事実確認

一九八〇年当時の透視がどんな意味を持っていたのか,いまなら,みなさんに示すことができる。
一九九四年五月七日土曜日へロサンゼルス・タイムズ紙につぎのような記事が掲載された。
「米国の研究者たちは'世界最古の舗装道路と思われるものを発見した。
四六〇〇年前のハイウエィは、エジプトの砂漠地帯にある玄武岩の採石場から,遠く離れた水路まで続いている。
道路上を運ばれた玄武岩の石材はこの水路によって,さらにナイル川沿岸につらなる現在の歴史的記念地まで運ばれたものと思われる。
全米地質調査所デンバー支部の地質学者トーマス・ボウン氏によれば,約一三キロメートルにゎたる道路は'これまで発見されたものより少なくとも五百年は古いものと見られ,しかも,古代エジプトで見つかった唯一の舗装道路でもあるという。
ボウン氏は,金曜日にコロラド州デユランゴ市で開かれる全米地質学会の地域会議で'今回の発見を報告する予定である.同じく研究にあたっているオハイオ州トレド大学の地質学者ジェームズ・バレル氏によれば、舗装道路はピラミッドの完成度にはおよばないが,建築工学史上の大偉業には違いないという。『舗装道路はこの時期には敷設不可能だと思っていたし、そもそも道路を造っていたとは思わなかった』とバレル氏。 
加えて道路の北端にある採石場では'古代エジプト人が玄武岩を切り出すときにノコギリを用いていたことを示す最初の証拠が見つかった。
イリノイ州ウィ-トン・カレッジの考古学者ジェームズ・K・ホフマイア-氏によれば'ノコギリで石を切り出した最古の例になるということである。
バレル氏は電話のインタビューで'『古代エジプトの知られざる技術が二つ見つかったことになる。
なぜ両方とも以後の時代に使われなくなったのかへ分からない』と語った。
道路はカイロの南西約七二キロメートルにあるへファイユームの低地で発見された。
ボウン氏によれば'同地を過去に訪れた探検家たちも道路の断片を目にしていたが、その文化的価値は理解できず'追跡調査をしなかったのだという。
ボウン氏のチームは'地質調査中に偶然へこの道路に突き当たった
道路は明らかに'最近発見された採石場の便宜をはかるために敷かれたものだった。
採石場では'三千年前の火山噴火で飛び散った重い黒玄武岩を採掘できる。
ボウンとバレルの両氏はこの採石場で'石工たちが寝泊りしていた野営地を見つけた。陶器の破片や遺物から'採石場は'紀元前二六〇〇年ごろにはじまるエジプト古王国のものと推定される。
道路は砂漠のど真ん中で途切れているが'敷設時には、モエリス湖岸の波止場まで続いていた。
当時のモエリス湖は海抜二〇メートルだったが'以後の気候の激変によりへ現在へファイユーム低地の最も低い地区に位置するカルン湖の水面は'海抜マイナス四四メートルである。
モエリス湖は氾濫期のナイル川から水を得ていた。この氾濫期には河川と湖は同じ海抜上にありへ現在のエル・ラフ-ン村とパワーラ村の近くにある山あいの切れ目を介してつながっていた。
バレルとボウンの両氏は'玄武岩の石材は乾期に荷船に積まれ'河の氾濫期にナイル川へと運ばれていき、ギザとサッカーラの要所にたどり着いたのだろうと考えている。
道路は大きな石板が砂上に敷き詰められているが、表面には加工がほどこされていない。石の状態は場所によっても異なる。『手近にあった石を用いたのは明らかだ』とボウン氏。
道路の幅は二メートル近くありへボウン氏によれば、四キューピットにあたるという。主道はl三キロメートル程度の長さだが'採石場の枝道もあわせて計算すると約7八キロメートルになる」これでようやく、空想科学小説ではないと胸を張って言える。
1980年に透視を行ってからへある程度の事実確認ができるまで'十数年の歳月がかかったことになる。繰り返して言うが'遠隔透視が百%正確なことはめったにない。
今回の例でも分かっていないことはまだまだある。
とはいえそのうちに新たな事実が明らかになるだろう。
もしかしたらわたしの存命中に'透視は本当に正しかったと認められるかもしれない。