大預言―2030年、人類未曾有の危機が来る
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平静を装っていたバチカンが困惑を隠せなくなった頃に'恰好の助太刀が現れる。


当時、イギリスの受賞推理作家として名を挙げていた'ジョン・コーンウエルだ。


 彼は元カトリックの神学生であり'教会の内情にも詳しかった。


イギリスの有名新聞『オブザーバー』編集主任として'カトリックの超常現象調査を任されていた彼は、奇跡認定についての質問をするためにバチカンを訪れたところだった。


そこで、予想外の大仕事法王暗殺説を覆す調査を依頼される。

そうして書き上げたのが 『バチカン・ミス一ハリー』(林陽訳徳間書店刊)である。


一コーンウエルは'ローマの神学校を拠点として、世界各地の通信員とも連絡を取-、情報収集に努めるとともに、暗殺説の洗い直しを開始した。


暗殺説が拠り所にしていたのが前にも書いた「一〇の謎」だ。

それは関係者の証言が食い違いを見せている重要な点である。


(-)バチカンラジオ局は遺体の第一発見者を秘書から修道女に修正した。


(2)NASAは遺体発見時刻を五時半に修正した。


(3)公式の死亡原因は心臓発作とされていたが'それは死の状況と符合しないばか-か、バチカンは死亡診断書の公開も拒否した。


(4)死亡推定時刻。
バチカンは二八日深夜と発表したがへ翌二九日早朝という証言が出てきた。


(5)遺体防腐処理の時刻は二九日夜ではな-朝という証言が現れ、検死も行わずに処理したことの合法性について海外司教団からも疑問の声が相次いだ。


(6)死亡時に法王が読み、遺体が手に握っていたとされる読み物は'『キリス-にならいて』ではな-説教原稿だったとバチカンは訂正したが、<25c/><新開は、翌日解雇される閣僚の氏名表だったと発表した。


(7)法王は死亡前に健康だったとも病気だったともいわれへ証言が錯綜した。
健康だったとすれば突然死は奇妙である。
だが'病気だったとすれば、法王に選出されることはあり得ない。


(8)法王の寝室にあったはずの私物メガネとスリッパーが部屋からいつのまにか担えていたとの証言が相次いだ。


ジョン・コーンウェル
(John Cornwein 940-):



ジョンk-ンウエル


ここから証拠隠滅の疑いがささやかれるようになった。


(9)遺体の極秘解剖。

サンピエトロの奥で内輪で司法解剖をしていながらそれを伏せているとの説が浮上した。


(10)シニョラッチ兄弟という、代々法王の遺体の世話に当たってきた葬儀屋が、遺体発見前の朝五時にバチカン専用車の出迎えを受けたという報告が出てきた。


暗殺説の著者はこれらを出発点として色々な説を立ち上げた。


ヨハネパゥロ一世は,第二バチカン公会議後にカトリック教会に起きてきた急進的な動き(革命とも言われる)を阻止し'公会議前の状態に流れを戻そうとしていたために'急進派を動かしているバチカン内部のフリーメイソンに暗殺された。


これは、聖ピオ一〇世司祭兄弟会のような、カトリック伝統主義組織による解釈である。


周辺事情は確かにその通りだった。


第二バチカン以後の教会の変貌ぶりは目にあまるものがあった。


エキュメニズムの名の下に何世紀も続けられてきた伝統的ミサを撤廃した。


ラテン語の祈祷は廃され、祭壇は除かれ、ミサの中心たる聖体への敬意は損われた。


結果、聖ピオ10世司祭兄弟会に代表される伝統主義組織との間に大分裂が起こった。


修道会の創設者にして伝統の存続に命をかけていたルフェーブル大司教が破門されたのだ。

公会議のテーマの一つは、数世紀にわた-'歴代の法王が各種の回勅で弾劾してきた、宿敵フリーメイソンとの和解だった.


1九世紀に要人暗殺で汚名を注いだフリーメイソンの陰謀を想定できるだけの周辺事情はあったのだ。


ヨハネ・パウロ1世の死んだ「即位後三三日」が'フリーメイソン「33階級」と関連付けられたのにも'このような背景がある。


だが'法王の死を暗殺と断ずる証拠は提示できてはいなかった。

この動きがカ-リックのミステリー作家にも好材料を与えた。


フランスのカトリック作家、l・J・アィエールは、一九八三年に、急進派のヴイロー枢機卿国務長官が'前任法王パウロ六世を殺して替玉にすり替え、バチカン内部にメイソンの巣穴を発見したヨハネ・パウロ一世をも暗殺したという推理小説を書いた。


これは、当時カトリックの右翼雑誌が頻繁に事載していた各種の怪情報に基づく。


ヨハネ・パウロ1世
(John Paul 7 1 91 2-1978)


ヨハネパウロ1世



晩年のパウロ六世の顔が、以前とは違うことに「気がついた」 カ-リック極右翼グループがいた。


彼らは耳、目、鼻 ほくろなどの違いを指摘し'最後に'科学研究所に決定的な「声紋」 の違いを調べさせ'晩年の法王が、整形を施したそっくりさんにすりかえられていると主張したのだ。


 暗殺説が浮上してきたのは、一九八一年当時の法王ヨハネ・パウロ二世がフアチマの記念日に暗殺未遂にあったという歴史的事件が大きく影響している。


この事件の陰に旧ソ連仇KGBが潜んでいることが報道されていた。


ここから、フランスの作家、ロジェル・ペレフィ工はKGB謀略説にヒントを得て'マフィアへフリーメイソン'バチカン銀行の闇取引に加担するバチカン高官らが、銀行の手入れを決意した法王を始末したとの推理小説を書いた。


主犯はバチカン銀行総裁マルチンクスと国務長官ヴィローだ。

これらは推理小説なのでもちろん証拠はない。


だが'ついにノンフィクション作家が調査レポートを出版するときが来る。


日本でも邦訳された、デイヴィツド・ヤロップ『法王暗殺』は、それ以前に出されていた暗殺説をおおむね踏襲するものだったがー独自の代理人を使って様々な事件


決定的とも言えるバチカン関係の重要証人は、バチカンのスイス人近衛隊長ロジュン、大司教時代から法王の面倒を見てき美教皇居館修道女、そして法王の秘書だ。


彼によれば、ロジュンは、いつもは寝坊のマルチンクス総裁が、暗殺の朝にサンピエトロ広場で不審な動きを見せ、鉢合わせした自分を睨みつけた。


いかにもマルチンクスが暗殺に加担したかのような書き方だ。


修道女は朝の四時半に法王の遺体を発見したと証言したと書き'バチカンの声明とのあいだに1時間の空自を設け、この空白を証拠隠滅に要した時間と推理している。


法王の秘書は、二九日朝五時に葬儀屋が呼ばれて遺体を整えたと証言したという。


なぜ司法解剖も行わず'大急ぎで防腐処理を施してしまったのか。


これまた証拠隠滅のためだったとヤロップは主張した。


明らかにバチカンの声明がすべて嘘であり、真実を隠匿せざるを得ない不名誉な事件が官邸で起きたという仮説を証拠づける試みだ。


朝四時半に修道女が法王の部屋の前に置いたコーヒーに、マルチンクス銀行総裁とヴィロー国務大臣が猛毒のジギタリスを密かに混入、法王は殺されて、公式発表の五頂半までの間に、証拠隠滅が行われたというのである。


 はたして暗殺説は真実なのだろうか。




関係者に取材を行い、証言集めした点が異なる。