大預言―2030年、人類未曾有の危機が来る
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第4章 ローマ法王暗殺とマラキの預言

*ローマ法王暗殺


一二世紀のアイルランドの有名な聖人マラキは'ローマ訪問のおりに未来の教皇の運命を幻に見て、それぞれを暗号めいた言葉で表現した。


その預言書は'当時の法王セレスチノ二世に始まる一〇〇人を超す未来の法王の事績を、的確に言い当てたことで知られている。


一九七八年九月二九日、微笑みの法王と民衆に愛された'ローマ法王ヨハネ・パウロ一世が'最短在位日数「三三日」で突如世を去ったときに、にわかにこの預言が世界の注目を集めた。

以前から「不吉」と見られていた'彼に該当する


ヨハネパウロ1世



第1〇九番「半月」(DE MEDI-ETATELUNAE)が'法王の死んだ日に関係していることがわかったのだ。
その日は、満月の周期の真半分に相当していた。

しかもも法王は半月の日に生まれ半月の日に即位し半月の日に死んでいたのだ。


だが、不吉なシンクロニシティーはこれだけで終わらなかったのである。


バチカンは法王の急死を大略次のように報道した。


法王は、九月二八日深夜から二九日未明にかけ、信心書『キリストにならいて』を読んでいるあいだに永遠の眠りについた。

メガネをかけたままで'顔にはまだ笑みが残っていた。

死因は心臓発作で'遺体の第一発見者は秘書のマギー神父。

発見時刻は朝の四時半だ。

享年六五歳。

健康は良好で心臓病の病歴もなかった。


ところが、法王の急死が世界に報道されるや'死の状況にまつわる幾多の謎が浮上してきたのだ。


死後二週間の内に、バチカンはもとより、バチカンの有力情報源へイタリアのANSA新聞社からも、公式発表を覆す確認、未確認の新情報が相次いだ。


遺体発見時刻は五時半だった。

発見したのはお付きのヴインセンソァ修道女だった。

遺体が手に握っていたのは、翌日首にされる閣僚の氏名表だった。


法王の私物が消えていた。

驚かされるのが'公式の遺体発見時刻より前に、葬儀屋がバチカン専用車の出迎えを受けていたという情報だ。

遺体は不審死だったにもかかわらず、司法解剖されずに防腐処理されたなど。


このような数々の修正や新報道に伴って'法王の急死にまつわる疑問が一〇項目浮上した。


(-)遺体の第一発見者は誰なのか。
(2)遺体発見時刻は何時なのか。
(3)公式の死亡原因は事実なのか。
(4)死亡推定時刻はいつなのか。
(5)遺体の防腐処理はいつ行われへそれは合法的だったのか。
(6)死亡時に何を読んでいたのか。
(7)死亡前数か月間の健康状態はどうだったのか。
(8)法王の寝室にあったはずの私物はどこに消えたのか。
(9)遺体の極秘解剖を行ったのか。
(2)遺体発見前から葬儀屋が呼ばれていたのか。


そんななか、さらなる異常事態が周辺で起こり始める。

バチカンの取引先である、イタリアの大手アンプロシアーノ銀行が、バチカン銀行から融資された7五億円を焦げ付かせて倒産した。


バチカン銀行総裁マルチンクスの取引相手で、倒産後に行方をくらました頭取のカルビは'後日イギリスのブラックフライア-ズ橋下で首吊り死体で発見された。


直後にその秘書がビルから投身自殺した。

頭取の同僚でバチカン銀行の元金融顧問、シンドナが、刑務所で毒入りコーヒーを飲んで死んだ。


カルビ、シンドナと取引していたイタリアのフリーメイソンP2ロッジの最高幹部、ジエリが、南米アルゼンチンに逃亡した。


ここに至って、ジャーナリストや作家が動き出す。

彼らは1連の怪事件を独自に調べて'次々にフィクション形式で暗殺説を書き始めた。


ネタには困らない。


法王は闇取引の実態が暴かれることを恐れたバチカン内部の極秘エージェントによって処刑されたのだ。


バチカンは表向きには平静を装い、一連の記事や本を無視し続けたが'穏やかでなかったのは世界八億人の信徒である。


ついに、デイビッド・ヤロップという作家の暗殺本が出版されて、緊張は一気に爆発した。


この本は、ノンフィクションルポとして書かれた上、世界的なベストセラーになったからだ。

世界中の信徒が読み耽り'暗殺説が定着するに至ったのである。