら、バチカン官僚自らの拒否反応によって、ヨハネ・パウロ一世の正確な死の状況をつかめず'集めた証言を合わせて推理するより他なかったのである。


解明はほとんど不可能に近いと思われたときに、法王の姪の医師リナ・ペトリを知り法王の亡くなる前の健康状態、過去の病歴、常用していた薬物について詳細な情報を得る。


それが決定的ともいえる推理を生んだ。


法王は'以前から、目と足に血栓症をわずらっていたことが判明した。

死ぬ前には足が象のように膨れ上が-、靴さえはけない状態だった。

血の循環をよくするために、度々室内で歩行訓練をし、血餅を分解する抗凝固剤を常用していた。


そこに、急な運動、カフェインの取り過ぎ、過剰なストレス等の致命的要因が加わ-、寝室で冠動脈血栓に襲われて急死した可能性が出てきたのだ。


他の警察医や心臓病理学の権威によってもこの可能性は確認された。


コーンウエルの推理が真実であるとすれば、法王は暗殺されたのではなく、突然の発作に見舞われて急死したのである。


自然死であり他殺ではないことになる。


バチカンは安泰だ.


内部に暗殺者をかくまっているという忌まわしき汚名がようやく拭われるのだ。


だが'本当にそうだったのだろうか?


コーンウエルの調査はヤロップの半端なレポ-トに比べれば'はるかに説得力がある。


十分に記録された証言を元に納得のゆ-推理を働かせ、表面上は法王の暗殺説を覆したと読めるよう巧みにまとめられている。


これは彼自身の筆のさえによるもの だが、彼が最初にバチカン側から暗殺説を反証する調査を依頼され、その代償として外部の人間にはできない内部調査に成功したことを考慮しなければならない。


もともと反証を目的とする調査だったのだから、暗殺を肯定できるはずがないのだ。


もっとも、コーンウエルは、ジャーナリストとして本の内容に公平を期す義務があった。


それは読み手が自由に判断できる余地を残しておくということ。
そのために、できる限り記録を前面に押し出して、結論を押し付けないようにするということだ。


彼自身、本の冒頭部で'「ジャーナリストとして判定するのには限界がある最終判決は読者自身に委ねる」と書いている。


重要なのは、彼の本全体に荘る、バチカンの不透明な空気である。

そこには'背信、背任、証拠の隠匿、証言の回避といった聖域に住む官僚たちの「罪」が浮き彫りにされている


暖味でいかようにも取れる独特の二枚舌、真実と虚偽の判別を難しくする特有の物言い、矛盾し合う証言内容、彼らの口走った些細な言葉、ぞっとするエピソードの端々に、暗殺説の可能性を臭わせている。