地球を包む宇宙の倫理 

私はジユセリーノ氏と語り合う中で、彼の活動には「宇宙倫理」に対しての関心があることに気付いた。
「宇宙倫理」は、この惑星以外にも及ぶもので'文字どお-「宇宙の倫理」である。
ただし私個人としては'事を宇宙にまで広げず'われわれ人類の価値として、その倫理を考えてみたい。 
これは彼自身の活動範囲を制限してしまうかもしれないが'私の視野の中にあるのは'自然災害、自然に対しての犯罪へ テロ攻撃へ誘拐、公衆衛生または集団で被害を受ける事故の問題などである。
しかしながら彼は国際的に行動するし、彼にとっては人類共通の利益が大切であり国境にはこだわらない。
そして宇宙にも目を向けている。
平和、調和、生命維持の名のもとに彼は旗を掲げる。
彼はこれが自分の使命だと確信している。そして人々が自分の言葉に耳を傾けるように努力をする。
彼は透視者ではない。
自分でもそのように思ってはいない。
予言者としての立場にいるわけでもない。 
彼は'いわば先生である。渡す宿題を'生徒たちが学んでくれるかどうかを心配しているだけだ。 
彼は勉強熱心だ。
家族思いで、私たちを穏やかにして-れる。
そのうえ、善良な優しい言葉しか使わない。 
っまり、基本的には普通の人である。
とてもエネルギッシュで'絶え間のない仕事のリズムを持っている。
大体において厳しいが、人々に対して従順さや優しさを失わない。
エリートたちのためではな-、比較的弱い立場にいる人々たちのために働いている人だ。 
彼が強-主張し、私もそれを確認したのは'神聖な真実との固い約束を守りながら,言葉を大切にするということだ。
彼は自分のしていることに対して深い自信を持っている。
そして,自身が行動する努力を惜しまない。 
彼が嘘をついていると言いたがる人に対して'必要があれば'彼は訴訟を起こすことを考える。
誰にも予言を偽造されないように、書類を記録する。 
その点では'彼はまった-正しい。
彼を相手取った訴訟は一切存在しない。
彼のような人は,私に話したように'当局からは調査の標的にされる。
もし彼に何かの疑惑があったならば,すでに訴えられて訴訟を起こされていたはずである。 
手紙を送った相手が「不真面目」な人で、手紙の内容を変えようとしていると思ったならば、彼は公証役場で登録を行う。
そうしておけば、もし相手が彼の手紙に手を加えても'彼の手元にあるコピーは変えられない。
彼が手紙を書-ときへあるいは相談をするとき'通常「上を見なさい」へ「希望を失わないで」へ 「変えるために行動しなさい」などの励ましの言葉を使う。
また「勇気と信念のメ-セージ」へ「神様に中心を置いている」へ「霊性に」などの言葉も使う。 
彼は'常に整理整頓をしているわけではないし、多-の書類はきちんと並べられているわけでもない。
しかし彼は'書類の中にいれば必要な書類を見つけることができるという。
そのことを私は疑わない。 
このような特権的な情報の代弁者についてはへジユセリーノ氏と比べることのできる人はいない。
ジユセリーノ氏の予言を現代の光に当てて分析すれば、彼に似た能力を持った人物はいないと私は言わざるをえない。
ノストラダムスと似ているようでいながら'似てはいない。 
ジユセリーノ氏には'ある限られた団体とのつながりはない。
しかし'住んでいる環境を守ろうと心がけている。
都市と地方における生活のクオリティーともいえる環境を守っていこうとしている。
 この現代の予言者、あるいは超能力者は、予知し'客観的に'事実を語るだけではな-'特定の出来事の流れを変えることができるかのようにへその問題が現実化するのを避けようと心がける。 
彼は'事に対して息を吹き込む。当局に対して反抗を起こす。
そのことによって変わるかどうかは重要ではない。
生命を守-、民族同士の平和と調和を進行するため手紙を送りながらへ彼は〟知らせる″という頑強な役目に対して疲れを見せないで維持し続ける。
それが'彼のメッセージの「本当の意味」である。
だから'彼のメッセージは'惑星的な性質を持っているのだ。 
人としては、彼は書-人だ。真っすぐで'そして目的を持っている。
いかなる娩曲もなくへ起きるかもしれないことをすべてさらけ出す。
彼はとても-つろいだ状態で行動をする。
それは彼の決意と関係がある。
しかしながら'特定の行動に対しては頑固になるときもある。
彼の仕事は調査ではなく、警告だからである。 
もし私たちが行動を起こさなければ、そのことによって罰せられると彼は説明する。
間違った状態を続けないために、私たちを囲んでいる現実に私たちは目覚めなくてはならない。 
彼は、自身の夢から目覚めて、人生のために出来事を明らかにする0
そしてへ私たちが同じことをするように教えてくれる。 
それらは正真正銘、現実的で'ほとんど人間の運命を決定する。
私たちが一切知りたくないことに'彼は落ち着いて、堅固にそれらを語る。
理解できるように詳しく述べてくれる。
彼は、予知を聞き、助かりたいと望んでいるすべての人を助けることができると信じている。
大惨事の影響を最小限に抑えることができると信じている。
ジユセリーノとは誰なのか、何をしているのかをへ私はこれまでに答えることができたと信じている。
彼の意図は'自分の警告で'できる限-多-の人の命を救うことである。そして、人類が平和に暮らしてほしいと願っている。 
彼は'追従者を求めてはいない。求めているのは'敬意を持って認められることだ。
彼の数々の予知夢、その証拠は否定できない。
彼が未来の出来事を予知できるという、とても珍しい能力を持っていることは、これまでに証明されている。 

私は、ジャーナリストとして以上に'超常現象の研究者として、これらの出来事の証拠へ登録から、記録、日付、返事が送られてきた手紙のことについて、この本に記してきた。 
彼の予知の証拠についてはへ私はあえて正解や不正解の数値の詳細をコメントしなかった。
結果の統計も作らなかった。
また私は'彼の両親や親類へあるいは彼がコンタクトしたと思われる他の人々にも連絡をしなかった。
なぜならへそうした調査は、予知を信じる人へ信じない人の意見や反応の方向へ焦点を合わせることになってしまうからだ
〔 最初の書類の公表から'私たちはどのように予知と向かい合うべきかをはっきりさせようと試みた。
私たちは啓示と直面したときへどのような行動をとらなければならないのか。
時に私は、合理性をはるかに超える立場に置かれて自省させられることがある。 
ジユセリーノ氏のような人物が現れるのはなぜか。
それは'私たちを立ち止まらせ、未来のことを考えさせて、良いことを悪いことから切り離すための時間が残されていることを知ることができるようにだと私は思う。
私たちが自然や
人生を共に生きている人々に対して'もっと謙虚であるように、そして、間違った選択の結果で苦しまないようにということだ。 
私は最後に、これらの予言を前にして'人がどう反応し'どのように行動するのかということに関して考察してみた。
しかし結局へ唯物的な懐疑論者であろうと、唯心的な肯定論者であろうと'まずは自分が何をするべきか考えるだろう。
そして期日が過ぎれば'予知が当たったにせよ'外れたにせよ、自分は何をすることができたのかへ何をすべきだったのかを再度考える。
それ以上はないだろう。そのようにして人は再びへ前に向かって歩み始めるだけだ。