11月28~30日まで御詠歌の東海連合本部記念大会にご招待いただきましたので伊勢の賢島まで遥々行って参りました。

 

せっかく来たので、空いた時間で、道すがら奈良の室生寺へお参り。

 

ここは私の御詠歌養成講習の同期で先輩の方が、現在執事を務めておられます。

 

ここは奈良の桜井に都があった時代、大和朝倉から大和川を遡り大和朝倉を抜けて、大宇陀の山地にあります。

 

当時は風水の思想を以って地形を捉え都を形作っていたので、「四神相応の地」の中で水を司る「青龍」の地にあります。

 

お寺と共に龍穴神社がお祀りされているように、大和川の水源信仰をもとにした気の吹き出す場所、「龍穴」に室生寺は創建されたわけです。

 

中世には、奈良興福寺にある猿沢の池の竜神が、室生寺のお山に登っていくという信仰が形作られており、まさに奥之院のような存在として、雨乞いの御祈願などが行われておりました。

 

江戸時代には、高野山が女人禁制であったことから、「女人高野」として女性の参拝者で賑わった古刹でもあります。

 

室生寺の立地から鑑みると、私の自坊の光蔵寺も伊予国府の朝倉上村にあり龍門山の麓、頓田川の源流、水ノ上部落の古寺地区にあります。

 

奈良桜井と伊予国府のあった今治の地名が似ていることに気づいた私は、もしかしてと、地図を広げ照らし合わせてみました。

 

すると、伊予国府のあったこの今治にも4か所に「四神」の名を冠した山があることがわかりました。

 

そのうちの1か所である「青龍」の地にあたるのがまさしく光蔵寺の境内から真正面に見据えることができる「龍門山」です。

 

光蔵寺も、ある意味、当時の奈良室生寺のミニ版と言えます。

 

光蔵寺の隣の飯成神社で祀られていた如意輪観音像、そして光蔵寺の本尊薬師如来像などが祀られているのも、室生寺で如意輪観音像や薬師如来がお祀りされていることと似ています。

 

そんなご縁を感じながら、学生時代以来22年ぶりの参詣となりました。

 

感慨深いです。

 

それにしてもここのお堂と仏様たちは本当に古くて鄙びた味わいがあります。

 

 

国宝の五重塔は、私が以前見たものから修繕工事が行われ、朱塗り鮮やかなお姿になっておりました。

 

以前、室生寺奥之院の縁側からみた、三角錐の山と夕陽のコントラストの美しさが残像になって、今でも忘れられません。

 

古代の人々と同じ風景を見ているような気分になったのを、今でもはっきりと覚えています。

 

 

紅葉鮮やかな中、今回は執事様の案内のもと、特別拝観中で中まで入って諸尊と本尊如意輪観音様を拝ませて頂きました。

 

執事様にはいろいろお接待頂戴致しましたこと、御礼申し上げます。

 

ありがたいことです。